彼女の言動は私の甘雨



 目を開けたら、真っ暗な空間だった。

 でも、不思議と恐怖は感じない。ということは……。


「はあ〜い」

「……やっぱり」


 思った通り、目の前にはベルが居た。上機嫌に手を振って、横になっている私にもう片方の手を伸ばしてくれている。

 それを掴んで起き上がると、やっぱりいつもの空間だったわ。どこまでも続く暗闇の中、私は無駄とわかっていながら周囲を見渡す。


「何よ、その反応。大変そうだったから、お話し相手になろうと思ったのに」

「ってことは、また覗いていたの?」

「もち〜」

「……ご機嫌ね」


 現実で足が動かなくても、ここでなら動く。

 私は、恐る恐る足に力を入れて立ち上がった。足首を捻らせても、特に痛みはない。

 夢の中って、結構便利だわ。まるで、魔法みたい。


「だって、パトリシア様があんなに近くでベルの心配をしてくれてるのよ! ご機嫌じゃなければ、なんだっていうの!」

「はいはい、良かったね」

「それに、私が用意していたドレスを身に着けたあの瞬間! もう、天にも昇る心地だったわ」

「……そのまま昇っていかないでよ」

「ねえ、もう一度誘拐されてきて。一生のお願い」

「貴女、よく世間知らずって言われない?」


 今にでも踊り出しそうなベルに苦笑しつつ、私はいつも通り何もない空間に腰掛ける。触ると固めなのに、座っていてもお尻が痛くならないのよね。これも、夢だからなせる技なのかも。

 遅れて、満足したのかベルも私の隣に座ってきた。


 そして、私の手を握ってくる。


「さてと、冗談はここまでにして」

「……絶対冗談じゃなかった」

「解釈はお任せするわ。それより、あんたのことよ」

「私?」


 ファサッと布の擦れた音がする。これは、綿じゃなくてナイロンの音ね。

 安っぽく見える生地って言われているけど、軽くて丈夫だから私は好き。重い布地は、肩が凝るもの。


 ベルは、こっちにすり寄れるだけすり寄って肩に頭を持たせてくる。

 そこで、私の身体がアリスになっていることに気づいた。こう見ると、ベルは小さいわ。小さくて、抱きしめやすい。


「あんたは、誰がなんと言おうとアリスだから」

「……そう」

「そんな残念そうな顔しないでよ。いじめ甲斐がないじゃないの」

「そもそも、いじめようとしないでよ」

「家賃だと思って、諦めな」

「……ふふ」


 そっか。

 私はアリスなんだ。


 ベルの言葉は、私の心に良く響く。心というか、魂というか。スッと入ってくるの。

 だから、それは嘘じゃないとわかる。きっと、イリヤもそんな感じで私のことを信じてくれているのかな。そうだったら、嬉しいな。


 口角を上げて笑い声を漏らすと、それと一緒に涙が一筋こぼれ落ちる。下を向いていた私は、それがナイロン生地に落ちて沈むのを静かに見守っていた。

 アリスで良かった気持ちと、落胆の気持ち半々って感じ。


「泣かないでよ、調子狂う」

「もっと慰め方があるでしょうに」

「わかんないわよ、そんな人と話したことなんてないし。慰めだってわかるんだから、良いでしょう」

「まあ、そうか。ありがとう」

「な、何よ、急に」


 お礼の言葉と共に、ベルの頬が赤く色付く。

 照れてるのかしら。ちょっとだけ、可愛いなって思ってしまうわ。ベルは、不意打ちに弱いみたい。

 

