違和感、再び

★☆★☆★


──その轟音は、それまで抵抗し続けた疲れからか、再び体を横たえていた唯香の耳にも届いた。


それに唯香は驚いて、反射的に寝床から跳ね起きる。

その傍らではヴァルディアスが、同じように体を横たえながらも、極めて平然とした面持ちで、そんな唯香を見つめていた。


「…い、今の音…、なに…?」


事情を知らない唯香は、焦ったように音のした方へと目を向ける。

この時点で未知なる恐怖に怯え、強張ったその唯香の表情を緩和すべく、ヴァルディアスは極めて戯れに、それを口にした。


「──カミュ皇子が来たか」


…その名を出せば、唯香が取り乱すであろうことを分かっていて。

否、それを充分に分かっていながら、ヴァルディアスはありのままの真実を告知した。


「…カミュ…!?」


はたして唯香は、嬉しいような、それでいてその中にも、分かる者にしか分からないような、暗い影を浮かべた。


…唯香の表情に影を落としたのは他でもない。


カミュに対しての後ろめたさと申し訳なさが、己の中に同時にあり、それが外面へと反映されたからだ。


そして、それらすら容易に上回るであろう絶望と、もはやどうにもならないであろう、名前とその意味だけは、ただひたすらに重い贖罪が…全てを占めている。


もはや、かつての…あの頃の関係には戻れないのではないかと、唯香はそれすらも危惧してしまっていた。


そんな唯香の様を見て、ヴァルディアスはどこか自嘲気味に口許を緩めた。


「皇子と相対した時のことなど、気にかける必要はない」

「でも!」


唯香は否定的に声を荒げるも、ヴァルディアスが本来持つ威圧感に圧され、口をつぐむ。


「何をそうも焦る。…皇子がお前を咎め責めるとでも思っているのか?」

「!」


考えの一端を読まれ、瞬間、唯香の顔色が、血の気が引いたかのように青ざめた。

それを見てとったヴァルディアスは、ただ、笑う。


「罵られても仕方がないと、そう思うか…」

「…、そうよ! 呆れられても、責められても仕方がない!」


いつになく激しい感情を露にした唯香は、絶望的に俯き、その右手で顔を覆った。

…指の隙間から、心を反映したような涙が流れ、小さな水たまりを作る。


「…だけど、それでもあたしは…

あたしは、カミュが…」

「心はここに在らず…か。だが…」


ヴァルディアスのその美しい蒼銀の双眸が、ふと細められる。

途端に唯香の体が、びくりと震えた。


「…え…、…な…に?」


自分の体でありながら、まるでそうではないような違和感。

それがじわりじわりと込みあげる。



──下腹部への、ほんの微かな…

わずかな疼き。



…しかし、この違和感には、唯香は一度だけ覚えがあった。

そう…、それは17年前の、あの時の…



! “…あの時の…!?”



「!…こ…、これって…」


思い当たったことがあまりにもショックで、唯香は茫然と顔から手を離した。


…その手はとある恐怖に、涙に濡れながらも細かく震えている。


「…まさか…そんな…」

「産まれて来れば、嫌でも信じるだろうな」


残酷な事実を告げ、突きつけることで、唯香の心にひとかけらの氷を投げ込んだヴァルディアスは、そのまま唯香を引き寄せ、後ろから抱く形をとった。


当の唯香は、あまりのショックで、呆然としたまま、ヴァルディアスにされるがままになっている。


が、そんな唯香が、ややしばらく経ってから、わずかな望みに縋るかのように、そっと呟いた。


「…でも、時期が合わないわ」

「…、それは魔力の絶対量の違いだろう」


恐らく唯香は、以前の経験からそれを口にしている。だが気付いてはいない。

いや、気付きたくはないのだろう…恐らくは。


相手の男、つまり自分と当時のカミュとの実力差。

母体…すなわち唯香自身の、昔と今の魔力の違い。


両者の魔力の総合値が大きければ大きいほど、子が成長するのは早くなる。

…そして、それに魔力によって手を加えれば、尚更…!


ヴァルディアスの言葉は、暗にこのことを指摘していた。

そして、唯香はそれを、当事者なだけに、否が応にも耳にせざるを得なかった。


…目を伏せ、惑い、青ざめた表情で事実を受けとめようとしている唯香は、ともすればそのまま壊れてしまいそうにも見えた。


だが、それを封じるべく、ヴァルディアスが動いた。

唯香の体に触れ、そこから一気に蒼銀の魔力を注ぎ込む。


「!い…やぁああぁあぁっ!」


その魔力の規模は相当なもので、唯香は、負荷となって体中を巡る闇の魔力による、身を切られるような激痛に、声を限りに拒絶の悲鳴をあげた。


…心も、体も、痛くて苦しくて。

この苦しみも痛みも、何もかも放棄できればと思う程に。


その、己自身の精神の訴えを、唯香は涙と声に変えることで、ようやく昇華していた。


「…い、や…、痛い…! やめて…、やめて、ヴァルディアス…!」

「騒ぐな。もう少しの辛抱だ…!」

「…!?」



“もう少し”…、もう少しとは何だろう。



“もう少し”経ったら、どのような結果がもたらされると言うのか…!


答えは身に染みて分かっていても、それを認めるのを拒む自分も、確かに存在する。


「…い…や…! …助けて! …お願い、もう…赦して…!」


必死に首を振り、悲痛に叫びながらも、唯香は初めてヴァルディアスに縋り、泣きついていた。



…体は奪われても、心だけは留めておきたかったのに。

この男は、それすらも許してはくれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る