反旗を翻す

そのレイヴァンは、物怖じすることなくその空間に足を踏み入れると、自らの主であるはずのサヴァイスに、その非礼を詫びることもなく話しかけた。


「サヴァイス様、俺がここに現れた理由はご存知ですね?」

「…ああ」


サヴァイスもまた、その非礼を追求することもなく、頷く。

同時に、唯香を縛っていた、例の厄介な術が解けた。

…どうやら、突然に姿を見せたレイヴァンに配慮して、サヴァイスが術の全ての効果を消失させたらしい。


…しかし。

副人格であるが故、レイヴァンを直に見たことの無かったカミュは、初めて目の当たりにする、噂に名高い六魔将の最高実力者…

レイヴァン=ゼファイルを、まるで食い入るように見つめた。


そんなカミュを、続けてすっかり痛めつけられ、弱りきった唯香を一瞥すると、レイヴァンはその魔力を、一気に先程の倍ほどに高め、再び口を開いた。


「…サヴァイス様、娘の側に不手際があれば、謝罪も致し方ありません。

しかし、現状を見る限りでは、それはおよそ…」

「前置きはいい。その魔力からするに、お前も我に楯突く気であろう? レイヴァンよ…」


『レイヴァン…、唯香の父親であるお前までが、この世界の皇帝を敵に回すことはないだろう…』


カミュがレイヴァンに、低く忠告する。

…例え実際には初対面であっても、レイヴァンに関する知識や記憶は、間違いなく自らの脳の一部にある。

が、レイヴァンはそれに反して、眼前のカミュを意味ありげに眺めた。


「…貴方が、皇子のもうひとつの人格であるというなら…

その質問が、どれだけ無意味であるか、分かるのではないか?」

『…それを承知の上での言動か』


その意味を反芻することで、重みを噛み締めたカミュは、鋭い視線を父親へと向けた。


『…父上…』

「そうまでして、子らに拘るか…、面白い。

どうあっても、子を手に入れたいと言うのであれば、我に殺される覚悟でかかって来るのだな」


本性を露にしたサヴァイスが、残虐なまでの美しさを醸し出す。

それに警戒に警戒を重ねたカミュを後目に、レイヴァンは軽く左手を後ろへと引いた。


それは時を止める為の魔力の構成だった。

が、その先を読んだらしいサヴァイスは、更に自らの魔力を高める。すると、彼の両腕に抱かれていたはずの双子が、紫色の光に覆われながら、ゆっくりと彼の頭上に浮かび上がった。


…恐らく、戦いの巻き添えを避けるためにそうしたのだろうが、赤子とはいえ、質量の違う二人を同時に宙に浮かすことの出来るその力量は、やはりひとつの世界の皇帝たる者の持つ、膨大な魔力の片鱗を見る者に悟らせる。


一見しただけで分かるのだ。

…あれは生半可なものではない、と。


さすがに、カミュは唸らずにはいられなかった。

しかし、その彼のわずかな感情の揺らぎは、レイヴァンによって払拭される。


「皇子…、サヴァイス様相手に、臆してはならない」

『!レイヴァン…』

「…どうやらサヴァイス様には、何らかの策略があるようだ…

でなければ、我々はとうに全滅させられている」

『…確かに。父上がその気になれば、俺たちを殺めることなど、造作もない…』


…しかし。

カミュがそう呟いたと同時、双子たちをそのままの状態で放置したサヴァイスは、いきなりカミュに攻撃を仕掛けた。


紡ぐように魔力を高め、それをカミュに向かって薙ぎ払うように放出すると、鋭い魔力の刃が作り出される。

しかも単体ではなく、複数だ。


『!本気か、父上…!』


カミュは一気に魔力を高めると、バリアのような防壁を作り出し、それを弾いた。

が、その一瞬の隙をついて、サヴァイスがその防壁を、“内側から”壊そうと試みる。

…この攻撃への対応の早さに、カミュは密かに心中で舌を巻いていた。


(…やはり…強い…!)


