06

皇帝直属部隊騎士団元団長、イリヤ・ルフェーブルという奴



 あの後、イリヤは少し泣いた。


『もう、以前のベルお嬢様はいらっしゃらないのですね』


 そう言って、一筋涙をこぼしたの。


 なんと言ったら良いのか分からず、私はベルと会っていることを話せなかった。

 だって、あのベルが何なのか私もわかっていないんだもの。もう少しあの子の話を聞いてから伝えた方がいい気がする。

 だから、ただただ泣く彼女を抱きしめることしかできなかったのよ。私は。



***



「お嬢様、白湯をお持ちしました」

「ありがとう」


 今日は、イリヤがお休みなの。

 なんでも旧友に会いに行くとか。最近ずっと私のことで働き詰めだったから、リフレッシュしてくれると良いな。


 ガロン侯爵からいただいた追加のお仕事をしながらそんなことを考えていると、部屋にアインスが入ってきた。その手には、いつものグラスが握られている。


「そろそろ休憩してもよろしいかと」

「アインスこそ、昨日も王宮に出向いたのでしょう? 少しお休みをとっても、お父様もお母様も何も言わないわよ」

「お気遣いありがとうございます。私の本業はお嬢様専属の医療者なので、昨日が休みのようなものです」

「アインス、それはオーバーワークだわ」

「お嬢様にも同じことが言えますよ。昨日も、夜遅くまでお仕事をされていたとお聞きしましたが」

「え、どうして知ってるの!? 隠したのに」

「ははは、ひっかかりましたな」


 またやっちゃった!

 先週も、同じ手で夜にお布団被って作物の収穫カレンダーを作っていたのを白状させられたばっかりなのに。私ったら、学ばないわね。

 いえ、アインスが鋭いのよ。やっぱり、あれね。亀の甲より年の劫ってやつだわ。


「もう! ……イリヤには内緒ね。また怒られちゃう」

「はて、どうしましょうか」

「ア、アインスゥ……」

「では、1時間程度休憩を取りましょう。それで手を打ちます」

「……わかったわ」


 時計を見ると、すでにお昼を回っていた。

 さっき朝ごはんを食べたばかりなのに。この時計、壊れてるんじゃないの?


 そう思って、机上の小さな時計を手に取り耳へ当ててもコチコチと秒針の規律的な音がするだけ。……壊れていないみたい。

 アインスは、そんな私を笑いながらグラスを手渡してくる。


「後ほど、アランがランチをお持ちします。ザンギフが、お仕事をしながらでも食べられるようにとサンドイッチにしておりましたが、私としてはランチに集中して欲しいところですな」

「……わかったわよう。その代わり」

「ええ、イリヤには内緒ですな」

「ありがとう、アインス!」


 でも、ここにいると来月の水道料金の予算計算をしちゃいそうだわ。

 ランチだけしてても、ミミリップ地方のことを考えてしまうの。まだちゃんとした情報は聞いていないのだけれど、お屋敷の使用人もかなりの数亡くなったみたいなの。


 イリヤの情報を聞く限り、ハンナやマリーナ、ドイットも居たとか。

 土の中にそのまま埋まっていたって聞いた時は、涙が止まらなかったわ。人間、何をしたらそんな残酷なことができるのかしら。

 ハンナたち、苦しかっただろうな。今、思い出しても胸が痛い。


「ねえ、アインス」

「はい、なんでしょうか」

「ランチなのだけれど……」

「お仕事をしながらは許可できかねます」

「あ、いえ。そうじゃなくて。……お庭で食べたいなって」


 以前パトリシア様とお茶を飲んだお庭なら、たくさんのお花があるから嫌なこと考えずに食べられると思うの。彼女にもらったローズマリーが根付いたらしいから、それも見たいし。


 私がおずおずと提案すると、アインスの表情が柔らかいものになっていく。


「良いですな。ただし、今日は風が強いので、膝掛けをするのが条件でいかがでしょうか」

「ええ、ありがとう!」

「では、少々お待ちください。アランに予定変更の連絡をしてまた戻ります」

「お願いね。……歩いても良い?」

「行きだけ許可します。帰りは、私が押しますので、車椅子に乗ってください」

「わかったわ。ありがとう」


 リハビリに、屋敷内で移動する時は車椅子を使わないようにしてるの。結構早く歩けるようになったのよ。

 ……次の日、筋肉痛がすごいけど。アインス的には、「筋肉痛があると言うことは、筋肉を使っている証。そして、すぐに痛むのは若い証拠ですぞ」らしいの。でも、痛くてヒーヒーしてる時に笑いながら言うのは結構鬼畜じゃない?


