第73話 慈愛7

 唐突に小泊のスマホの着信音が鳴り響いた。その音で、唖然として立ち尽くしていた研究員たちも我に返り、それぞれの顔を見合わせた。

 小泊は慌ただしく、ポケットからスマホを取り出し、耳につけると、震えた声を出した。


「もしもし……」


「この映像は何だね!」


 電話口からは男の怒鳴り声が聞こえる。


「大臣、それが私も……よく分からなくて」


 小泊に電話をかけてきた相手は外務大臣だった。タカマガハラという画期的な発明は日本の脳科学の粋を結集したものであり、日本化学の象徴的な存在だった。そのため、外交手段としても広く使われた。それゆえにタカマガハラの管理を行う、東洋脳科学研究所も秘密裏に国会議員とは懇意になっているのだ。


「何を言っているんだ。これはタカマガハラを介して、配信されると言うではないか。このままだと、タカマガハラの安全性が疑われ、国際問題にもなり兼ねんぞ」


「ええ、承知しております。今こちらでも早急に解析を進めていまして……」


「君たちの信用を失わせないでくれ」


 その電話の音声は漏れていたため、隣に立っていた疋嶋にも聞こえていた。

 恐らく、この未曽有の事態に膠着していた体が解け、現実に引き戻されることによって電話を掛けたのだろう。人はあまりに驚くと声が出なくなる。そして、再び声が出るようになった時に事の重大さに認知するのだ。


「そして私はここに新世界の発足を宣言する」


 画面からは高く、はっきりとした通る声が響き渡った。


「この腐りきった世界を救済するために、私はこのタカマガハラを利用した新世界に移住を進めることとした。そしてその先駆けとなる新人類は今日生まれる。肉体を失うことにより、差別は消え、いじめも消え、この惑星はとは違い、絶対的なシステムに守られた世界を創造する。もう肉体と言う檻に支配される人類は必要としない。その檻を打ち破ることが、この悪しき進化を食い止める唯一の方法なのだ」


 再び画面が切り替わり、タカマガハラのバベルタワーが映し出された。その最上階に喋っていた男が現れ、上空にデジタル時計のホログラムが出現する。

 男はガラス張りになった最上階を歩き、演説を続ける。


「この時計がゼロになった時、私のノアの箱舟に乗る名誉ある新人類が誕生するのだ。それは私と同じく、この世界に絶望したに人々。悠々とこの世界の闇に浸かった愚かな旧人類には決して分からない苦しみを得た徒は私と共にアップデートするのだ。そしてこの数字がゼロを示すとき、七つのラッパが響き渡り、最後の審判が始まる。この破滅していく世界に執着する人類は私の生み出す千年帝国に踏みつぶされ、塵と消えるだろう」


「何を言っているんだ……救済とは、肉体を捨てるとは何なんだよ……」


 疋嶋はモニターを見つめながら呟いた。この男言っていることは点で理解できない。肉体を捨てた新人類の創造。まるで危険思想を持った新興宗教のようだった。しかし、その浮かび上がった二十四時間を示すデジタル時計がやけに恐怖を与えるのだった。


「これは序章に過ぎない。いずれこの世界に絶望する人類は私の作り出した箱舟に乗りたいと乞うはずだ。その時は歓迎しよう。この世界には生も死も老いも病も何もかもが存在せず、人は原罪を克服し、目に見えるエデンの園へと帰郷することができるのだから」


 男はそう言い残すと、手を挙げた。まるでこちらに別れを告げるようににやりと笑い、最後の言葉でこの長い演説を締めくくる。


「全ての答えは決している」

 

 その瞬間、一陣の風が吹き、その流れ共に砂のように消え去った。傍受されたテレビ局も元に戻り、この映像の終わりを告げるのだった。

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