 面白くなって私が頭を撫でると、それへ抵抗するように手をバシッと薙ぎ払ってきた。しかも、頬をプクッと膨らませて。

 やっぱり、可愛い。こういうところが憎めないわ。


「心配してくれたのでしょう? だから、お礼を言ったの」

「……そのくらいでお礼なんか言わないでしょう」

「私は言うの」

「泣き虫が何言ってんのよ」

「照れ隠し」

「臆病者」

「薄情者」

「頑固」

「わからずや」

「いじっぱり」

「非人情」

「恋愛弱者」

「そっ……れは、否定できないかも」


 こういう言い争いは、必ずベルが勝つ。というか、この子に勝てる人居る? 結構口が達者だから、私は一生勝てないと思う。


 恋愛の「れ」の字も良くわかっていない私は、それを引き合いに出されるとぐうの音も出ない。

 尊敬と恋愛の違いも良くわかっていないし、なんなら、友情とかとの違いもわからないわ。ちょっと考えるだけで、知恵熱が出たと思うほど顔が熱くなる。


「はあ、もっと恋バナしたいわ。誰か上級者連れてきてよ」

「無茶言わないで。その辺の魂引っ張り出せば良いでしょう」

「その辺の人じゃつまんないし、そう易々と引っ張り出せないわよ。……そうね、サレンって人ならわかってくれるかも」

「サレン様? どうして?」


 繋いでない方の手でパタパタと顔を仰いでいると、ベルは今にでもはしゃぎそうな雰囲気のままそう言ってきた。私に預けていた身体を離し、本当にそのままダンスでもしちゃいそう。お相手を頼まれても、絶対に引き受けないからね。


 普通の女の子って、やっぱり恋のお話が好きなのかしら。

 私も、教養として身につけ……なんて言ったら、ベルに「そうじゃない」と言われそう。目に見えてわかる。


「だって、あんたがアリスなんだから嘘ついてるってことでしょう? なんでそんなことをするかって、好きな人を振り向かせたいからに決まってる!」

「ええ……。みんながみんな、貴女のような恋愛脳じゃないと思うけど」

「じゃあ、どんな理由で嘘をついているの?」


 ルンルン気分で左右に揺れ動くベルに話しかけると、「テンション駄々下がりしました」みたいな顔して脇腹を突かれた。


 でも、そんなスイーツな脳の女性ばかりだったら、それこそ会話が成り立たないでしょう。

 好きな人が居るのは、素敵だと思うけどね。だって、その人のためなら無理難題もできるようになるのでしょう? 私も、仕事に行き詰まった時にその力を借りたいわ。

 