 私は、部屋を出て行ったアインスの背中を見ながら、今までやっていたお仕事を片付けに入った。

 終わったら、白湯を飲みながらアインスを待とう。

 



***




「……お前、別に俺のところに来るだけならそんな格好しなくて良いぞ」

「あれ、寮って女性の入室禁止じゃなかった?」

「明確には決まっていないが……。とりあえず、入れば?」

「お邪魔しまー……うわ、相変わらず殺風景すぎ」


 グロスター伯爵の屋敷から戻ってきて3日目の昼。やっと仕事を一段落させ寮へ休憩しに戻ると、部屋の入り口に見知った顔を見つけた。


 そいつは、長い髪を後ろ手に1本で縛り俺に向かって笑顔で手を振っている。いつもなら女性の格好をしているのに、今日は珍しく黒ベストに白シャツ、黒パンツという男性にしか見えない格好をしていた。

 その表情は……相変わらず何を考えているのかわからない。


「自分の部屋だよ。好きにさせろ」

「もっとさー、快適さというか。あーもう、窓際埃まみれ!」

「……おい、お前はメイドの仕事をしに来たのか?」

「まあ、半分そう」


 部屋に入るなり、窓辺に行き人差し指を窓枠にスーッと這わせている。……こいつは、何をしに来たのだろうか。

 俺が呆れながら見ていると、指についた埃をフッと息で吹き飛ばしベッドに腰をおろした。……本当、自由奔放なやつ。


「話を聞こう。ただし、手短にしてくれ。連日、ミミリップ地方の処理に追われているんだ」

「そのミミリップの情報をもらいに来たんだけど」

「……は?」


 上着をポールラックにかけて一息つこうとするも、そうはさせてくれないらしい。まあ、こいつが来た時点でそれを期待した俺が悪かったか。


「ミミリップの情報、頂戴♡」

「……イリヤ。お願いだから、普通に話してくれ。吐きそうだ」

「なんだ、こう言うのが好みかと思ってた」


 こいつは、イリヤ・ルフェーブル。

 皇帝直属部隊騎士団の元団長で、言ってしまえば俺の前任のやつだ。今のように第一第二と分かれていない時代に団長をしていたという、所謂天才……俺に言わせてみれば、頭のおかしいやつと言ったところ。

 100人以上の団員を一気に見て、1人ひとりに合った指導や助言ができていたと言うんだから化け物だろう? 剣の腕もさる事ながら、その頭脳だって過去を見ても王宮一と言われているしな。脱退した今でも、当時から居る団員には恐れられているよ。怒らせたら怖い鬼団長、ってな。


 今は男の格好をしているが、イリヤは女だ。身体は男性、心は女性という。

 それがトリガーになり元老院とのトラブルもあって、今は脱退している。爵位も剥奪されたとかされていないとか。

 まあ、爵位があろうが無かろうが、こいつが今の騎士団を作り上げた事実は変わらない。だから、俺も尊敬はしてるさ。


「良いけど……。何が聞きたいんだ?」

「地方の状況とグロスター家の現状、それに、捕らえられている伯爵の長男について」


 本来であれば、王宮外の人間に教えられるような内容ではない。しかし、こいつにそんなことを言っても仕方ない。なぜなら、俺が口を閉ざしていても、どこからか情報を取ってきてしまうから。

 下手に探偵を雇うなら、イリヤに頼んだ方が賢明だと断言できるくらいすごい情報網を持っているんだ。


 だから、なぜ俺のところにそれを聞きに来たのかが謎だ。他のやつの方が、簡単に聞き出せると思うが。

 

「はあ……。良いけど、情報の扱いには注意しろよ」

「ありがと。話の途中で、何か気づいたら助言くらいはする」

「それは助かる。正直、行き詰まっていて王宮の空気もギスギスしてるんだ」

「へー、大変そー」

「他人事みたいな言い方すんな」

「いや、他人事だし」

「まあ、そうか」


 俺は、ジョセフが口を割らないこと、グロスターの屋敷を取り囲む領民など現状を話した。するとイリヤは、俺の話に一言も口を挟まずに真剣な表情で聞いている。こう言う時のこいつの集中力は、羨ましいよ。聞き返せば、一言一句違わずに言ったことを復唱できるんだから。

 

