知ることへの危険性《リスク》
「…で? 一体何を話したいんだって?」
先程の件をまだ引きずっているのか、累世が腕を組みながら、いけしゃあしゃあと訊ねた。
…ここは言わずもがなの神崎家の内部…
それも、何の因果か、四人が雁首を揃えたのは、よりにもよって、累世の部屋だった。
いつになく機嫌の悪そうな累世に対して、どのように対処したらよいものか、三人が冷や汗を浮かべて俯き、体を強張らせる。
そんな彼らの、蛇に睨まれた蛙…
否、狼に追い詰められた子兎的な心境を汲み取ると、累世は息をついた。
「…、唯香」
「!…はっ、はいっ!」
息子に名を呼ばれた唯香が、弾かれたように飛び上がる。
しかし、累世はそれには構わず、次にはいきなり本題に触れた。
「俺の父親について教えてくれ」
「…えっ…!?」
突然、思いもかけないことを訊ねられ、元々強張っていた唯香の体が、更に凍りついたように硬直した。
恭一も夏紀も、口が悪いながらも、普段なら間違いなく母親を気遣うはずの累世が、それに反して前置きもなく切り出した事実に、ただ、驚愕している。
そんな中、唯香が震え、掠れた声で訊ねた。
「…なん…で…」
「こいつらが今日、ここに来た用件はそれだ。
そして、それは以前から…俺も訊きたいと思っていたことだ」
息子である累世の心からの訴えは、母親である唯香の感情を挟む余地を与えない。
…累世の中で、幼い頃の心境が蘇る。
…そう。
昔は、寂しかった。
そんな自分を…息子を気遣ってか、母親は常に側にいてくれたが、父親と兄弟がおらず、更に周囲の者とは違うこの外見の自分には、対象が自身でありながらも、強い劣等感を持たずにはいられなかったのだ。
そして、父親への憧憬が募るあまり、思いあまって情報を知っているであろう母親へ訊ねてみようと試みるが…
その度に、父親のことで顔が曇る母親の顔がちらつき、どうしても訊ねられなかった。
だが、それは全て以前の話だ。
姿形さえ知らない父親を慕うことで、時には、何故自分の側に居てくれないのだろうという、子供特有の理不尽な憎しみをも覚えたことがある自分は…
そろそろ、その感情から解放されてもいいはずだ。
…それが例え結果的に、母親を傷つけるエゴになってしまったとしても。
「…いつかは、こんな時が来るんじゃないかと思ってた」
意外にも、唯香は以前のような曇った表情は一切見せず、逆にどこか寂しげではあるが、笑みすらも浮かべた。
…唯香は、悲しい反面、喜んでもいた。
子供が親のことについて訊ねる…
それは自らを構成した親を理解し、受け入れたいから。
そこには、子供の確かな成長が垣間見える。
「…累世は、あたしに気を遣って、自分の父親のことは何も訊こうとしなかったから…
今訊かれて、何だか安心したよ」
「…唯香…」
まだ気遣いの残る目を自分に向ける息子に、唯香はその口元の寂しさを消し去った。
「そんな不安そうな顔をしないで、累世。あたしは大丈夫だから」
気丈に答えた唯香は、続けて恭一と夏紀に視線を走らせた。
「…恭一くん、それに夏紀くん。昔から累世の側にいてくれて、有難う」
「!何を改まって…」
「そうですよ。…俺たちと累世は、いわゆる幼なじみ…
オムツが取れるか取れないか辺りからの知り合いなんですから」
「そうそう。それだけ古い付き合いなんだから、今更変な遠慮は要らないよ、唯香さん」
恭一は肩を竦め、夏紀はそれに同意する。
その様子を見ていた累世は、とある違和感をそのまま口にした。
「…その今更な前置きはもしかして、俺の父親の素性に関係があるのか?」
「…うん」
唯香は、どこか虚無感を露にしながら頷いた。
それに、何故か言い知れない焦りと不安を覚えた累世は、柄にもなく母親に詰め寄った。
「どういうことだ!? そんな…今更こいつらとの絆を再確認しなければならないほどの何かが、俺の父親にはあるのか!?」
「…うん」
それが事実なだけに、唯香は、ただ頷くことしか出来ない。
その母親の曖昧とも言える対応に、やり場のない苛立ちを覚えた累世は、自らの拳を強く握り締めた。
「…だから今まで言うのを躊躇っていたのか…!
…俺の父親とは…、一体何者なんだ…!?」
「…累世…」
恭一が、累世を労って声をかけたが、今の累世はそれにすらもわずかな苛立ちを覚えていた。
しかし、累世はその苛立ちを周囲にぶつけることは、ただの八つ当たりであると理解していた。
…故に、出来るだけ感情の高ぶりを抑えながら、低く呟く。
「…話してくれ」
「…うん」
唯香は、また頷いた。
…それしか出来なかったからだ。
いつかは話さねばならないと、覚悟は出来ていたものの、いざ話すとなると、怖いのは息子の反応だ。
先程までの段階で、あれだけ苛立ちにも似た怒りを見せているのだから、これから話す、更なる過酷な内容によっては、自分は忌み嫌われ、実の息子に突き放されてしまうかも知れない。
…それは、カミュの素性を話すのと同等の葛藤とリスクを孕んでいた。
すると。
「…申し訳ありません、唯香さん」
夏紀が不意に、深く頭を下げた。
それに累世は驚き、制しようとするが、続けて恭一もそれに倣って頭を下げた。
「俺も…すいませんでした、唯香さん」
「…、二人とも…優しいね。気を遣ってくれたんだ…」
唯香は、心底嬉しそうに微笑むと、二人に頭を上げるように促した。
いたたまれずに、恭一が視線を逸らす。
「…俺たち、ただの興味本位で、累世の父親のことを訊こうとしてた…」
「他の家庭の事情に、首を突っ込むような真似をしてしまったことが恥ずかしい。
明らかに部外者の俺たちは、ここで引き上げるべきだろう、恭一」
「…ああ」
恭一が同意し、その場から立ち去ろうとすると、意外にも、止めようとした累世を制し、唯香がそれを遮った。
「? 唯香さん…?」
恭一は怪訝そうに唯香を見た。
…先程までの彼女とは裏腹に、何だか少し怒っているようだ。
「…唯香さ…」
「恭一くん、夏紀くん。…あたしが累世の父親のことでさっき話した前置きは、貴方たち二人に遠慮させるためのものじゃない…!」
「…え?」
意図が分からず、夏紀が戸惑うと、唯香は累世を引き寄せた。
すると当の累世は、ぎょっとしたように母親を見る。
「!なん…」
「…あのね、二人とも。確かに累世の父親はここにはいないし、累世自身もこうだけど…
あたしたちに遠慮なんかする必要はないのよ?」
「!…」
累世は、母親の言葉に目を見開いた。
…母親は、恭一と夏紀を信用しきっているが、父親の素性を話すことで、息子である自分が遠ざけられたり、色眼鏡で見られることを恐れているのだ。
だから遠慮はして欲しくない。
…本音はそんなところなのだろう。
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