「そもそも、嘘じゃないのかもしれないじゃないし。初めから、嘘って決めつけるのは良くないわ」

「うわ、善人。あんたのそう言うところ嫌い」

「私は好きよ、そのはっきりとした物言い」

「あんたに愛を囁かれても、1mmも心が動かない」

「貴女は、パトリシア様以外に心を動かさないでしょう」

「わかってるじゃないの」


 そうよ、サレン様は嘘をついていないのかもしれないわ。

 ベルがパトリシア様に憧れるように、サレン様も私に憧れていたとか? いえ、隣国との接点なんて、あのお茶会で話したミンスくらいだわ。

 でも、何か事情があるのかもしれない。


 隣でいまだに頬を膨らませるベルを見ながら、私はそんなことを考える。

 ついでに、人差し指をその頬にプスッと。……睨まれたから、もうやめましょう。


「でも、怪我した人が言ってたじゃないの。アレンって人のこと待ってるんでしょう? 最近来ないっていじけてるって」

「シエラ卿のことね。確かに言ってたけど」

「ほらもー、絶対アレンって人を振り向かせるためにそう言ってるんだって」

「……だとしたら、サレン様のしていることは逆効果だと思うわ」

「なんでよ」


 私は、イリヤから聞いた情報をそのままベルに聞かせた。

 アレンが皇帝陛下の命で私の家に潜入捜査にきていたこと、そして、アリスと名乗ったサレン様の話を振られた時に嫌悪の表情を見せたことを。

 すると、


「えー、待って待って。テンション上がる! テンション!」

「な、何よ、急に。びっくりした」


 なぜか、パアッと電気がついたように表情を明るくしてきた。

 というか、貴女。そんな表情もできるのね。いつもつまらなそうな顔してるから、そんな顔するとは思わなかったわ。


 今にでもミュージカルが始まりそうなほどテンションを上げたベルは、これまた明るい声でこう続けてくる。無論、私が逃げないようにがっしりと手を握って。


「潜入捜査中、アリスの頑張る姿に感銘を受けて恋に落ちてしまった……なんて、どうよ」

「どう、って言われても」

「でも、サレンって人にアリスを感じていないから微妙そうな態度になってしまう彼。そして、ベルの姿をしたあんたはなぜか気になる様子……。これって恋だわっ!」


 やっぱり、始まっちゃう? ミュージカル。

 今はそんな気分じゃないのだけれど、上映間際って感じの雰囲気だわ。


 ベルは、まるでポエムのような語り口調で、私に話しかけてくる。

 というか、完全にポエムの域ね。貴女は、あの時のアレンの顔を見ていないからそんなことを言えるのよ。


「……歪曲しすぎない?」

「あんたにはわからないのよ! 恋愛弱者だから」

「それを言われると何も言えないけど」

「ああ、アレン。私、貴方を応援するわ! こんな鈍感でド天然な子を好きになってしまうなんて、神様のいたずらかしら? こんなポンコツで頑固脳で「貴女は、私の悪口を言いたいだけでしょ!」」


 これ見よがしに言葉を発するベルは、絶対に悪口を言いたいだけ。

 先ほどから頑固頑固言われてるけど、私はそんなに頑固じゃないわ! ただ、譲れないものがあるってだけ。ベルにだってあるじゃないの。一緒でしょう。


 私が抗議の声を上げると、なぜかベルはため息をつき始めてしまった。しかも、連続して。


「とにかく、アレンはそんな人じゃないわ。それに、ベルにはサヴィ様が居るじゃないの」

「ああ、そういえば居たわね。あの、クリスマスツリー」


 言い得て妙とは、このことね。思わず、笑ってしまったわ。


 確かに、サヴィ様は派手な服を着る。それに、顔も目立つからクリスマスツリーという言葉がしっくりくるわ。あの赤い服を着ている時に電球でも巻けば、完全にクリスマスだと思うの。頭にお星様がないと違和感を覚えそう。

 思えば、あのお方はちょっと……いえ、だいぶ服のセンスないわよね。


「私が貴女の身体にいる限り、婚約者は絶対でしょう」

「破棄しちゃえ。私が許可する」

「貴女に許可されても……」

「あーあ、見たかったな。きっとあの人、あんたに「サルバトーレ様」って呼び方戻されただけで1週間は断食するわよ」

「……ありえるから怖い」


 ベルは、ケタケタと笑い声を上げながら相変わらず私の手を握りしめてくる。

 きっと、こうやって私を励ましてくれているのね。ありがとう、ベル。ここに来た時よりずっと、気分が落ち着いているわ。


「それでさ、アレンのことなんだけど」

「えー、もう良いわよ」

「ダメ! わかるまで語り合いましょう」

「貴女と分かり合えるようになったら、きっと地球が爆発しちゃうわ」

「……それもそうね」


 今日は、ベルにバイバイするまで追い出されなかった。

 珍しいこともあるのね。それとも、この空間も私のことを慰めてくれているの? なんて、そんなことあるわけないか。


 私たちは、サヴィ様の服で一番すごいのはどれかの話で盛り上がったわ。

 途中、お茶とお菓子が欲しくなったけど、ここにはそれらがない。ちょっとだけ寂しい気持ちになって、私はベルの話に耳を傾けたの。



 

 そうよ、私はアリス。嫌われ者だってなんだって、アリスでしかない。自分のしてきたことの結果を受け止めましょう。


 にしても、サレン様はどうして私を名乗っているのかしら? もっと評判の良い別のお方を名乗った方が良いと思うのだけれど……。まあ、人は好き好きね。

 私はどうするべきなのか、後でイリヤに聞いてみましょう。放っておいても良い気がするけど、それでサレン様が傷ついたら後味悪いものね。


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