「ジョセフって、確か鉱山見つけたって奴?」

「よく知ってるな……。そうだよ」

「ふーん。その鉱山、管理者は誰になってる? 確か、伯爵以上の爵位を持ってないと管理者になれないよね」

「俺も気になって調べたよ。管理者は、グロスター伯爵になってた」

「なるほど。じゃあ、その鉱山の現状は?」

「現状って?」

「現地に行って、実際に見たのかってこと。ただの採掘場なのか、それとも選鉱や製錬ができる施設も併設されているのかとか」

「あー……。確認してないな」

「怠慢」

「……言い返せねえ」


 言い訳になるが、俺も確認しようとしたさ。確認しようとした矢先にミミリップの事件だよ。今は、そっちで精一杯だ。

 しかし、イリヤがそこに着目するってことは調べて損はなさそうだ。クリステル様に言って、シエラたちを連れて行ってみるか。


「僕の見解聞きたい?」

「ぜひ」

「まず、ジョセフが拘束されてすぐこんな事件が起きるのはおかしい。爵位を継ぐ息子が監獄にぶち込まれそうだとなったら、さすがのグロスターも焦るでしょう」

「まあ、爵位剥奪なんかになったら、あの成金は許さないだろうな」

「そ。なのに、事件になるようなことに顔を突っ込んでいた。……ということは、誰か第三者がそこに関与してるか、そもそも後継が必要じゃない状況になっていたかの2つ。僕的には、第三者の関与かな。じゃないと、領民長と伯爵夫人が消えた理由が説明できない」

「その2人で駆け落ちとかは?」

「んー……。なくはないけど、非効率すぎる。アインスに死体の状態聞いたけど、争った跡とかなかったんでしょ? 線の細い夫人が伯爵を殺すには無理があるし、領民長だって初老男性だ。抵抗跡があれば話は別だけど、それもなかったとすればそこにいた人数を増やす必要がある」

「理屈はそうだな。だが、使用人のほとんどが土に埋められていたんだぞ。人数を増やしたところ、で……」


 ああ。こいつ、フォンテーヌ家に仕えているんだった。なぜそこで侍女をしているのかはわからないが、生き生きしているイリヤを見る限りそこに心配は不要そうだ。

 それよりも、俺は今の話で第三者の関与の決定的な証拠を見つけてしまう。


「そうだ。埋められていた遺体は、土の中に居た時間が全部微妙に違っていた。それって……」

「第三者が、その使用人を使って何かをしていたってこと。話を聞く限り、グロスターにそんな度胸はないし、夫人だって領民長だって同じだ。見せしめなのか、不要になったからかは話じゃわからないけど、グロスター家は誰かに乗っ取られていた線で捜査を進めた方が良い」

「……イリヤ、戻ってくる気はないか?」


 王宮にいた誰もが、悪魔と呼ばれた問題児、グロスター伯爵の暴走と決めつけて捜査をしていた。俺も俺で、そう思いながら動いていたから目から鱗だったよ。全く、頭が硬くなったものだ。

 

 しかし、第三者の関与があったとすれば、直近のグロスター伯爵が提出した書類をかき集めて筆跡鑑定をした方が良さそうだ。仕事ができないと言われている伯爵が、毎回遅れもせずに仕事を提出していたことだって今思えばおかしい。もしかして、それも第三者が?


「あるわけないでしょう。元老院の顔も見たくないし、思い出したくもない」

「だよなあ。とりあえず、鉱山の調査とグロスター伯爵の提出した仕事内容の筆跡鑑定は優先して進める」

「あと、ジョセフも見張っておいた方が良い」

「……なぜ?」

「何か、重要なことを知っている可能性が高い。薬物反応とかは出たの?」

「鋭いな。牢屋にぶち込んだその日に出てるよ。だが、今は抜け切ってるだろう」

「ということは、調べてないのね。それ、もう一度検査した方が良いよ」

「まさか、誰かがあいつに薬物を与え続けてるとでも言うのか? 王宮の管理下にあるんだぞ」

「僕は、可能性の話をしてるだけ。事実かどうかを決めるのは、アレンでしょう」

「……調べる」


 そうだ。決めつけは、捜査を誤らせるってさっき学んだばかりじゃないか。

 だが、もし再度薬物反応が出たら王宮関係者に犯人が居ることになる。これは、慎重に進めないと大混乱になるぞ……。


「他には、何かないの?」

「他は特に……。祖父母は2年前に流行り病で亡くなってるらしいし、消えた領民のほとんどは移住しただけって報告が来てるし。……ああ、そうだ。一部の領民が隣国に移っていたよ」

