その違和感は
クリステル様が、直属部隊の待機室へ勢い良く飛び込んできた。
いつもならノックをしてから入る彼女にしては珍しく、別の人ではないかと思い二度見をする。しかし、いくら見ても陛下のお付きであるクリステル様だ。
何か、緊急事態だろうか。乱した息を整えもせず、彼女は真っ直ぐこちらへ向かってやってきた。
俺は、持っていた書類を置いて立ち上がる。
「……どうされましたか、クリステル様」
「ロベール卿……」
待機室には、俺とシエラの2人しかいなかった。
無論、隣で仕事をしていたヤツも手を止めて、いつもと様子の違うクリステル様を眺めている。
「何か問題でも? 団員を集めましょうか」
「ロベール卿だけで……いえ、シエラも一緒に」
「僕もですか?」
「ええ、宮殿に。えっと……」
今日は、誰か訪問があっただろうか。覚えている限りのスケジュールを思い出すも、客人をもてなす話は聞いていないし、そもそもグロスター伯爵の件でそんな余裕はない。その事件関係で隣国から誰かが派遣された、とかならありえそうだ。
しかし、それなら王宮での接待が基本になっている。陛下たちの住む宮殿にまで事件を持ち込むというのは到底考えにくい。となれば……。
「サレン様に何かあったのですか?」
「……」
やはり、そうらしい。
クリステル様の表情が、わずかだが反応した。これは、急ぎで向かう必要がある。
俺は、今まで作業していた書類たちをキャビネットの中に押し込み鍵をかけた。隣では、シエラがメモ紙に伝言を書き記している。
「カイン皇子は無事なのでしょうか? サリエルは?」
「……」
「クリステル様?」
準備を終えた俺らは剣を片手に、急足でクリステル様の立っている場所へと向かう。しかし、それが見えているはずなのに彼女は一歩も動かない。
疑問に思い顔を覗くと、瞳を見開き混乱しているような表情がうかがえた。良く見ると、顔に冷や汗が伝っている。
「……ロベール卿、これは夢ですか」
「は?」
「私は、今夢の中に居るのでしょうか」
「……クリステル様。急いで向かわなくて良いのですか?」
ここに入ってきた時、走ってきたから息を乱していると思っていた。しかし、それは少々違ったらしい。
いまだに、彼女にしては珍しいくらい息を乱し、目を泳がせ視線の合わない中奇妙な言葉を吐いてくる。意味がわからずシエラを見るも、こいつもわかっていないらしい。首を横に振って、お手上げ状態になっている。
「……クリステルさ、ま!?」
「どうされたのですか!?」
どうすべきか迷っていると、突然、クリステル様の瞳から涙がこぼれ落ちてきた。
初めは、サレン様の身に何かがあったのかと思った。しかし、その表情は絶望でも悲哀でもない。驚きと喜びが混ざり合っているような、そんな表情だった。
そう思った瞬間、彼女の口からありえない言葉がこぼれ落ちてくる。
「お嬢様が。……お嬢様が、「アレン」をお呼びです」
思えば、この言葉が再び俺を悪夢へと導いた気がする。
すぐにわかった。
その「お嬢様」がアリスお嬢様だと、俺にはすぐにわかったんだ。
***
宮殿に向かうと、サレン様の部屋から侍医のジャック・フルニエが出てきたところだった。診察用の道具が詰め込まれたカバンを持った彼は、こちらに気づくと一礼して逆方向へと去ってしまう。
見てはいないと思いつつ俺らも頭を下げていると、クリステル様が部屋のドアをノックする。
「皇子、クリステル・フォン=ランペルージです」
「待ってたよ、入ってくれ」
すると、すぐにカイン皇子が扉を開けてくれた。その表情は、クリステル様とは違って複雑そうだ。しかも、そんな表情を俺に向けてくる。
その表情に疑問を持ちつつ部屋に入ると、ベッドの上に上半身を起こしたサレン様が見えた。こちらに向かって笑顔で手を振っているところを見ると、いつもの彼女だと思うが……。
「アレン、良かった会えて」
「……お嬢様なのですか?」
「ええ。ずっと会いたかった、アレン」
しかし、その口調はサレン様のものではなかった。一緒に城下町へ出向き、食事を共にした彼女とは明らかに違う。
