14 世の中には絶対はあるし、絶対はない


 あれから椿の部屋に戻り、椿と琴音は女子トークに花を咲かせ、俺は先ほどのバスルームでの会話に頭を抱えていた。


「どないなっとるどうなってるマジ謎理解不能意味不明……」


 さっきからこうして同じような言葉を無限ループしている。頭を抱えている割に、思考は完全に停止状態だ。


「先程からどうされたのですか? 紅茶を飲んで気分を落ち着かせてみては?」

「――え、ああ、うん」


 テーブルの上にはメイドの方が運んできてくれた紅茶やお菓子が置かれている。

 とりあえず椿の言うように、紅茶を口に含む。


「よかったね隼人。望めば一緒にお風呂にだって入ってくれる女友達がいて」

「ゴホッ……!」


 何でこのタイミングでそれを言うんだ。危うく口に含んだ紅茶吹き出しそうになったじゃねえか……椿の部屋を汚すわけにはいかないからギリギリ耐えたけどさ。


「しかも超可愛い子だし」

「流石に冗談に決まってね……?」

「はい。先程はつい欲が表に出てしまいましたが、椿と隼人くんはそのような関係ではありませんでしたね……」


 その欲とは一体……いや、聞かないでおこう。セクハラになりかねんしな。


 というか、既に何か気まずい雰囲気……とりあえずケーキ食べて様子見――、


「じゃあさ、そういう関係になりたい相手とかはいるの?」


 しようと思ったが、琴音の椿への質問でフォークを持つ手が止まった。

 その答えを聞き逃すわけにはいかない。


「それって、もしかして――」

「つばきちって……実はかなりのむっつりスケベ?」


 椿が頬を赤らめながら琴音に耳打ちする。そして琴音は、椿をジトっと見て聞き返す。

 その様子だけで、どんな話をしてるのか何となく予想できた。


「違うもん、むっつりスケベじゃなくて普通に興味あるもん……! 但し、愛する人と限定だけど」

「当然いつかはそれもするんだろうけど、あたしが聞きたいのはその相手はいるのかってことよ」

「つまり?」

「前から聞きたかったんだけど、つばきちって好きな人いたりするの?」


 心臓がドクンッと跳ねた。そして鼓動は加速し、その答えを知りたいやら知るのが怖いやら、色んな感情が体内を巡り、全身から汗が滲む。


「……いるわよ」

「――っ?!」


 椿の口から答えが出た。

 それが自分だったら最高なのだが、そうともわからない以上は、いないという答えの方がよかったのかもしれない。

 だから結局俺はまた、ただ黙って話に耳を傾けることしかできなかった。


「……小五の時から今日までずっと大好きな人がいるの。これからもこの想いは一生変わらない」


 そして今の椿の発言を聞き、俺の右手からフォークが抜け落ち、ケーキの乗った皿とぶつかり、小さな金属音が部屋に響く。


 俺にとってあまりにも絶望的な真実。

 まずその相手が俺ではないことは確定した。だって俺と椿が初めて交流したのは数ヶ月前だし……そんな昔とかはお互いの存在だって知らなかったんだし……。


 そして何よりも俺に絶望感を与えているのは、椿が断言までしたからだ。『これからもこの想いは一生変わらない』と。


 それほどまでに椿が強く想っている相手に、俺は勝てるのか……?


