サメの海に槍の帆をかけた女
船は波と砂をないまぜにして削りながら港に停まった。
船の先端を縄で括りながら水夫が無言で腕を差し出す。
クラーレが王都騎士団の紋章を見せると彼は無愛想に首を振った。その隣でロクスターが苦笑し、水夫に金貨を握らせた。
「ショバ代ってやつか?」
ゼンが欄干にもたれながら言うと、カルミアが肩をすくめる。
「っていうよりみかじめ料でしょ。払わなきゃ船を壊されてたかもね」
「僕は荷下ろしと港の人間との交渉があるからね、先に行っていてくれ」
青い血の跡が残る帆布に触れながらロクスターが言った。
「行けつったってどこに行きゃあいいんだよ」
「まずはポロニア港にどれくらい兵士やそれを擁する貴族が残っているか調べてほしい。彼らとの協力が最優先だ」
「それは難しそうですね」
クラーレは強烈な日差しを反射する眼帯に触れ、残った目で港を見た。
桟橋は砲撃か魔物の攻撃によって穴が空いたままになり、浜辺に潮水で腐蝕した船の残骸が折り重なっている。
ロクスターは少し俯いて答えた。
「この港を支配しているのはサイラム会という自警団だ。実態はほぼギャングと言っていい。彼らとの交渉も必要になってくるかな……」
「まぁ、出たとこ勝負ってことか。先に降りてるぜ」
ゼンは船から飛び降り、カルミアがそれを追う。
クラーレは目を細めて彼らを見守ってから下船した。
揺れる桟橋にホーネットが足を下ろし、オレアンが軽く手を添えようとする。ロクスターがくすりと笑った。
「紳士だね」
「からかわないで。彼にも失礼よ」
ホーネットが眉をひそめると、ロクスターが笑みを打ち消した。
「君たちには相棒を組んでもらおうと思うんだ。
濁した言葉にオレアンは目を伏せた。彼を横目にホーネットが赤い髪を払う。
「私は構わないわ。貴方はどうかしら」
オレアンは鱗のようにぎらつく波を見つめたまま顔を上げない。
「俺も構わない」
彼は短く答え、船板を蹴って桟橋に降りる。ロクスターは無言でその背を見送った。
町には漁港らしい活気はなく、閑散とした市場に絨毯と日除けだけの露店がまばらに並んでいる。
通りの脇に連なる家々の壁には傷跡が残り、埃の溜まった窓ガラスの奥に日焼けしたカーテンが揺れていた。
「空き家ばっかりだね……」
カルミアが呟くと、前を歩くクラーレが頷いた。
「露店も簡素ですね。まるでいつでも畳んで逃げられるよう備えているようです」
老人が売り物の干魚にたかる蝿を力なく払う傍らで、船乗り然とした男たちが露店を睨んでいた。
「そういや、騎士って銃は使わねえのか? スルクたちはそれで戦ってたぜ」
ゼンが彼らの腰から下げた銃を指し、クラーレが視線をやった。
「魔力がほとんどない人間たちには、魔物の死骸や油を使った弾丸は有力な武器ですね。しかし、私たちは魔力を直接行使できる近接用の武器の方が都合がいいんです。道具を経由すると効果が薄れますし、黒色火薬はまだ量産に難がありますからね」
彼女はカルミアに視線をやった。
「貴方の魔術は飛び道具とも相性がいいかもしれません。今度私が––––」
その言葉を遮るように、市場から悲鳴が響いた。
「
店主たちがもつれ合いながら店を畳む後ろから、粘質の光を反射する鱗に包まれた魔物たちが現れた。
「海にしかいないんじゃないの!」
叫んだカルミアの前で店の庇が砕け、土煙を上げて何かが落下した。
泥に汚れた絨毯と干魚を水かきの生えた足が踏みにじる。
「降ってきた……」
カルミアが呆然と呟く。
「違えよ、上にいるぞ!」
ゼンが声を張り上げた。空き家の屋根の上に背びれを生やした影が連なっている。
カルミアの前に立ちはだかる魔物を刺突で倒したクラーレは騒然とする市場に目をやった。
「ゼン、ここを任せます、カルミアは彼から離れずに! 私は市場を!」
地を蹴って駆け出したクラーレを一瞥し、ゼンは剣を抜いた。
「こんぐれえ魔王にならなくてもぶっ殺してやる!」
屋根から飛び降りた
ゼンは接触する寸前に身を引き、薄い肌に内臓が透ける魔物の腹に膝頭を叩き込んだ。
地に落ちた
振り返った先で、ゼンの後ろから忍び寄っていた魔物が頭から折れた角材を生やして事切れていた。
「ちゃんと倒してよ!」