レイヴァンには、臆するなと言われたが、どうしても気弱になってしまう部分がある。

それは他でもない…


相手が自分の父親だからだ。


…すると、カミュのそんな心境を見越したのか、レイヴァンが徐に、例の左手をサヴァイスの方へと向けた。


ぴしりと、周囲の空間が張り詰められた状態になって、時が止まる。

その間にレイヴァンは、カミュの防壁の中へと入り込み、自らの魔力でもってそれを強化した。


…再び、時が動き出す。


『! レイヴァン…!?』


いつの間にか、レイヴァンが隣に姿を見せたことで、カミュは驚きを隠せなかった。

レイヴァンは軽く頷くと、カミュに支えられたままの唯香に目をやった。

…唯香が、カミュ以外の者の気配を察し、ゆっくりと目を開く…

と、開いたその目が、近くにいたレイヴァンに釘付けになった。


「! …お、お父さん… お父さんなの…!?」

「ああ」


レイヴァンが頷いたことで、唯香は恐る恐るではあるが、それでも縋るように、レイヴァンに手を伸ばした。

それをレイヴァンは、労るように握りしめる。

…父親譲りの唯香の蒼の瞳から、涙がぽろぽろと零れた。


「…俺が生きていることを、将臣に口止めしたのは…俺自身だ。

今まで隠していてすまなかったな…、唯香」

「ううん…、お父さんが生きていてくれたから…、もう…そんなこと…、どうでもいい…!」

「…唯香…」


レイヴァンは、娘である唯香の手を、それに応えるように握り返した。

…それに、何事か決心したように、唯香が呟く。


「…カミュ…、それに、お父さん…

子どもは、もういいから…、あの人に逆らわないで…!」

『唯香…!?』

「…あなたのお父様は…ただ、あの子たちを側に置いておきたいだけ…

殺すつもりなんかない…

反対に、逆らったりしたら…あたしたちが殺される…!」

「…唯香、お前…」


レイヴァンが唯香の考えに気付いた。

それに唯香は、寂しげに微笑んでみせる。


「…あたしは、子どもも大事だけど…

カミュも、お父さんも…大事なの。

だから、皆が生きてさえいてくれるなら…子どもを返して欲しいなんて、我が儘は言わない…!」

『!唯香…、それは我が儘じゃない! 我が儘なんかじゃないんだ!』


吐き捨てるように叫んだカミュは、瞬間、唯香をレイヴァンに預けると、彼の魔力とも相まって、二重に強固になっている防壁を、跡形もなく消失させた。


…今だその場から動かない父親に、ゆっくりと近づいていく。

その、美しい紫の瞳の奥に、初めて父親を憎む感情が現れた。


その、いつになく反抗的なカミュの瞳を見たサヴァイスは、低く笑うと、カミュの動きそのものを封じるため、更に魔力を高めると、それを易々と放った。

しかし、そんな父親の動きをいち早く察したカミュは、それを弾き飛ばすべく、右手にそれとは対なる魔力を集中させる。

まさにそれを実行しようとした…

その時。


…何を思ったか、唯香が残った全ての力を振り絞って、カミュの前に、その身を投げ出した。


『!…ゆい…』


カミュが名を呼ぶか呼ばないかのうちに、唯香の弱りきった体に、サヴァイスの強力な魔力が直撃した。


…それは、あまりにも突然なことで、【時聖】の異名を持つレイヴァンですらもが、連続して時を止める暇すらなかった。


「!…」


その魔力が蝕む痛みに、きつく歯を噛み締めて、唯香は声も出せずに…


ただ…静かに、その場に崩れ落ちた。


『唯香…?』


…カミュが問う。



…唯香は答えない…



『…唯香…?』


徐々に、カミュの声には焦りが含まれていく。

…始めは、何が起こったのか分からなかった。

だが、事実が脳に浸透するにつれ、湧き上がって来る感情は、焦燥と、そして…


『…唯香!?』


…途方もない絶望感。


カミュは、勢いに任せて唯香の体を揺さぶった。

しかし唯香は、されるがままで、いつものように強気に返してくる気配すらない。


「…皇子…」


娘の状態を察したレイヴァンが、どこか沈痛な面持ちで傍らに立つ。

そのレイヴァンに、再び唯香の体を預けると、カミュは無言のまま、真正面から父親を見据えた。


『…よくも…こんな真似を…!』


…それまでの副人格には持ち得なかった、憎しみを糧に生み出される“カミュ”の力に、サヴァイスは密かに笑んだ。


「…副人格…、お前には分からぬだろうが、お前に足りぬのは…、まさにその“闇”だ」

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