第83話 災厄10

 その宣言通り、疋嶋は人としての禁忌を軽々と踏み越えていった。

 まず初めてに母親を最初の実験台として使った。脳をダビングする段階で、異常を来たし、後に呼吸も止まり死んだ。そして二人目として使用した父親はダビングし、コンピュータ上に写すことはできたものの、その後数時間で脳死状態になり、心肺も停止した。

 自分の息子に対する悲痛の叫びにも耳を貸さず、ただ黙々と作業のように肉親を殺したのだ。

 士錠は閉ざされた実験室を横目に何度も自問自答を繰り返し、眠れない夜を過ごした。そして士錠がその実験場に駆けつけたころにはその全てが終わっていた。実の両親の頭をメスで裂き、強引に埋め込ませたマイクロチップを取り出している最中だった。

 血に染まった手がつまみ上げたマイクロチップは疋嶋にとっては肉親よりも大事だったのだ。


「疋嶋君……君は……」


怒りを越える何かを孕んだ唇が声を震わせた。


「教授、僕の実験も完成します。その時はいらなくなった肉体を破棄してください」


 全く悪びれる様子もなく、淡々と話す疋嶋を士錠は見つめていた。このままこの男を放っておけば、本当に取り返しのつかないことになる。

 全世界の人々を翻弄し、洗脳し、神の名を借りたテロリストとして好奇心と正義感の元、人道を無視した天界と言う名の実験場を拡大していくだろう。


「疋嶋君、それは僕がさせない」


 士錠はそう言って、拳銃を取り出した。

 銃口を向け、睨みつける。それが自問自答の末、導き出した最後の答えだった。この怪物を生んだのは士錠である。自分勝手な知的好奇心に身を任せ、悪魔を育て上げてしまった。その責任を取らなくてはならない。

 このトリガーを引き、悪魔の息の根を止め、脳髄影写システムなどと言う悪魔の遊具を科学界の闇に葬り去ることこそがせめてもの償いだ。仮にこの男を殺しても、疋嶋の両親が帰ってくるわけではない。しかしこの弾丸が未来の人類を救うことを願って、トリガーを引き込むのだった。

 その最期の瞬間、疋嶋の口角は不気味にもずり上がった。人の生に対してあざ笑うかのように、いつだってエゴイズムを貫く人類を小馬鹿にするにように、その笑みが疋嶋からの無言の置手紙だった。

 実験室に響いた銃声と共に硝煙が漂う。胸を撃たれて、倒れた疋嶋は動かない。本当なら額を狙うところだったが、どうしても最後、銃口が下にずれた。

 拳銃を床に落とし、震えた手を必死に抑えながら、泣き崩れた。

 人を殺したのは初めてである。拳銃は剣と違い、人を殺しているという感覚が少ないため、罪悪感も少ないとよく言ったものだが、そんなのは嘘だ。いまでも確かにトリガーを引き、熱い弾丸が胸を貫く感覚が指に残っている。

 士錠は薬莢を踏みつけながら後退りし、背中が壁にぶつかると、それになぞらえるようにそのまま座り込んだ。何もかもが無気力になり、溜息さえも出なかった。

 白い実験室には血だまりが出来ていた。その血が目をちかちかさせ、視界がぼやける。

 朦朧とした意識はポケットに入れていたスマホが鳴ったことで戻った。応答ボタンを押し、何も考えずにスマホを耳に近づけると、その声に耳を疑った。


「士錠教授、ありがとうございます。僕の祈願は達成いたしました」


 それは紛れもない疋嶋の声だった。

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