不完全な人間・不完全な皇族

それに気付いたフェンネルがライセを止めるより早く、ライセが唐突に手から放った魔力の塊が、累世の左肩を直撃した。


「!…」


その部位をそのまま抉られたような鈍い痛みに、累世は声にならずに、その箇所を手で押さえ、強く歯を食いしばった。


「ルイセ様っ!」


フェンネルが、激痛のあまり、気を失いそうになる累世の体を反射的に支えた。

累世の息は深く、荒くなり、深手を負った肩からは、血がとめどなく流れ…溢れかえる。


「!…う…っ」


累世の額には汗が滲み、襲い来る激痛と、必死に闘っている。

フェンネルは茫然としてその様を見ていたが、やがて窘めるような目をライセに向けた。


「ライセ様…、ルイセ様には、貴方様に対しての敵意はなかったのです。なのに、仮にも貴方を訪ねてきた弟君に対して、この扱いは剰りにも…」

「煩い!」


ライセは吐き捨てると、強力な当の魔力もそのままに、フェンネルに支えられてやっとのことで立っている累世を、冷たく蔑んだ。


「…今の攻撃など、小手調べの段階だ。

魔力も扱えないような不完全な皇族…

こんな者が弟などであるものか…!」


「……、だな…」


累世が痛みに、気が遠くなりながらも、自らの意識を引き留めるように呟く。

それに、ライセは怒りに猛った目を向けた。


「何だ? 貴様、まだ何か言うことが…」

「…ああ」


累世は、身の一部を食い尽くしそうな痛みと闘いながらも、はっきりとライセの方を向き、息も荒いまま告げた。


「…たかが…魔力が扱えない程度で、俺を不完全な皇族呼ばわりするのなら…

…人の…情を理解しないお前など…

…ただの…不完全な人間だ…!」

「あのような下衆な輩と一緒にするな!」


間髪入れず、ライセが反論してくる。

それに累世は、何故か…泣きたいくらいの、哀れみの視線を向けていた。



…何故だろう。

兄と自分の価値観は…

どこで、こんなに食い違った?

そして…どうして、兄の言い分は、これ程までに狂っている…!



「…そうか…、随分と…面倒なものにしがみついているんだな…

…俺は…この世界の皇族などに興味はない…

…俺は…ただの人間だ。…そう、人間なんだ…

…それだけで…いい」

「…、何を下らないことを…」


ライセが、心底軽蔑するように呟くと同時…

既に、体力的にも精神的にも限界にきていた累世は、張り詰めた糸が切れるかの如く、その場に膝をついた。


…その体を、それまで支えていたのは、フェンネルの腕だけではない。

間違いなく、累世の気力も含まれていた。


すると、そんな累世の体調を危惧したらしいフェンネルが、焦燥感を露にし、声をかけた。


「ルイセ様っ…!」

「…俺に…構うな…」


柔らかく差し伸べられた手を、累世はやんわりと払いのけた。

それに戸惑うフェンネルに、累世は目を合わせられずに…

居たたまれずに目を伏せる。


「…すまない、フェンネル…」


累世は、それだけをようやく口にすると、きつく唇を噛みしめた。

…体の痛みに堪え、更に心の痛みにまで耐えるために。


「……」


そんな弟・累世を、ライセは測るように油断なく眺めていた。



…血統的には、明らかに皇族でありながら、魔力による反撃が出来ない。

しかも、あの攻撃を避けることすら出来ない。


…どれだけ、脆いのか。


その脆さを糧に、人間であると自らを納得させているのだろうか…



…いや、違う。

奴は人間であることを…憂いてはいない。


それどころか、人間であると公言し、言い張り、誇りを持っているような節さえある。


…何故だ?

何故あんな脆い生き物に、そこまでこだわる…!


お前はれっきとしたヴァンパイア・クォーター…

普通の人間ではないというのに。


…何故、そこまで人間に肩入れする?


お前は“人間ではないというのに”…!