口調だけじゃない。表情も、仕草さえも、サレン様ではないとすぐにわかった。
「どう、なって、いるのでしょう、か……」
「私にも、良くわからないの。暗い場所に居たのだけれど、気づいたらカイン皇子が居て」
「中庭で本を読んでいる最中におかしくなって、自分がアリスだと名乗ってきたんだ」
「……そんなことって」
そんなこと、あるわけがない。夢に決まっている。
最初、クリステル様の話を聞いた時はそう思っていた。しかし、実際に目の当たりにすると、考えをあらためた方が良さそうだという結論に至る。
このお方は、サレン様ではない。少なくとも、俺の知る彼女ではない。
「ただ、熱があるからあまり質問はしないでやってくれ。下がるまでは安静にしてくれと、ジャックに言われているんだ」
「わかりました……。ロバン公爵には早馬で知らせてあるのでしょうか?」
「ああ、最初に知らせてあるよ。数日でこちらに来るだろう」
「……そう、ですか」
カイン皇子と会話をしている最中も、アリスお嬢様と名乗ったサレン様は、俺の方へ視線を向けてニコニコしている。
その笑い方も、やはりサレン様のものではない。
「ねえ、アレン。お父様たちはどこ? 私が居なかった間、お仕事は溜めてない?」
「あ、えっと……」
「ジェームズは、まだ庭師で居るの? 料理番のメアリーは?」
「……アリスお嬢様」
「なあに?」
俺が会話する中、クリステル様が涙を浮かべてその光景を見ている。カイン皇子はやはり複雑そうな顔を崩さないが、まあ、婚約者が他の男にベタベタ話しかけているのは確かに歓迎するものではないか。
部屋の隅では、シエラとサリエルがこれまた状況を飲み込めていないような表情をしている。きっと、俺も同じような感じなのだろうな。
「えっと、その……」
「何よ、はっきりしないで」
「アレン、ここは喜んで良いところだぞ」
「そうよ、ロベール卿。経緯はどうであれ、記憶は確かにアリスお嬢様のものなのだから」
「……確かめたのですか」
しかし、彼女は何かが違った。
とはいえ、その「何か」がうまく説明できない。喉に刺さった小骨のように、心の中に小さな違和感を残すんだ。
俺が質問をすると、
「アレンは、相変わらず用心深いのね。私がお庭へ行く時、何度も戸締りを確認していたのを思い出すわ。懐かしい」
と、彼女が笑い飛ばしてくる。
確かに当時の俺は、お嬢様のお仕事の書類を紛失することを恐れ、何度も戸締りを確認していた。そのことで、お嬢様に「執事じゃなくて用心棒」と笑われたのも記憶にある。あるのだが……。
「俺も、懐かしいです。またこうやって、お嬢様とお話しできるとは思っていなく……」
「私もよ。また一緒にお仕事をしてくれる? ……あ、でも、この身体って、カイン皇子の婚約者サレン様のものなのよね」
「サレン殿は、どこに居るんだい?」
「それが、良くわからなくて。ごめんなさい、カイン皇子」
そうだ、この表情。
謝る時に、眉を下げる……これは、アリスお嬢様の表情だ。何度も無茶を言われてこのお顔をされていたから、今でも鮮明に覚えている。
「これからどうするか、熱が下がってからゆっくり話そう」
「わかりました、カイン皇子。お気遣い、ありがとうございます」
「お嬢様は、相変わらず礼儀正しいのですね」
「最低限のマナーしか知らないわよ」
「いえ、お嬢様はいつもそうやって背筋を伸ばしてお仕事をなされておりました。ああ、懐かしいです」
「熱が下がったら、お仕事させてね。私、領民の生活を支えたいの」
「……」
ここまで似通っていれば、調べなくても彼女の中身がアリスお嬢様であることは紛れもない事実だ。それは、俺も認めよう。
しかし、やはり「小骨」は喉奥に居座り続けている。何が引っかかっているのか考えようにも、クリステル様と話しているお嬢様の笑顔がそれを邪魔する。
「アレン、もっとこっちに来て顔を見せて」
「……はい、お嬢様」
「急にごめんなさいね、混乱させて。でも私、側にアレンを置きたいの。ダメかしら」
「それは、カイン皇子におっしゃってください。私が許可を出すものではございません」
「そう、よね」
「ただ、熱が下がるまでのお世話くらいなら……」
