26 迷える子羊
「イヤアアアァッ! うわあああんっ……」
富士流が誇る最恐のお化け屋敷。
その圧倒的恐怖感には、流石の俺もビビって足が竦んでいた。
これ、ゴールするのとか不可能じゃね……?
でも、できないと一生この建物の中じゃん……マジ詰んだ。
なんて、お化け屋敷に入ってからの数十分は本気でそう思えるほどに足が震えていたのだが……。
ガイコツの山を見ては叫び泣き、突然の物音には過激に反応してまた泣いてと、そんな椿と一緒にいると自然と冷静になっていた。
まぁ、実際はまだ怖いには怖いが、この展開では俺がしっかりしなければいけない。
「ほら、泣くなよ。そんなんじゃいつまで経ってもゴールできないぞ」
だからこそ、今の俺の役目はこの泣きじゃくる女の子を無事ゴールまで導く事だと思う他にない。
「だって……だって、怖いものは怖いんですぅ……」
じゃあ何で入る選択をしたんだよ……最初から分かってたよね? 自分がお化け屋敷苦手だって。
「だからその……手」
「ん?」
「手を、繋いでもらえませんか?」
「……へ?」
今、何と言った? 手を繋いで欲しい? 俺に?
「そうしてもらえると、もう何も怖くなくなりますので」
どうやら聞き間違えでもなかったらしい。だが、本当にそうしてしまって良いのか。それをしてしまうと、また俺は自分の中の思考と戦わなくてはならなくなるかもしれない。
南条椿が俺に好意を抱いているのではないかと、途方もなく哀れな勘違い。こんな所まで来て、どうして何度も思い悩まなければならないのだ。
違う。絶対にあり得ない――あの一件で痛いほど理解した。
あの時だって結局そうだった。俺に都合の良い展開なんて、あるはずがないのだ。
だからそもそも、思い悩む必要なんてない。自分のどうしようもない思考と戦う必要なんてないのだ。
椿だって、何でこんな発言をしてきたのかと言えば、それがこのお化け屋敷から脱出する最善の手段だと考えたから。きっとそうだ。
そうして自分を納得させた俺は、勇気を出してそっと椿の手を握った。
流石に手を繋ぐともなると、緊張だってするし勇気だっているのだ。
俺に手を握られた椿は、何も言わずに微笑している。
その反応を見てしまうと、淡い期待が生まれそうになるが、椿のこれは言葉通りの安心から来ている。これでやっと、お化け屋敷をゴールできると。
だから、俺は戦う必要はないのだ。自分にそう言い聞かせて、
「進むか」
椿を見てそう言った。
それを聞いた椿はコクリと頷く。
ゆっくりと歩き始め、見えていた次の角を――、
「――イヤアアアッ!」
「――っ?!」
曲がろうとしたところでお化けが現れた。
それに驚いたのか、椿は奇声を上げて腕に抱きついてくる。
「いや、あの……椿?」
椿はぐすんっと泣いて俺の腕を離さない。
や、柔らか……じゃなかった。この密着はいくらなんでも色々まずい……。
こうなると、思考と戦うとか関係無しに全身が熱くなってしまう。
「手を繋げば大丈夫なんじゃなかったのでは……?」
「そう思ったんですけど、今のは不意打ちすぎて……」
「そ、そっか。なら良いんだ」
言うまでもなく衝動的な行動だったのだと、椿にその気が無いのを確認し、安堵のため息を吐く。
「……あれ? 離れないの……?」
さて、改めてゴールに向かって進もうと思ったのだが、椿は一向に俺の腕を解放してくれない。
「もう少しだけ、このままで――あの、お化け屋敷のゴールまでで良いですから」
と、椿は潤んだ瞳を向けてくる。この暗闇でも青く輝く目を見てしまうと、それを拒否しようとは思えなかった。
「……じゃあせめて、こっちにしてくれる?」
そう言って俺は右手を差し出す。
自分でも気付いている。さっきから心臓の音がうるさくなっている事に。
それを椿に悟られるわけにはいかない。自分に気があるのでは? などと思われる可能性を潰さなくてはいけない。
例え今の俺にその気が無くても、そう思われてしまえばこれまで築きあげてきたものが崩れ去ってしまうかもしれないから、絶対に。
椿は僅かに微笑し、俺の右腕に抱きついてくる。
そして、左手を俺の右手に絡ませて――、
「――は?」
「どうされました……?」
俺の反応を見てか、椿は不安げに聞いてくる。
「いや、どうって――」
言おうとして、口が止まった。この続きを発言してはならないと、俺の脳が信号を送ってきたのだ。
この手の繋ぎ方は俗に言う恋人繋ぎ。それを指摘してはダメだと、全てが終わるかもしれないぞと、俺の脳が訴えかけてくる。
「――いや、何でもない。行きますか」
だからその訴えに従い、平静を装い、ゴールを目指した。
◇◇◇
しばらくして、ようやくゴールに辿り着いた。
その間、何度か椿が奇声を上げたり泣いたりしていたが、それは全てお化けの不意打ちによるものだったから仕方ないと言えば仕方なかった。
それ以外の恐怖には比較的冷静でいてくれたと思う。
これにて何の問題も無くお化け屋敷タイム終了――などと安心している場合ではない。
「……いつになったら離れてくれるので?」
「――ご、ごめんなさいっ」
ここでようやく、右腕が解放される。
