縁《えにし》からの始まり

その、宝石にも近い蒼の双眸を覚醒させ、自らの全てを使って、彼を拒絶しようとしたのだ。


そんな唯香を、ヴァルディアスは片手のみで、難なく押さえ込んだ。


「手荒な真似はしたくない。大人しくしろ」

「嫌! だってあなたは…カミュの敵なんでしょう!?」


唯香は、今度は恐れることもなく、強気にも、真正面からヴァルディアスに反発した。


…その瞳に、強い誇りと自我を伴って。


「!…これは…」


ヴァルディアスが、ほんのわずか目を細め、呻くように呟く。


「…俺を相手に、臆し、退かないというのか…?

成る程、さすがにカミュ皇子が見初めただけのことはある…!」


強者に媚びることも、靡くこともなく、自らの判断を信じ、貫き通す…

そんな意志の強い女は、ついぞ見たことはない。



…欲しい。

何と引き換えても。

何を…犠牲にしても…!



「唯香、俺がお前の敵であると判断出来る材料は…、カミュ皇子の言葉のみなのだろう?」

「…!?」


唯香は、ヴァルディアスが何故いきなりこんなことを言い出したのか分からず…

気付いた時には、思い切り眉を顰めていた。


そんな唯香に、ヴァルディアスは、更に淀みのない質問をぶつける。


「お前は、カミュ皇子の言葉を…

ただそれだけを鵜呑みにしているのか?」

「!…それは…」


痛いところを突かれて、唯香は口籠もった。

…確かに、自分がヴァルディアスを敵だと見なす判断材料は…

彼の言う通り、カミュの言葉のみに他ならなかった。


…だが。

今の唯香には、それで充分過ぎた。

カミュの言葉がどうであれ、実際に目の前にいる彼…ヴァルディアスは、少なからず自分に手を出した。


ならば…カミュの言葉を疑えという方に、無理がある。


「鵜呑み…も何も、あたしは…カミュの言ったことは正しいと思ってる!

カミュの言う通り、あなたは、あたしの敵なんでしょう!?」

「…何を言い出すのかと思えば、随分と下らないことを…

ならば訊くが、お前はそれ程までに、俺を敵に回したいのか?」

「…え…」


…その美しい蒼銀の瞳をその身に落とされ、唯香は、どきりとしながらも問い返す。


彼の瞳の奥底に、今までにはなかった拘りが見えた気がした。


「俺が敵であるかどうかは、皇子の言葉などではなく…自分で判断しろ」

「…自分で…?」


唯香が、その当の自分でも気付かないうちに、ヴァルディアスの言葉に呑まれ始めた時…

不意に、唯香を抑えつけているヴァルディアスの背後から、蒼い、複数の魔力の刃が飛んだ。


「!」


それにすぐさま気付いたヴァルディアスは、自らの周りに、魔力による、強力な蒼銀の障壁を張った。

それによって、瞬時に蒼の魔力の構成が霧散する。


「…、何者だ?」


ヴァルディアスは警戒を崩さず、障壁を張ったまま、わずかに殺気を帯びた目で、刃の飛んで来た方角を見据えた。

…その、稀に見る強力な“蒼の魔力”の持ち主を見定める為に。



そこに居たのは、ほぼ体力が戻ったライセを、城まで連れてきたはずの唯香の兄…

神崎将臣だった。



それに気付いた唯香が、押さえつけられている下からも、懸命に声をあげる。


「!──兄さん…、将臣兄さん!」

「…唯香…」


将臣が、唯香を一瞥するも、その視線の先をすぐさま、妹を捕らえている対象者へと向ける。

それと同時、傍らにいたライセも、焦ったように母親に呼びかけた。


「母上!」

「!ライセ…、ライセ! お願い…助けて!」


息子であるライセの顔を見た唯香は、縋り求めるように、ライセに向かって必死に手を伸ばした。


一方のライセは、母親がヴァルディアスに囚われていることから、わずかに体を硬くしながらも、彼に対抗するべく、その右手に魔力を込める。


「…ヴァルディアス…、母上を離せ」

「ふ…、ライセ皇子か。随分と珍しい連れを伴っているようだな。弟では到底適わないと知って、今度は伯父を連れて来たか?」

「!…貴様っ」


からかい半分でその目を向けられたライセが、瞬時に苛立ってそれに反論するよりも早く、将臣が間に割って入った。


「…挑発に乗るな、ライセ。お前は唯香を救うことだけを考えろ…

奴の相手は俺がする」

「!でも、将臣さん…」


彼の力を…

弟であるルイセを、あれだけ変えてしまった、その魔力の規模を危惧したライセが、将臣を制止しようと試みるが、将臣はそんなライセに、厳しい瞳を向けた。


「母親を連れ去られるか否かの、この最中に…

ライセ、お前は何を躊躇っている?