手を伸ばすカルミアの前に黒い輪が広がり、真ん中で折れた材木が浮遊している。
襲いかかる
「くそっ、数が多いな……」
ゼンが呻いたとき、風を切る音が響いた。
どこからか飛来した槍棒が
槍に結んだ紐が引かれ、抜かれた刃と青い血が弧を描いて飛んだ。紐を手繰る褐色の細い指が蠢いた。
「今助けるぞ!」
透き通った女の声がした。
屋根から黒い影が滑り降り、槍のひっ先と踵が壁を削る。
落下の衝撃で加速した影がつむじ風のように回転し、二体の魚魔を吹き飛ばした。
低く腰を落として着地した女が槍棒を一閃する。
先端の刃が
仲間の死体を越えて躍り掛かった魔物を穂先に取り付けた紐で弾いた女は、素早く身を返し腹に槍の尻を叩き込んだ。
風が巻き起こり、
女の槍が地面を叩いたとき、辺りには砕けた魔物の死骸と剥がれた鱗が散らばっていた。
「怪我はないか?」
女が顎の辺りで切り揃えた黒髪を揺らして顔を上げた。
「初めて見る顔だな。この辺は危ないぞ」
日焼けした顔にはそばかすが、引き締まった身体にはいくつもの擦り傷がある。
ゼンが答えに窮していると、クラーレが駆け寄ってくるのが見えた。
「王都騎士団?」
女が小さく目を見開いた。
「ええ。彼らを助けてくださったのですね」
青い血に濡れた剣を収めながらクラーレが頭を下げる。
「貴方は自警団の方ですか?」
「そいつはおれたちの仲間じゃねえ!」
女が答える代わりに、幼さの残る声が飛んできた。
浅黒い肌の少年が腕を組んで立つ後ろに、丸太のような太い腕の男たちが構えている。
「勝手に自警団を気取りやがって、おれたちに金も払ってないんだぞ!」
女が叫んだ。
「金などないと言っただろう、あってもお前らに払う金はない!」
少年が威嚇するように歯を剥き出し、取り巻きの男たちとともに歩み寄ってきた。
「俺も金はねえなぁ」
肩をすくめたゼンを少年が睨む。カルミアがそっと端に避けた。
「おれの兄貴が誰だか知らねえのかよ」
「集めた金で兄ちゃんに菓子でも買ってもらうのか?」
少年が摑みかかる前にゼンがその額に頭突きを食らわせた。
取り巻きの男たちがどよめく。ゼンたちを囲む輪が狭くなり、女が槍を構え直した。
「駄目です。話し合いで解決しましょう。暴力は……」
制止しかけたクラーレの頰を男のひとりが放った棒が掠め、肩にぶつかった女が小さく呻く。
クラーレは片眉を吊り上げて背後を見やると、溜息をついた。
「第二の手段ですね」
クラーレは拳を固めて、男たちの中に飛び込んだ。
遅れて市場に駆けつけたオレアンとホーネットは、乱闘の間に見知った影を見つけて目を剥いた。
「ゼン、クラーレ! 何やってる!」
男たちの胸ぐらを掴んでいた師弟は同時に顔を上げて手を離した。
取り巻きと騎士たちを見比べ、少年が手を叩いた。
「戻るぞ! お前ら、これで終わりだと思うなよ!」
男たちを連れて踵を返した少年の背に向けてゼンが唾を吐く。
「負け犬らしいこと言うんじゃねえかよ!」
「やめろ、馬鹿!」
オレアンが怒鳴る横でホーネットが額に手を当てた。
「クラーレ、貴方は止める側かと思ってたのに」
「品がいいから騙されるだけであいつは立派に暴れる側だ」
「暴れる側でした」
眉を下げて笑ったクラーレにオレアンは呆れた表情で首を振る。
「頼むから反省してくれ……」
物陰から出てきたカルミアが、呆然と立ち尽くしていた女の肩をつついて見上げる。
「あんたって魔力があるひとだよね」
女は我に返って辺りを見回した。
「もしかして、お前たちは勇者陣営か?」
オレアンがわずかに警戒した表情で顎を引く。
「おう、俺と隠れてたこいつはちょっと違うけどな」
答えたゼンの手を女が摑み上げた。
「何だよ!」
女は捧げ物のようにゼンの手を掲げて嘆息した。
「王都は私たちを見捨てていなかった……騎士の精神はまだ生きていたんだな……」
「貴方は?」
クラーレが埃を払って言うと、女はやっとゼンの手を離して顔を上げた。
「私は勇者陣営の
褐色の頬に笑みを浮かべる彼女の頭上で、港の白い鳥が旋回し、騎士たちを見下ろした。
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