だが、俺は気付いていた。その柔らかなもの越しに伝わってくる脈の動きに。
故に、男らしくその柔らかなものに反応していられるほど俺の感情は興奮していなかった。
どうしてその胸に腕が挟まれていたわけでもないのに、その脈の振動がこんなにも強く伝わってきたのか。
俺はそれを悟られたくなくて反対の腕を貸したのに、逆に貸した相手のそれを感じ取る羽目になろうとは。
その甲斐あってかそのせいか、俺はもはやお化けにビビるどころではなかった。
ある意味、もっと別の恐怖を感じていたと言っていいだろう。
――落ち着け俺。俺のそれと椿のそれが一致しているはずがないじゃないか。
俺は椿にドキドキしていた。だが椿が俺にドキドキしていたなんて、そんなわけないじゃないか。
そうだ、お化け! 椿はいつ急に現れるか分からないお化けに焦ってドキッとしていたのだ。それ以外あるわけがない。
……なのにどうして俺は、その結論に至って尚、こんなにも悩んでいるんだ。恐怖を、感じているんだ――。
頭では理解していても、気持ちがそれに追いついてこない。
結局俺は、この思考との戦いを避けたり出来ず、自分にとって一番都合の良い展開を期待してしまう。
「あの……隼人くん。き、気付いたりしてませんよね……?」
「えっと、何に?」
あると言えばあるが、それを言うわけにもいかないし、椿が聞きたいそれはもっと違う事だろう。
そう思って逆に聞き返したのだが、隠したそうなその言い方から考えて椿が答えるはずが――、
「――椿の、胸のドキドキに」
「……へ?」
答えるはずがないと、そう思っていたのだが、椿は馬鹿正直にそれに答えた。
しかもそれは、俺が気付いていたそれと一致している。
「あっ、いや、ちがっ……違わなくないけど。――そ、そうですっ、ドキドキしちゃってましたよっ、もぉ……」
椿は取り乱したように慌て出し、否定するのかと思いきや結局認め、しゅんとしている。
「ま、まぁ……あんだけお化けがいればいつ来るかとドキドキもするよな」
「そうなんですぅ……」
やはりそうだったか。そんなの分かり切っていた事だ。逆にそれ以外あり得るはずも――、
「――でも、それだけじゃありません。そんなドキドキなんて、本当に些細なものです」
「え……?」
立ち止まる椿に、釣られるように俺も足を止めてしまう。
「隼人くんと手を繋いでいたから、腕を貸していただけていたから――普段よりもっとドキッとしちゃいました」
「いや……え、椿……?」
やめてくれ。もうそれ以上、言わないでくれ。
でなければ俺が……俺は、再び勘違いを繰り返してしまうから。
「初めて二人きりでお化け屋敷に入る相手が隼人くんで良かったです。でなければゴールなんて不可能でした。途中でリタイア確定でしたね。ありがとうございました」
「あ、あぁ……」
これ以上どのように反応すれば良いか分からなかった。
俺たちは再度歩き始め、ベンチに座っているのが見える楓先輩達の方に向かっていく。
「今後経験する初めても、隼人くんと一緒が良いです。もちろん、それらを経験した後の追加体験も隼人くんと一緒に。別の男性が相手とか何があってもあり得ません」
あぁ、もうダメだ……今すぐこの場を離れないと、いよいよ勘違いの再発だ。
今すぐ一人になって気持ちを落ち着かせないと、取り返しのつかない事になってしまう。
そうだ、そうしなきゃいけない。今後も椿と交流していく為にも、今は――。
「次の初めては――って、隼人くん? どこ行くんですか?」
「ちょっと……トイレ」
椿の問い掛けに、振り返らずにそう答え、俺は人混みの中に溶けていった。
自分でもどこに向かっているのか分からない。トイレなんて答えたが、その場凌ぎだ。いや、念の為用を足しとくか……。
それからしばらく、俺は一人園内を彷徨った。
あれからどれくらいの時間が経っただろうか。何度も何度もスマホが震えたが、それを見る勇気が出ずに無視し続けてしまっている。
「終わった……」
俺は建物の柱を背に崩れ落ちた。
俺は真のバカだったみたいだ。勘違いを再発動する以前に、椿と一緒に来ているにも関わらずこうして今、一人でいる事自体が間違っている。
こんな身勝手極まりない奴なんて、もう今頃愛想尽かされているに決まってる。
俺は自ら、これまで築き上げてきた関係を手放してしまったのだ。
勝手に一人になって、なのに何も考えずにただボーッと歩き続けてきた成れの果てがこれか。
これから一体どうすれば良い? ダメだ、何も思い付かない。
誰か、教えてくれ。
そう願ったところで、こんな奴を導いてくれる存在なんて――、
「――やっと見つけた。迷える子羊さん」
いるはずがない。
なのに何で、天使の声が聞こえるのか。
これは俺の心が生み出した幻聴か。それとも――、
「魔法天使ライラちゃん、乗り物我慢し参上よっ!」
リアルなのか。
「あなた、名前は?」
そう、これは幻聴なんかじゃない。
正真正銘、本物の魔法天使が、柱の裏から俺に話しかけていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます