第50話 植木青菜のお母さんと中仮屋三姉妹
予定時刻は12時。
鮭ヶ口駅に母が到着する時間の話です。
今はその30分前。
そろそろ迎えに行こうかなと思っているのですが。
「セリ姉! ちゃんとカッチリした服着なよ! 青菜のママに失礼じゃん!」
「えー!? むしろ、胸もとを開けていくって話で決まったじゃないですかぁ!」
「決まってないよ! 自分の息子がそんなだらしない子と暮らしてるって青菜のママが思ったらどうすんのさ! 青菜の新しい下宿先探されるかもなんだよ!!」
「な、そうなんですか!? それはいけません! 確か、クローゼットに礼服が入っていたはずですので、着替えます!!」
「……すやぁ」
この子たちを置いて、店を出る勇気が湧いてきません!
「あの、2人とも? 普通で良いよ? いつも通りで。たんぽぽちゃんは着ぐるみパジャマで平気だし、芹香ちゃんも好きな服で構わないから」
「そうよぉん! あなたたち、青菜くんのお母様が来るからって、テンパり過ぎ!!」
「白いスーツでキメてるパパには言われたくないです!」
「それはウチもこの上なく同意なんだけど!!」
「バカねぇ、あなたたち! 青菜くんのお母様が来るのよ!? 1人の立派なオネエとして、おもてなしするのが筋ってもんじゃろがい!!」
マスターの持っていたコーヒーカップの持ち手が取れる。
今日、これで4つ目ですよ。
「4!? 縁起が悪いわぁ! もう1個取っときましょ!!」
「マスターも、ナチュラルに僕の心を読んでいないで、落ち着いて下さい」
「青菜! もうそろそろ行かないと、ママ待たせちゃうよ!」
「あ、うん。たんぽぽちゃん、その手に持ってるのは?」
「掃除機だよ! ダイソンのヤツ! ウチ、ママが来るまでに掃除しようと思って!」
「気持ちだけで充分だよ? と言うか、多分仕事が増えるから、ヤメてくれると嬉しいな!」
「青菜さん、ここはわたしに任せて、先に行って下さい!!」
「芹香ちゃん、先にって言う表現がすごく引っかかるんだけど。あとから来るの?」
「もちろんです! 礼服を着こなしたらすぐに後を追いかけます! ……ただ、この礼服、胸が苦しくてですね。むぐぐぐぐっ、あっ」
胸のボタンが見事に弾けて、それがたんぽぽちゃんに命中して、持っていた掃除機が倒れて、マスターの頭に当たり、弾みでカップがまた1つ割れた。
ピタゴラ装置かな?
「あの、じゃあ僕は行くけど。本当に、本当に、本当に何のお構いもしないで良いからね? と言うか、お願いだから、普段通りで!」
「分かってるわよぉん!」
「りょー! 青菜、いってらー!!」
「着る服がなくなりましたぁ! ……もう、下着で!!」
「……すやぁ」
不安で仕方がないのですが、僕はフラワーガーデンを出る事にしました。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「母さん! こっちだよ!」
「あら、青菜。待っててくれたの? 悪いねぇ、忙しいんだろう?」
駅に着いたら電車もちょうど到着したタイミングで、いい
「いや、今日は全然。むしろ、朝から暇だったよ」
「そうなのかい? 下宿先のお母さんから、朝も昼も夜も大活躍だって聞いていたから、さぞかし忙しいんだと思ってたよ!」
「マスターが? ちなみに、何て言ってた?」
「朝は子供の世話をして、大学では友達が100人いて、夜は街の掃除? をしてるって。しかも、清掃活動はポランティアなんだろう? 立派になったねぇ」
あとでマスターとお話が必要なようですね。
僕の生まれ育った町は、鮭ヶ口よりもずっと田舎で、大学だって半径50キロ圏内に1つもないくらい。
そんな町から出た事のない母には、鮭ヶ口が大都会に思えるらしく、見るもの全てを珍しがった。
母の様子を見ていると、マスターの言う通り、招いて良かったと思える。
「それにしても、良かったのかい? 交通費や、泊まる場所まで世話してもらって。青菜、いくらアルバイトしてるからって、学費も自分で工面しているのに」