「隣国ってカウヌ?」

「ああ。理由に関してはまだ調査中だ。ただ、王宮に国境を通るための申請は来てないから違法な移動だと言うことはわかってる」

「なるほどねえ。……他には」

「他は……」


 イリヤは、組んでいた足を戻し考え込むようなポーズをしている。

 こう見ると、男だよなあ。ジョセフを捕らえた時に見たこいつは、完全に女だったが。本当、カメレオンみたいなやつ。


「ああ、そうだ。本がな」

「本?」

「グロスター伯爵の屋敷に、本棚があるのだが……。グリム童話が1冊分なくなってたよ」

「どの部分?」

「さあ。ちゃんとは見てな……はいはい、見ておきます」


 言いたいことはわかる。俺も、なぜあの時確かめなかったのか自分を責めてるよ。

 だから、そんな呆れた顔して俺を見ないでくれ。


「まあ、ありがとう。大体の状況は理解したよ」

「力不足ですまない」

「組織の人間は、仲間内で考えが固まってしまう傾向にあるからな。その点、僕は自由だから」

「否定はしない」

「あはは。アレンは、若いなりに頑張ってるよ」

「……2つしか違わないだろう」

「2年はでかいよ」

「……ベル嬢は元気か?」


 俺は21、イリヤは今年で23。2年しか違わないのに、こいつの方がずっと大人だ。羨ましいくらいに。


 イリヤに「頑張ってる」と言われて気恥ずかしくなった俺は、話題を変えた。すると、


「元気だよ。ちょっと仕事をしすぎではあるけど」

「お前がセーブしてやれよ。まだ体調が万全じゃないだろうに」

「何、アレン。お嬢様に興味あんの?」

「バッバカ! んなわけ」


 と、茶化される。

 なぜか、他のやつもなのだが、俺が女性の話をすると茶化してくるんだ。なんでだ?


 顔が熱くなった俺は、両手で扇ぎながらイリヤを睨みつける。


「渡さないよ。悪いけど」

「はあ? 俺は騎士団メンバーだから、執事の真似事はできないぞ」

「その言葉、覚えておいてね」

「……?」


 でも、イリヤはそんな睨みをなんとも思っていないかのように立ち上がった。帰るらしい。

 見送りに行こうと思い、先ほど脱いだ上着を着ようとポールに近づく。すると、後ろから質問が……意味のよくわからない質問が飛んでくる。


「そうそう。アリス・グロスター伯爵令嬢の好きなものって何?」

「は? アリスお嬢様の好きなもの? それも、事件に関係するのか?」

「いいからいいから」

「……お嬢様は、赤いバラがお好きだ。カモミールティとドライフルーツはいつもセットで召し上がっていた。特に、オレンジピールのチョコがけはとても良く反応していたよ。かといって、それをよく出すと怒るんだ。贅沢だって。あと、食べ物は肉より魚派、だが、鴨肉はお好きなようだった。それに」

「お前、5年前なのにそんな出てくるのか」

「……悪かったな」


 話しすぎたか? まだ出てくるが。


 俺の話を聞いたイリヤは、本日2度目くらいの呆れた顔をしてくる。なんだってんだ、全く。

 でも、その話で懐かしさが出てきて心が洗われた。今回の事件に、アリスお嬢様が巻き込まれていなくて良かった。彼女なら、絶対に胸を痛めるから。家族が大好きな、彼女なら。


 いや。巻き込まれたとしても、俺がお守りした。

 今の俺なら、彼女を守るだけの力がある。


「まあ、いいや。助かったよ。じゃあ、僕は帰る」

「え、ちょっと待てよ。聞いた理由教えろって。お嬢様が事件と関係するのか?」

「今から、マッサージしてもらいに行くんだあ。城下町の端にある、エステの。楽しみ〜」

「おい、質問に答えろ!」

「ああ、そうだ。さっきここにきた時、シエラが部屋に女性連れ込んでたよ」

「はあ!? またあいつは!!!」


 何度目だ! 一昨日注意したばかりだろうに。


 シエラに対する怒りを溜めていると、目の前にいたはずのイリヤがいなくなっていることに気づく。……逃げられたらしい。

 あいつ、相変わらず逃げ足が早すぎる。今度会ったら、質問の意味を聞こう。


「……仮眠とって、王宮に戻るか」


 アリスお嬢様にお会いしたい。

 夢の中でも良い。一度で良いから、抱きしめて「大丈夫」と伝えたい。そう思うも、今まで一度も彼女の夢を見たことがない。


 ……でもまあ、今はベル嬢が元気なら良いか。

 俺はなぜかそう思いながら、ベッドへと身体を沈めた。


 

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