「本当?」
悲しそうな顔に耐えられなくなった俺は、カイン皇子の許可もなしにそんな約束をしてしまった。無論、彼から睨まれるもののここまで来たらやるしかない。
シエラとクリステル様がニヤニヤと見守る中、俺は、
「はい、また頼ってくださって嬉しいです」
と、笑顔で返事をする。
***
「ねえ、イリヤ」
「はい、お嬢様」
明日は、延びに延びていたガロン侯爵とお会いする日なの。
王宮の中は混乱中だけど、日常業務も進めないと領民たちが困るからって。前回の続きをした後、ガロン侯爵ができていないお仕事を貰い受けることになっているのよ。
今から楽しみでしょうがない。
それもあって、今日は良く筆がのるわ。
でも、心は重いまま。
「明日、イリヤもついてきてくれる?」
「そのつもりですよ。お嬢様を危険に晒すわけには行きませんから」
「……ごめんね」
イリヤは、グロスター家に起こっている出来事を調べてくれた。
お兄様がいまだに拘束されていること、領民たちの暴動、それに、お父様たちの死因がわからないことも。他にも情報があるらしいんだけど、確定ではないんだって。確実な情報になったらすぐ教えてくれるって、約束したの。今は、それ待ち。
私が謝罪の言葉を言うと、近づいて頭を撫でてくれる。
アリスだってバラしたあの日から、彼女は積極的に私の頭を撫でてくれるようになった。その手が温かくてとても心地よいの。お父様、お母様に撫でられているみたいでとても安心する。
「いいえ。むしろ、サルバトーレのクソ野郎から守れず申し訳ございませんでした」
「良いのよ。あの人、お兄様に似てたから対処しやすかったし」
「次来たら、イリヤが刻みます」
「……比喩よね?」
やっぱり、イリヤが言うと怖いわ。ほら、目が笑ってない。
背中がゾワッとした私は、慌ててペンを握りしめて文字を書く。
ペンだこが痛むも、それは私にとって悪いものではない。むしろ、もう感じることはないと思っていた部類の痛みなので、とても嬉しいの。だって、ペンだこって硬くなっちゃったら痛まないでしょう?
「大丈夫です、腹八分でやめておきます」
「……目八分じゃなくて?」
「そうとも言います、ふふん」
「ふふ、イリヤは面白いわね」
この身体は、ベルのもの。
私は、イリヤに正体を明かしたのを機に、その考えを持った。
だから、身体を大事にしないと。いつか、ベルに返す時がくるんだから。
次、ベルに会った時にその話をしてみよう。
「お嬢様、失礼します」
「アラン、お疲れ様」
「お疲れ様です、お嬢様。お気遣い、ありがとうございます」
「何か、用事?」
ベルのことを考えていると、そこにアランがやってきた。眉間にシワを寄せて、いつもより難しい顔をしている。
どうしたのかしら?
「あの、えっと……」
「なあに、追加のお仕事? 良いわよ、どうせお父様がおサボりしてるのでしょう?」
「それもそうなのですが、別件で」
「ありがとう」
アランは、片手に持っていた手紙を差し出してくる。どうやら、私宛らしいわ。えっと、差出人は……。
「え、サルバトーレ?」
「お嬢様、お貸しください。イリヤが焼き芋をする着火剤にしますので」
噂をすれば……ってやつね。封筒には、サルバトーレのサインが記されている。私が名前を言うと、すぐにイリヤの顔から表情という表情が消え去った。
それを見たアランは、「巻き込まれたくない」と表情に出しつつどこかに行ってしまう。
「ま、待ってよ。内容だけでも読んでから……」
「大丈夫です、読んだら脳が腐りますのでこちらにお渡しください」
「大丈夫よ。ちょっと見ちゃうわ……ね」
封筒を切ると、これまた金ピカな紙が入っていた。目がチカチカして痛いわ。こんな紙、どこに売ってるの?
いえ、それより今は内容ね。内容は……。
「……イリヤ」
「はい、お嬢様」
「今日の夕方、サルバトーレが来るらしいわ」
夕方の時刻まで、あと2時間弱。
私は、封筒片手にどうしたら良いのか考え始める。
でも、すぐは答えが出ない。
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