心配と申し訳なさが入り交じった表情の母。
僕は、大袈裟に胸をドンと叩いて、返事をする。
それが息子の果たすべき義務だと思ったからに他なりません。
「その辺は任せてよ! 今のバイト先、すごく待遇が良くてさ! お給料も、下手したらサラリーマンの初任給より多いんだ! だから、もう少し余裕ができたら、そっちに仕送りもしようってマスターとも話しててさ!」
「そうなのかい? 気持ちは嬉しいけどねぇ。青菜は、青菜のことだけを考えて生きて欲しいんだよ。これまでも不自由させて来たんだから」
「僕は母さんと2人きりの生活を不自由なんて思った事はないよ!」
事実なのです。
僕が3歳の時に父が病気で亡くなってから、ずっと女手一つで育ててくれて、高校まで行かせてくれた母。
その献身を前にして、どこに不自由があると言うのですか。
浪人時代は気苦労をかけて、むしろ僕の方が謝りたいくらいですよ。
「ほら、ここだよ! 駅からすぐだって言っただろ?」
「本当だねぇ。こんな一等地にお店が出せるなんて、すごいんだねぇ」
「そうだよ! すごいところで働いているんだ! 中に入ったらもっと驚くよ! そして、安心してくれると思う! さあ、どうぞ!」
そして僕は、フラワーガーデンのドアを開けた。
「ララ姉! いい加減に服着なよ!」
「たんぽぽこそ! なんで掃除するって言って、牛乳こぼしてるんですかぁ!」
「んまー! んまぁぁぁぁー! 良い声出てるかしらぁん?」
そして僕は、フラワーガーデンのドアを閉めた。
「どうしたんだい? 何かあったのかい?」
「ううん? どうもしないよ? ごめん、母さん、ちょっとだけ待ってね」
もうダメかもしれない。
ああ、どうして僕は、こんな
◆◇◆◇◆◇◆◇
考えていても現実が変わらない事くらい承知の上だけど、それでも10数えたら状況が激変していないかと期待した。
この前テレビで、プリンセス天功がそんな事をしてたんだもの。
「いらっしゃいませ! 青菜くんのお母様ですよね? お待ちしていました!」
え、ちょっ、誰ですか!?
「あたし、中仮屋蘭々と申します! 青菜くんより年は一つ上ですけど、いつも彼には助けてもらっていて。あ! 大学も同じなんですよ!」
ら、蘭々さん!! 朝から寝てばっかりだったのに!!
この状態は、アレじゃないですか!!
本気モードじゃないですか!!
「まあ! 美人さんですねぇ! 青菜、あんた、こんなに綺麗な人と暮らしてるのかい!?」
「いやですよ、お母様! お上手なんですから!」
お上手なのはあなたの変身ですと言いたいけど、口が裂けても言えないです。
「大学でも、青菜くんは大人気ですよ! 友達も色んな人がいますし、サークル活動も頑張っていますし、この間は通りすがりに人命救助をしました!」
「あらあら、本当に? 青菜、立派になったんだねぇ!」
嘘はないけど、なんでだろう、僕の知らない大学生活が目に浮かぶのは。
僕の充実した大学生活と、少し違う種類のヤツなんですけど。
「うちは女ばかりの家庭なので、青菜くんが来てくれてすごく助かっているんです! 力もあるし、何より気が利きますし! きっと、お母様の教育が素晴らしいんだろうなって思っていたんですけど、お会いして確信しました!」
「蘭々さんでしたよね? もう、本当に、こんなおばさんおだてないで下さいな! 良かったよ、青菜。あんた、いい働き口を見つけたんだねぇ」
「うん! そうなんだよ、母さん!!」
蘭々さんのおかげで、急場をしのぐことができた。
けれども。
「セリ姉! どうしよ!? 服で牛乳拭いたら、なんかくさい!!」
「わたしは何を着たら青菜さんのママにウケるでしょうか? ……はっ! いっそ、水着!?」
「んまぁぁぁぁぁぁ! おっしゃあ! 良い声に仕上がってるぅ!!」
母さん、悪いんだけど、このまま帰ってもらう訳にはいかないかな?
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