「…フェンネル、そいつが自ら口にしている…

そいつには構うな。

そのような人間に、手を煩わせることはない」


ライセが低く呟いたそれに、フェンネルは僅かに眉根を寄せた。


「…そうは参りません。ルイセ様を、この世界の皇族に引き戻すことは、かのサヴァイス様のご意志でもあります。

ライセ様の一存で、ルイセ様の言動を縛ること…

また、弟君であるルイセ様に対して、兄君にあたるライセ様が、その存在を抹消しかねない、過剰な攻撃を仕掛けること…

それらは一切許されてはおりません」

「!な…んだと…?」


フェンネルのこの制止によって、弟が祖父の庇護下にあることが分かり、ライセのこめかみが微かに戦慄く。


「何故、今更こいつを戻す必要が…、据える必要がある!」

「それはサヴァイス様に直接お訊き下さい。私には、詳しい話は分かりかねます」


フェンネルは、いきなり弟を攻撃したライセを、窘めるようにそう告げると、肩で息をするルイセを、そっと支えた。


…命に別状はなさそうだが、傷が深すぎる。


「ルイセ様、大丈夫ですか?」

「…ああ…」


時折、痛みに目を閉じながら、それでも意識を繋ごうとする累世。

そんな弟に、ライセは静かに近づいた。


…累世が痛みの下から、苦しげに兄を見上げる。


互いによく似た蒼の瞳…


その視線の先には、それぞれの胸の奥に秘めた、複雑な感情が見え隠れしていた。


だが、その対峙を遮るかのように、その場に良く通る少年の声が響いた。


「──こんな処にいたか、フェンネル」


直接の名指し相手はフェンネルであったものの、その場に第三者が現れたことで、3人は一様に声のした方を向いた。


しかしそれ以前に、ライセとフェンネルは、この声の持ち主には気付いていた。

2人が徐にそちらを見やると、それぞれが予測していた人物がそこにいた。


…そう、それは累世とは初対面の…

六魔将が一人、【鋼線】のシンこと、シン=ファルミエントだった。


累世は、またも見知らぬ異世界の住人が現れたことで、警戒せずにはいられなかったが…

フェンネルがそれを落ち着かせるように、累世を支える腕に力を込めた。


「…大丈夫です、ルイセ様。あれは我々の同胞…

警戒する必要はありません」

「…同…胞…?」


累世は、今だに痛む肩を押さえながらも、ようやく立ち上がり、そのまま青ざめた顔を隠すこともなく、痛みに尖らせた瞳をシンへと向けた。


その、ライセに瓜二つの…

そして父親であるカミュ譲りの累世の容姿に、シンは驚かずにはいられなかった。


「!…ルイセ様…

話には聞いていたが…、カミュ様とライセ様に、そっくりだ…!」


気付けばシンは呟いていた。

すると、それを聞き咎めた累世が、静かにフェンネルの手を振り解く。


「!ルイセ様…」


僅かに驚きを見せたフェンネルを省みることもなく、累世は確実に一歩を踏み出した。

その様を、そして深い肩の傷を確認したシンは、それを制止しようと、慌てて手を伸ばした。


すると意外にも、累世の方がそれを遮った。

カミュ譲りの銀髪を風に靡かせ、唯香譲りの蒼の瞳で、真っすぐにシンを見る。

…その瞳が、その容姿が持つ特有の威圧感に圧され、シンが俄に額に冷や汗を浮かべる。


「!…こ…、これは…」


…あり得ない。

今だ全く魔力を感じることのない者に、六魔将たる自分が…

その眼力のみで、少なからず恐れを抱くなど。


「…る、ルイセ様…」

「お前はフェンネルに用事があるんだろう?」

「!あ、はい…」


…答えながらも、シンは考えていた。

外見は、自分とほとんど変わらない。だが、彼より長命なのは…

魔力が使えて、彼よりも有利なはずなのは、他でもない自分の方なのだ。


…なのに、圧される。


例え瞳の色が、レイヴァンの娘譲りでも…

その内面は、間違いなくライセ様よりも、カミュ様に似ている…!


…だからか?

自分がサヴァイス様に、このような命令を与えられたのは…!


「…フェンネル」


シンは、いつになく慎重に口を開いた。

それに反応したフェンネルが、シンを見やると同時、シンは自らが受けたサヴァイスからの命令を口にした。

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