第70話 慈愛4

「それってじゃあ、バベルタワーの中に初めからいた人はどうなったの? 犯人はバベルタワーへの侵入を許された誰かになるということよね」


 野島が矢継ぎ早に質問を重ねる。


「初めからいた管理官たちは昏睡状態に陥っています。脳内マイクロチップが適切ではない形でシャットダウンされたらしく、その“締め出し”を食らった瞬間、意識が飛んでしまったらしいです。それに私たちはVIPのアカウントを監視することもできるのですが、未明にタカマガハラを利用した人物は一人もいません。考えられるのはこの場にいる研究員たちですが……」


 小泊はそう言って、視線を流した。


「犯人は間違いない。官僚の情報漏洩事件を起こした奴だろ」


 疋嶋が一歩前に出て声を上げた。


「しかしそんな簡単に奪えるシステムでもないのですよ。情報漏洩事件に関しては、防御壁を破られたクラッキング事件ですが、今回は違います。管理者権限の全てを何者かに奪われたわけですから。このタカマガハラを利用する何千万、何億と言うユーザーが危険にさらされている状態なのですよ」


 小泊は喋り終わった後、前歯で唇の薄皮を噛み、奥歯をぎしぎしと鳴らした。

 あってはならないことがついに起こったのだ。インターネットと言う地球規模の母体はその管理者も一極に集まっている。

 従来のアナログ社会では決して見られなかった事件だ。システムを壊せば、この世界を一瞬にして、手にすることが出来る。これが便利化を進めたコンピュータ社会に起こった問題点なのだと言わしめるような事件である。


「とにかく、こちらではバベルタワーへの侵入を試みているのですが、もう私たちは“一”ユーザーという位置づけになってしまったらしく、自ら築いた強固な防衛システムに阻まれている状態なんです」


 小泊は眉間にしわを寄せながら、汗を拭いた。自ら作った最強のシステムが敵となった。それは安心、安全を謳ったタカマガハラであるからこそ起こり得た皮肉な結果。まさしく攻めるに難く、守るに易い城は失った時、難攻不落の城として牙をむくのだ。


「すぐにユーザーの身の安全を保障するために、運営からログアウトするように要請を出してはいかが。恐らく強制ログアウトさせる権利さえ奪われているのだから、もう呼びかける以外の道は無いわよ」


 野島の意見を聞いた小泊はさらに深く唇を噛み締めると、斜め下を向いたまま、首を横に振った。


「何億と言うユーザーが今のログインしているのですよ。それも日本だけはありません。仮にもこれが公となり、タカマガハラの安全性を疑われては国際問題にもなりかねます。どうか、後少しだけ待っていただけないでしょうか」


 小泊は深々と頭を下げた。実に情けなく髪の毛が薄くなった頭頂部が野島の前に差し出される。


「でも人命に関わることでしょ。タカマガハラを利用するためのマイクロチップは視床下部の上部にあるのよ。乗っ取った犯人がその気になれば、脳を破壊することも辞さないわ」


「だからだよ、ノンコ。運営が下手に動いて、ログアウトを呼びかければ、その『脳の破壊』を実行するかもしれない。タカマガハラを乗っ取った犯人は全世界のユーザーを人質に取ったことと等しいんだ」


 疋嶋は肩を落としながら言った。


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