ギャング近郷夜話
自警団の拠点に辿り着くと、軒先にぶら下がった巨大な魚の骨の下にオレアンとホーネットがいた。
「ズタボロじゃねえか」
ゼンが破れた制服を見て言うと、酒屋から現れた女が携えた酒瓶でふたりを軽く叩いて笑う。
「この程度の傷で
女がふらつきながら戻ったのを見送って、オレアンが声を抑えて言った。
「俺たちは倒してない」
「どういうことですか?」
クラーレの問いにホーネットが首を振る。
オレアンは灯り出した明かりを見て言った。
「中で話す」
小声でやり取りをするクラーレたちを気遣ってか、ラジアータが一歩後退る。肩がゼンにぶつかり、彼女は慌てて身を引いた。
「別に取って食いやしねえよ……」
隣を歩くカルミアは肩をすくめた。
「あれが普通なんだよ。魔物は人間の敵なんだから。あたしもあんたも受け入れてもらえる方がおかしいんだって」
酒場の中は焼けた肌の男女が淀んだぬるい空気をかき混ぜるように動き回っていた。
「まさか本当に蛇女を殺ってくるとはな」
中央の席に座るサリドの前には
「アミティ家に念書も書かせてきたんだって?」
クラーレが羊皮紙を開いて見せた。
「俺たちが押しても引いても動かなかった女がなぁ。どうやって脅した? 意外にとんでもないゴロツキか?」
火のついた葉巻で指されたクラーレが首を振り、オレアンが小声で「多少な」と呟く。
「やるでしょう、王都騎士団は」
店の奥からロクスターは現れた。
「お前は何もしてねえだろ」
ゼンが毒づくと彼は眉根を下げて笑った。
「これでも根回しを頑張ってきたんだよ。君たちもお疲れ様。オレアン、ホーネット、話を聞かせてくれるかな」
ロスクターはふたりの肩を押して、店の喧騒から離れた場所で囁いた。
「
「
口を噤んだホーネットの代わりにオレアンが低い声で応える。
「彼まで戻ってきたとはね……これはますます
「どういう意味ですか?」
滑るように彼の隣に並んだクラーレが問う。
「
「勇者の最後の切り札と言われた者がですか?」
「
ホーネットが呟いた。
「あれは殺した者の魔術を使えるの。
「
クラーレの答えにホーネットは俯く。ロクスターが手を叩いた。
「これ以上考えても仕方ない。とりあえずこの場を楽しもうか」
彼は手を振ると自警団員の中へ消えて行った。クラーレもそれに続く。
「呑気なものね」
呆れたように言ってホーネットはグラスに唇をつける。
「お前も混じってきたらどうだ? こういう場は嫌いか」
オレアンの声にホーネットは首を振る。
「慣れてないだけよ」
琥珀色の酒の表面が振動で揺れた。酔った水夫たちが組み合って机にぶつかったらしい。
「前世で戦いが終わった後、私は修道院に入ったの」
ホーネットはグラスを持ち上げて言った。
「王子の婚約者でなくなった私にも城の人間は優しかったけど、とても城にはいられなかったわ。皆死んだのに私だけ豪華な部屋で豪華な食事を楽しむなんてできない。修道院での日々は何もなかったけど苦痛もなかったわ」
オレアンはその手からグラスを奪うと一気に飲み干した。
「ちょっと、まだ自分のがあるでしょう?」
「酒が空になったな、注ぎにいかないと」
呆気にとられるホーネットに構わず彼はグラスの底で机を叩いた。乾いた音を聞きつけた船乗りたちが瓶を片手に集まり出す。
次々と酒を注ぐ浅黒い腕に押されながらオレアンは笑ってみせた。
「ロクスターの言う通りだ。置かれた場を楽しまないと」
ホーネットは苦笑を浮かべて禍々しい色になったグラスを傾けた。
カルミアは酒樽の間に隠れるようにして座っていた。
「飲まないのですか」
背後からの声に身を竦めて振り返ると、クラーレが身を乗り出して覗いている。
「クラーレさん……何か用?」
「釘を何に使うのかなと思いまして」
クラーレは微笑を崩さない。カルミアは観念したように服のポケットから手を出した。
手の上の五本の釘を摘んで、クラーレは柔らかい口調のまま言った。
「何故盗むのですか?」
カルミアは彼女から目を逸らす。
「癖だよ。ほしいものをくれるひとなんかいなかったし、見返りも払えないし」
クラーレは釘を手のひらに戻した。
「じゃあ、景品ということにしましょうか」
彼女は自分の耳飾りを指す。
「貴方の転送術と釘を使ってこれを撃ち落としてください。一回で銀貨一枚あげましょう」