 俺が獅堂徹をライバルだなんて思っていないのと同様に、その男からしたら俺なんかライバルに思わないだろう。

 いや、俺だけじゃなく南条椿に好意を抱くその他全ての男が、その圧倒的存在の前ではライバルになどなり得ない。


 つまり最初から、南条椿を巡る恋のレースにはライバルは存在しない。


 ただ、圧倒的存在の一強だったのだ。


「ねえねえつばきち、その人ってさ――」

「ひゃいっ?! な、何でわかったの……?!」


 何か二人で盛り上がってるみたいだが、思考が停止して会話が全く耳に入ってこない。


 そんな状態でぼーっとしていると、ふいに肩をちょんとつつかれた。

 横に顔を向けると、いつの間に移動してきたのか琴音が座っていた。


「椿は?」

「洗濯物を取り込みに行った。衣類もちゃんと畳めるってアピールしたいらしい」

「へぇ……」

「どうしたのよ、元気無いわね」

「別に……」

「恒例の風見隼人の勘違い、本日は南条邸よりお届けしますっ!」

「何が言いたい……つーかそれ、誰宛?」


 俺が今、何をどう勘違いしているというのだ。

 しかも恒例って……確かに俺は過去には勘違いでやらかしてきた男だけど、四月の一件以来はそれを反省して二度と同じ過ちを繰り返さないように意識して生きているのだぞ。


「今度テレビ番組でリポーターをやることになって、ちょっとその練習を」

「マジか、頑張れよ」

「冗談だけど」


 わかってるわ……冗談じゃなかったらお前は芸能人とかアナウンサーってことになるもんな。


「今更確認するけどさ、あんたってつばきちラブでしょ?」

「やっぱ気付いてたんだな……」

「まあね。……で、つばきちが想いを寄せる相手は自分じゃないと思って落ち込んでるわけよね?」

「そうだよ。だって絶対勝てねえじゃん」

「はい、出ました勘違い」


 琴音は一体何が言いたいのか。これが勘違いだというのなら、その想い人とやらに俺なんかでも勝てるということになる。

 しかし、椿のあの固い意思を考えると、とてもそうは思えない。


「どこら辺が勘違いなんだよ」

「まあ、色々と?」

「わかんねえよ」

「一つ言うとしたら――世の中には絶対はあるし、絶対はない、ってことね」

「マジ意味不明だわ」


 難し過ぎて、とてもじゃないが俺の頭では理解できなかった。できればもう少し簡単に説明してほしい。


「あんたが諦めなければ絶対結ばれるけど、諦めたらそうとも限らないでしょ」

「何を根拠にそんなこと……」


 そう思ってくれているのは有り難い。諦めるつもりはないから余計にそう思う。

 が、自信自体は失っているのだ。だからこそ、琴音がそう思う根拠を教えてほしい。


「つばきちは、この想いは一生変わらないって言ってたけど、まあ絶対そうだと思うわ。でも、その想い人よりも素敵な男が現れたら、もしかしたら変わっちゃうかもしれないでしょ」

「俺にその、今の想い人を越える素敵な男になれと?」

「いや、だから……要するに、諦めなきゃあんたがつばきちと結ばれるに決まってんだから、誰にも負けないような素敵な男になれって言ってんのよ!」

「――っ!!」


 その言葉は、不思議と俺の心に響いていた。

 そうだ。俺に残された道はそれしかないのだ。


 例えどれだけ頑張ろうが椿の想いが変わらないのだとしても、俺は椿に振り向いてもらえるように努力し続けるしかないのだ。


 なんだか、富士流ハイランドでの出来事を思い出す。


 仏織姫歌さん――魔法天使ライラちゃんは言っていた。『もしあなたがあの子を好きになったら、その心で振り向かせるの。大丈夫、きっと伝わるから』と。


 俺のこの想いは絶対誰にも負けてなんかいない。大丈夫だ、きっといつか伝わる。ライラちゃんだってそう言ってたし、信じるんだ。自分自身を……!


 そう思うと、気付けば心の陰りは無くなっていた。


 ふぅ……これも、仏織姫歌さんと星名琴音様のおかげかな。


「――あっ、そうだライラちゃんといえば……!」

「は? 何で急にライラちゃんが出てくるわけ」

「何言ってんだ? 今日はライラジオ公開収録の当落発表の日だぞ?! お、もうメール届いてる!」


 緊張でスマホを持つ手が震えるぜ。さあ、神様……頼む!


「うがああああああああっ! そうだったぁ………………!」

「――ひっ?! なんだよいきなり大声出して」


 見れば、琴音は頭を抱えながらソファーの端に額をくっ付けている。


「琴音ちゃん……?! なんかあった?! 大丈夫……?!」


 椿も琴音の大声を聞きつけて、窓の所から心配そうに様子を確認している。


「あ、ううん……別に大した問題じゃないからつばきちは気にしないで」

「ん?」


 苦笑いを浮かべながらそう答える琴音を見て、椿は首を傾げながらもひとまず洗濯物を取り込みに戻った。


「どうした、そんな焦っちゃって。まさか、世界一ライラちゃんを愛すると豪語するお前が、公開収録に応募し忘れたとか言わねえよな?」

「……いいからさっさと結果見なさいよ」


 あ、こいつ応募し忘れたな? 世界一ライラちゃんを愛するとか言ってる人間とは思えないあるまじき失態だな。


「落選してろ落選してろ落選してろ落選してろ落選してろ――」

「おい、自分が応募し忘れたからって人を道連れにしようとすんな」


 クソ……しかもこいつのせいで緊張感まで無くなっちまった。まあ、そのおかげですんなりメールも開けるんだけどさ……、


「………………あっ、落ちた」


 ショック過ぎる。緊張感とか失ってたのに、それでもやっぱりこの結果は辛い。


「いえーい! ま、倍率エグいだろうしそれが普通よね。そもそも当選者の半分は小学生以下の子供とその親だし、残りの半分って言ったら五十人。当然当たるわけないっしょ!」

「え、そうだったの……?! そんな情報あったっけ?」

「――え?! あ、だからその……子供向けアニメなんだし、そうなんじゃないかと思っただけよ」

「なるほど……言われてみれば確かにそうだよな」


 いや、だとしても、まだ希望は捨てないからな。キャンセル待ち復活という奇跡だって起こるかもしれないし。


 つーか、俺が落選して何でそこまで喜ぶんだよ。

 抜け駆けは許さないってか? だったら応募し忘れんなや。


「よいしょっと――あっ!」


 椿が洗濯かごを持ってルーフバルコニーから戻ってくる。

 そして掛け時計を見て何かを思い出すように声を上げたかと思ったら、すぐさま自分のスマホの元に小走りで向かい、何やら緊張しているかのような表情で操作し始めた。


 その様子を見て一瞬で察した。

 椿は今、ライラジオ公開収録の当落結果を確認しているのだ。


「――ぎゃあああっ……! せっかく織姫ちゃんに会えると思ったのにいいぃ……! なんでええぇ……!」


 椿が発狂している。この様子では俺と同じく落選したんだろうな。


「…………ははっ、まさかね」


 琴音はバツが悪そうな顔をしながら乾いた笑い声を漏らし、椿の隣に移った。


「ねえつばきち、織姫ちゃんって……誰のこと?」

「あ、えっと、それは……」


 椿の目が泳いでいる。

 織姫ちゃんとは、恐らく仏織姫歌のことだ。椿はそれを答えて、ライラちゃん好きだとバレるのを恐れているのだろう。


「琴音は自称、世界一ライラちゃんを愛する女子高生、だそうだぞ」

「え、琴音ちゃんもだったの?! あ、でも言われてみればライラちゃんの映画も観に来てたわよね! そっかそっか!」


 そう言う椿を見て、琴音と初めて接した日のことを思い出した。

 そう、それはライラちゃんの映画を観直しに行って、隣の席に琴音が座っていた日。

 椿にはてっきりハンバーガーショップから後を付けられていたものだとばかり思っていたが、どうやら映画館からだったみたいだ。


「つばきちもライラちゃん好きだったの?!」

「うん!」

「なるほど、つまりあの日は映画館からあたし達の後を付けてたのね。納得したわ」


 琴音もそれに気付いたのか、左手のひらを右手の拳でぽんと叩く。


 つーか、椿も観直しに行ってたんだな……。


「で、織姫ちゃんとは仏織姫歌のことを言ってるのよね?」

「そうよ」

「はぁ……マジよかった。つばきちも公開収録に落選したみたいで」

「全然よくないわよ……!」


 椿が琴音に声を荒げる。その気持ち、わからんでもない。


 抜け駆けは許さない精神強すぎないか? 自分が応募し忘れたのが悪いだけなんだし、だから俺達の落選を喜ぶなや。


「俺達はまだ諦めねえからな?! 応募し忘れたお前と違って、まだキャンセル待ち当選の可能性が残されてるんだからな」

「あ、そうじゃん、まだほんの僅かに望みはあるんじゃない! はあぁ……織姫ちゃん待っててね、必ず椿が会いに行くからっ」

「俺も、あの時のお礼を言いたいな――」


 仏織姫歌――魔法天使ライラちゃんからのお言葉にどれほど救われたか、そして実際に当時抱えていた問題も解決できた。

 向こうからしたら迷惑かもしれないが、やはり直接感謝を述べたいものだ。


「あれ、隼人くんは織姫ちゃんに会ったことあるんですか?」

「ああ、この前富士流行った時に」

「聞いてないんですけど?! え、いつの間に――っていうか、どういう経緯で?! 織姫ちゃんは顔出ししてないではありませんか! なのにどうやって……お互い知らない人同士ですよね?!」


 そうだった……まだ椿には教えてなかったんだった。というか、自慢に聞こえてしまったりしていないだろうか。物凄く不安だ。


「どんな方でしたか?!」

「いや、柱の後ろから話しかけられたから、姿は見てない……」

「そうなのですか……でも、どうして織姫ちゃんの方から話しかけてくれたのでしょう?」

「お化け屋敷に並んでた時くらいからその後まで、俺達の様子が目に入ってたらしい。で、心配してくれたみたい。えっと、その……あの時は色々あったじゃん?」

「隼人くんが迷子になりましたね」

「その節は本当にごめんなさい……!」


 勝手に思い詰めて、それで逃げて。せっかくの遊園地という楽しい時間の一部を台無しにしてしまったのは俺だ。

 椿としても責めているつもりは無いと思うが、ここはもう一度頭を下げておく。


「もう大体わかりました。やっぱり織姫ちゃんはいい人みたいですねっ。しかも絶対可愛いし、スタイルも抜群だろうし!」

「だな」


 見ず知らずの俺達の為に一肌脱いでくれたくらいだから、言うまでもなくいい人だ。というか、よく考えたらお人好し過ぎるだろ……。

 それに、ライラちゃんの中の人が可愛くないわけがない。まあ、これはただの俺の願望だが。


「ハッ……その予想を裏切る貧乳チビだったりしてね」

「おいおい、お前だってライラちゃん好きじゃねえか。なのに中の人の仏織姫歌さんをそんな風に言うなよ。つーかそれ、お前じゃん?」

「おいコラッ、誰がまな板チビだって? 禁止ワード設定してあったはずよね?」


 いや、俺は直接はそのワードを口にしてないし。言ったのはお前だし。まあ、言いたかったことは琴音はロリ――つまりそれで合ってるけど。


「はぁ……とにかく、落選した以上は仏織姫歌の素顔を知る機会なんてもう無いわけだし、考えるだけ無駄よ」


 確かにそうかもしれない。数枠のキャンセルは出るだろうが、だからといってそれで当選するわけがないのだから。仮にそれで当選なんてマジで奇跡だ。


 それでも――『世の中には絶対はあるし、絶対はない』。


 だったら、そんな奇跡は絶対起こらないとわかってても、起こるかもしれないと信じてみよう。

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