…累世なら、決してこの場で、奴に呑まれたりはしない」

「!ルイセなら…呑まれないと?」

「当然だ」


将臣が即答する。


「17年間、この世界から離れて生きてきた累世にとって、唯香はもはや、無くてはならぬ存在だ。

その、かけがえのない存在を失う可能性のある事態に陥った時…

ルイセは、相手がどんな強者であろうとも、全く躊躇うことなく対峙するだろう」

「!…」

「お前と累世の相違点はそこだ」


低く呟いた将臣は、ヴァルディアスの構成している障壁を打ち破るべく、その左手に更なる魔力を込めた。


…将臣の左手が、美しくも強い、蒼の光を放ち始める。


それを見た唯香が、その相乗効果を狙い、何とかしてヴァルディアスの手から逃れようとするが、ヴァルディアスはそれを見越したのか、唯香を捕らえる手に、更に力を込めた。


「!痛っ…」

「!…は、母上っ!」


唯香が痛みに顔を歪ませたのを見たライセは、それまで覚えていた葛藤や躊躇いを、全て吹き飛ばした。


魔力を込めていたはずの右手に、瞬時にその倍ほどの魔力を連ね、今度は躊躇うこともなく、ヴァルディアスに攻撃を仕掛ける。


紫の魔力が、獣のような唸りをあげて、ヴァルディアスを襲った。

だが、ヴァルディアスは一向に焦る様子もない。

それどころか、口元に何かを画策したような、確かな笑みを浮かべている。


それと同時、ヴァルディアスの例の障壁の前で、ライセの放った稀なる威力の魔力が、何者かの魔力によって弾かれた。


「!なっ…!?」


自らの攻撃を遮った、その魔力の規模を瞬時に察したライセは、そのまま絶句した。

…普通の吸血鬼ならば、塵も残らず消滅するであろう魔力を、そうそう簡単に打ち消せる存在になど、まるで心当たりはなかったからだ。


…しかも、遮った魔力の色は、血を連想させるような、見事なまでの赤…


「…、やはり止めるか、ルファイア」


ヴァルディアスが、近くにあった大樹に、鋭くも静かな視線を走らせる。

すると、その陰から余裕の表情で姿を見せたのは、闇魔界の皇帝であるヴァルディアスとは知己の、闇魔界の公爵…

ルファイア=シレンだった。


しかし、それに反して、将臣とライセは、突然現れた人物の存在に、揃って警戒の目を向けた。


…ルファイアから目を離さないことを念頭に置きながら、頑なな表情で、将臣がライセに訊ねる。


「…ライセ、“ルファイア”の名に、聞き覚えはあるか?」

「いいえ。聞いたこともありません」


ライセはきっぱりと即答した。

しかし、ルファイアのその凄まじいまでの潜在能力は、ひしひしとその身に感じられるらしく、心なしか、その顔色は悪い。


形勢は、完全にあちらに傾いている。

人数的には2対2でも、向こうには人質がいる。

…双方の魔力のレベルを甘んじて考えても、明らかに有利なのは…向こうの方だ。


「…この状況下で2対2か…、不利だな」


将臣がライセの考えを読んだように呟く。

それでもここで退けないことは、これまた双方が理解していた。


…相手は、いつ動くか分からない。

自分の行動を、いつ遮られるか知れない…!



ならば、この場合に取るべき手は…

ただ、先手のみだ。



そう判断した将臣は、間髪入れずにルファイアに攻撃を仕掛けた。

本来なら、ヴァルディアスの方に攻撃を仕掛けるべきだ…

それは分かっている。


だが、こちらからいくら攻撃を仕掛けた所で、ルファイアに阻まれたのでは意味がない。

…届く前に阻止されるのでは、単なる魔力の無駄遣いだ。

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