カルミアは怪訝な表情を浮かべたが、無言で釘を構えた。
クラーレの耳朶の真下に輪が浮かび上がり、銀の弧を描いて釘が飛び出す。
「近すぎると勢いが失われます。もう一度」
「師匠、また変なことしてら」
ゼンはふたりを遠巻きに眺めながら、中央の席でまだ長い葉巻をすり潰すサリドに歩み寄った。
「あんたは飲まねえのかよ」
彼は眉間に皺を寄せて「喪に服してる」と答えた。
「
「真面目なことで……」
ゼンはまだ燻っている葉巻をひと口吸い、煙を吐いた。
騒がしい店内で、ひとつの席に座ったラジアータが誰と話すでもなくグラスの底を眺めていた。
「喧嘩したのか?」
袖を引かれて振り返るとマイトが彼女の方を指した。
「別に……」
ゼンは小さな手を振り払って窓の方へ進んだ。
夜の空気が潮の匂いと冷気を含んで鼻先で膨れる。
夢の中で見た黒い海の風景が蘇り、鈍痛にゼンは頭を抱えた。
「悪酔いか?」
見上げると、ラジアータが少し距離を置いて窓枠に持たれるように立っていた。
「酔わねえよ」
ゼンは指先でこめかみを叩いてみせた。
「俺ん中には魔王の魂が入ってる。お前も見ただろ。それから酒飲んでも酔わねえ。不死身だからダメージにならねえのかもな」
ラジアータは俯いた。
「騎士様どころか人間か魔物かもわかんねえ化けモンで悪かったな」
「謝るのは私の方だ。理想を押し付けた」
彼女は夜風に身を震わせるように小さく首を振った。瞳には恐れも嫌悪ももうない。
「お前の目は緑なんだな。魔物の力は赤い光になる。真逆の色だ」
ラジアータの冷えた腕がゼンに触れた。
「私は旅芸人だ。魔物との戦えても騎士になるのは怖い。孤独も隷従も嫌だ。前世では魔王と戦った頃の
微笑む彼女の日焼けした頬には目を凝らしてやっと見える無数の傷があった。
「じゃあ、半端モンどうし上手くやれるかもな」
立ち上がろうとしたゼンの背中に勢いよく何かが衝突した。ゼンは窓から飛び出しかけ、ラジアータが小さく悲鳴を上げる。
「このクソガキ……」
ゼンが絡みついた筋肉のついていない腕をねじり上げると、マイトは笑いながら身をひねって逃げ出した。
マイトは歯を見せてふたりを見比べた。
「お前が槍女とくっつくなら、お前の師匠に弟子入りしちゃおうかな。おれも王都に行くんだ」
「ジャリが何言ってんだ。騎士団に託児所はねえぞ」
「もう十四だ」と叫ぶマイトをもみくちゃにするゼンを遠巻きに眺め、サリドが深く煙と息を吐き出した。
かしゃんと小さな音が鳴り、クラーレの耳飾りが揺れる。
釘が床に落ちるのと同時にカルミアは倒れ込んだ。
「もう限界、魔力が尽きちゃう」
クラーレは釘を拾ってから彼女の隣に座り、開いた手のひらに銀貨を一枚置いた。
「残念賞ですよ。射撃の訓練になったでしょう? 貴方の力はもっと活用できます」
カルミアは胸を上下させながら銀貨を握りしめる。
「何で見返りもないのにあたしにそんなことするの……」
「強くなってほしいからです」
クラーレがさらに身を屈め、黒髪が夜の帳のように下りた。
「ゼンには老いすらもないかもしれません。そうなれば、人間は皆、彼を置いていくことになる。でも、魔物の貴方なら隣にいられる。だから、死なないでほしいんですよ」
カルミアは鼻に触れる髪の先を払って、無言で身を起こした。
そのとき、酒場を振動させる轟音が響いた。
「魔物の襲撃か!」
自警団員がどよめき、酒瓶が砕ける音がする。
「違う、砲撃だ」
サリドが低く呻いた。
ゼンは窓から身を乗り出した。真っ黒な夜空に触れる水平線が赤く燃えている。
「火事か? 海が……」
隣に並んだラジアータが目を細めた。
「船灯だ。魔物じゃなく人間だが……」
港を照らす赤い光の中でそよぐ旗に何かが染め抜かれている。
「ポロニア小国か!」
無数の船の上に集った影は皆、紺碧の制服を纏っていた。
その中で空にも海にも混じらない、真っ白な髪をした男が呟く。
「やっとおれの戦争か……」
船首に立つ金色の髪の女が彼を振り返り、眉を吊り上げる。
「イドロ、違うだろう。私たちのだ」
イドロは目を伏せて微笑を返した。
「行こう、
大砲が喝采のように炎をまき散らした。
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