時間は進む。意志とは関係なしに


 俺は、走った。

 力の限り、走った。


 途中、王宮の入り口で足を挫いたが、そんな痛みは気にならない。

 むしろ、俺に「急げ」と暗示をかけてくれるような気がして良かったとさえ思った。これがなければ、きっと現実だと実感できなかっただろうから。


 目的地は、陛下のいらっしゃる執務室だ。

 泥だらけの中王宮を駆け抜けたが、誰1人として俺に目を向けない。いつもなら「もっと警備をちゃんとしないと」と思っただろうが、今回は助かった。

 それよりも、時間が惜しい。1分でも、1秒でも早く、陛下に報告をしないと……。


 幸いなことに、俺は執務室に行かなくて済んだ。


「陛下! 陛下!」


 ちょうど、王宮と宮殿を繋ぐ廊下に陛下が居たんだ。

 隣には、いつも通りクリステル様が。良かった、彼女が居た方が都合が良い。


「なんだ、ロベールのせが……!? ど、どうした、その格好!?」

「ロベール卿、任務はどうされたのですか」

「陛下、お願いです。お願いします! ……お嬢様が! お嬢様がっ!!」

「ロベール卿、落ち着いて。何があったのか説明「落ち着いていられるか! こうやっている間も、お嬢様は……お嬢様は、土の中で」」


 無礼とか不敬とか、そういうのは一切頭になかった。

 俺は両手で、陛下の胸元部分の服を容赦無く掴み訴え続ける。自分が不敬罪になろうがなんだろうが、どうでも良い。それよりも、優先すべきことがあったんだ。


 そんな冷静さを欠いた俺に、横から衝撃が飛んでくる。

 頬に強烈な熱さを感じ、握りしめていた両手が開いた。見ると、クリステル様が片手を振ってこちらを睨んでいるではないか。……どうやら、彼女が頬を打ってきたらしい。


「落ち着きなさい、ロベール卿。ロベール侯爵の顔に泥を塗るつもりですか」

「……すみませんでした」

「大丈だ、アレン。話してみなさい。君がここまで取り乱すのには、訳があるだろう」

「……っ、っ」


 俺は、焼ける痛みに耐えるよう手を頬に当て、状況を報告した。

 いや、しているつもりだった。


 でも、言葉が出てこない。

 今までの勢いは、どこに行ったのだろうか。そのまま、無言で床に膝をつけるので精一杯だった。……そして、熱を帯びた頬を冷ますように、涙がこぼれ落ちる。

 一度流してしまえば、もうどうしようもない。俺は、そのまま醜態を晒し泣き崩れた。


「……グロスター家で、何かされたのか?」

「まさか、潜入がバレたとか……」

「ごめんなさい。ごめんなさい、お嬢様」

「落ち着きなさい。アリスがどうしたんだ?」

「また辛いことをされてるの? だったら、ロベール卿が……」


 懸命に絞り出したのは、アリスお嬢様への謝罪だった。

 泥まみれになりながらそんなうわごとを話す俺は、きっと側から見たらこれから牢屋にでもぶち込まれるだろう罪人に見えたに違いない。それでも陛下とクリステル様は、俺の背中をさすりながら話を聞いてくれている。


 それに、クリステル様は何かを察したらしい。ピタッと動きを止め、とても静かな、それでいて、どこまでも暗い声を発してきた。


「ロベール卿。お嬢様は、今どこに?」


 今まで聞いた中で、一番冷静な声だった気がする。

 何度も何度も、彼女の声が木霊するように頭の中で反響しているんだ。むしろ響きすぎて、何を話しているのかがわからない。でも、聞きたいことは理解したつもりだ。


 だから、俺は震える唇を両手で抑えながら、こう言った。


「……アリスお嬢様は、土の中にいらっしゃいます。苦しそうなお顔で、でも、俺はお嬢様の目を閉じてやることもできませんでした。ハンナが、口の中にどんどん土を入れて。グロスター伯爵がそれを見て笑っているのです。みんな、俺以外楽しそうに……オエッ」

「ロベール卿!? 陛下、アリスお嬢様の元へ行く許可をください。私がお助けします」


 でも、途中までしか口にできなかった。

 俺は、そのまま床に向かって吐瀉物をぶちまける。


 それでもなんのお咎めがなかったのは、お2人も動揺していたからだと思う。

 クリステル様は、俺がチラッと見た限り真っ青な顔色で陛下に向かって頭を下げていた。陛下は、そんな彼女を難しい顔をして見ているだけ。……いや、どこも見ていない。


「……アレンよ。これだけは、教えてくれ。アリスは……あの子は、死んだのか」

「あ、あ、あ……ああ、うわああああああああ。あああああああ!!!」


 それからの記憶はない。


 俺は、そのまま声が枯れるまで泣いたと思う。

 起きたら、宮殿の医療室で眠っていたんだ。王妃のエルザ様が俺の顔を覗き込んでいたから、瞬時に目が覚めたよ。

 そして、彼女は何度も「アリスは、もう助からないの?」と聞いてきた。


 父さんから「王族は絶対に泣かない。だから、お前も泣くな」と言われながら育ってきた俺にとって、その光景は一生忘れられないものになる。

 エルザ様は、顔を大きく歪ませ、大粒の涙を頬に伝わせていたんだ。



***



 夜になった。


 クリステル様と陛下の側近が、グロスターの屋敷へと無断侵入を試みたらしい。

 らしい、というのは、そのメンバーに俺は選ばれなかったからよくわからないんだ。陛下は、「まだ潜入捜査は続いている。少しでも、証言になり得るものを取ってくるんだ」と俺に仕事を与えてくださった。だから今は、休めと。


 なぜ、アリスお嬢様の居ない屋敷に残らないといけないのか。なぜ、あれだけ大々的な犯行なのに証言や証拠を取ってこないといけないのか。俺には、理解ができなかった。

 それよりも、今になって挫いた足が痛み出す。


「寒いわ。とても、寒い。アリスは寒がりだから、膝掛けを持ってきたの」

「……きっと、お喜びになると思います」

「そうよね。いつも、膝掛けを肩にかけると「くすぐったいです」って笑うの。だから、今日も……」


 俺は、エルザ様と一緒に宮殿の裏門に居た。


 今日は、周囲に護衛も側近も誰も居ない。きっと、彼女が付いてくるなとでも言ったんだろう。

 泣き叫び喉を潰した俺は、しゃがれた声でエルザ様の話に相槌を打つ。……そういえば、陛下はどこに行かれたのか。お姿が見えない。


「……帰ってきたわ」


 陛下の姿を探していると、そこにクリステル様を先頭に数名が帰還した。

 薄暗くてわからないが、月の光で全員が帰ってきたことを知る。クリステル様の真後ろに居た側近の男性が、アリスお嬢様を抱きかかえているのも見えた。

 俺は、エルザ様のつぶやきを無視し、そのままアリスお嬢様の方へと走っていく。


「ロベール卿。私が、お嬢様の瞼を閉じました。本当は貴方がしたかったと思うけど、ごめんなさい。耐えられなかったの」

「……わかっています。ありがとうございました」

「大丈夫、グロスターには気づかれていないわ。お祭り騒ぎだったもの。きっと、貴方がいないことにも気づいていないでしょう」

「俺が屋敷を出た時からやってました。明日、朝イチで戻ります。陛下から、新しい命をいただきましたので」

「……ええ、そうね。そう、わかったわ。すぐにわかった、お嬢様の居場所が。どうしてかしらね」

「ねえ、クリステル。これでアリスを包んであげて。温かくなれば、目を覚ますでしょう?」


 しかし、俺はそのまま先頭に居たクリステル様と会話を続けた。彼女も、同じ考えらしい。絶対に後ろは見ずに俺とポツポツと会話を続けているんだ。

 そんな中、俺の後ろからエルザ様がクリステル様に声をかける。


 彼女の声が、合図になった。


 クリステル様は、醜態を晒して泣いた。まるで赤子のように泣き叫び、真後ろに居た側近から奪うようにアリスお嬢様を抱きしめ、座り込む。その急な行動に、誰1人驚かない。

 泥だらけになったお嬢様の頬に自らの頬を擦り付け、何度も体温を取り戻すかのように頬擦りを繰り返す。何度も何度も。

 それを、エルザ様も側近も、俺も何も言わずに見ていた。



 それから10分は経っただろう。

 クリステル様は、「ごめんなさい」と呟きアリスお嬢様のお顔から距離を取られた。でも、芝の上には起きたくなかったらしい。そのまま膝の上に頭を乗せ、彼女の金色の髪を撫で上げている。


 エルザ様は、そのまま気を失われた。隣に居なかったら、きっと彼女は芝に転がっていただろう。間に合って良かった。


「……ロベール卿。私からもお願いします。必ず、グロスターから証言を取ってきてください」

「はい。必ず」

「私は、陛下と証言に関する法改正を進めます。今のままだと、元老院が邪魔をする。ルフェーブル侯爵なら、少しは話が通じるでしょう」

「お願いします。……お願いします」


 エルザ様を側近に渡した俺は、そのままアリスお嬢様の元へと歩いていく。

 2~3歩しか離れていないのに、それは王国の端から端を歩いているかのように遠い。手を触れても、お嬢様がとても遠くに行ってしまったような感覚に陥る。


 でも、それは間違っていることを後の俺は理解した。


 お嬢様が遠くに行かれたのではない。俺がお嬢様から離れていっているのだ、と。

 彼女には言わなかったが、同い年だった。でも、お嬢様が年齢を重ねることはもうない。俺は、どんどん歳を取るのに。



 数年経っても、ふと思う。

 どうして、俺だけ時間は進むのだろうか。俺も、お嬢様と同じ時間で立ち止まりたいのに。

 それでも非情に、時間は進む。俺の意志とは関係なしに。



 この時の俺は、明け方と共にグロスター伯爵の屋敷に行くことに、なんの不安もなかった。

 それよりも、時が止まってしまったお嬢様を見る方がずっとずっと辛かったことを、今でも良く覚えている。


 その後、精神を病んでしまった話は、また次にでも。

 


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