未だ氷のままで

するとサヴァイスは、意図的に、ゆっくりと目を開いた。

そこには、先程まで見せていた様子は、影もなかった。


「…、カミュの行方を知りたいのだったな…」

「!あっ…、はいっ!」


自分にとって、今一番知りたい内容に話が移ったことで、唯香の脳裏から、先程のサヴァイスの言動は、記憶の片隅に移り、そこに仕舞われた。


「追われている者から身を隠すには、ひとつだけ盲点のある場がある… 分かるか?」

「!えっ…」

「…、自らが逃げる側に立って、考えてみるがいい…」


わずかながらも微笑みを浮かべたサヴァイスは、そのまま何処かへと姿を消した。

後に残された唯香には、そんな彼の一連の言動が、自分を導こうとして興したものに思えてならなかった。

が、はっと我に返ると、謎かけさながらの、サヴァイスの言葉の意味を考える。


(…身を隠す…、盲点? 安全な場所…)


(自分が既に、安全だと分かっている場所…

知っているところ?)


(…追っ手から、確実に逃げられる場所…

その相手が、既に調べた所…!?)


「!」


ここまで考えて、唯香はカミュの居場所に気が付いた。

彼の言葉が真実なら…

カミュが今、居るのは…自らに与えられた、例の空間。

さっきまで、自分がいた場所だ…!


…そう。

あそこなら確かに、自分は探さない。

カミュが空間から出るのを見届け、その後を追って飛び出した自分は、まさか彼がその場に戻っているなどとは、塵ほども考えない。

…まさに『灯台下暗し』だ。


「やってくれたわね、カミュ!」


…何となく腹を立てながら、唯香はこれ以上ない早さで、カミュのいるであろう空間の前へと戻った。

が、予測通りと言うべきか、その入り口は、魔力によって固く閉ざされていた。


「!…初めからこうして閉め出すつもりだったのね!」


してやられたと、唯香が空間の入り口を叩いた。

すると、入り口はそれを拒むかのように、いきなりビリッと電流のようなものを流した。


「!痛っ」


唯香は反射的に手を離した。が、すぐに、これはカミュが仕組んだものであると気付き、ちょっとした怒りが湧き上がる。


「カミュ! 子供みたいなことしてるんじゃないわよ! …中に居るのは分かってるのよ! あなたのお父様が教えてくれたんだから!」


すると、噛みつくように叫んだ唯香の目の前で、ゆっくりと空間の入り口が口を開いた。


「えっ!?」


…よもや、この状況で開くとは思うまい。

唯香は何となく拍子抜けしながら、それでも恐る恐る空間へと足を踏み入れる。


…怖いことは怖い。

だが、恐らくカミュは、中で待ち構えているだろう。

頑として開こうとしなかった空間を開いてまで、自分を招き入れたのだから。


唯香がその空間内に立ち入った直後、それを待っていたかのように、空間の入り口が音もなく閉じられた。

しかし、唯香はそれには構わず、ただまっすぐに目の前にいる人物を見る。


…そこにいたのはカミュだった。

何かを考えるように、その紫の目を伏せ目がちにし、そのまま口を開く。


「…、お前がここに舞い戻ったのは、父上の導きだと言ったな」

「!う…、うん…」


唯香が声を上擦らせる。

その様子を、視線をあげることで見てとったカミュは、ふん…、と前置きを入れた。


「…それで自らまた籠の鳥か…

人間という輩は、感情で動く分、つくづく愚かだな…」

「…?」


その意味を測りかねた唯香は、カミュの次の言葉を待った。

カミュは、冷淡な態度を崩さず続けた。


「お前は俺のレプリカに会いたいが為に、自らを省みずに再びここへ飛び込んできた。…だが、それを滑稽と言わずして何という?」

「…そんなこと…、あたしのことなんか、別にどうだっていいのよ!」


唯香は、カミュの挑発に近い問いかけを、まともに反論することで叩き潰した。

…自然、カミュの表情がわずかに険しくなる。

瞬間、カミュの右手が、空気を勢い良く薙ぎ払うように動いた。

その途端、辺りに、ぱっと血飛沫が散った。


「!…」


唯香は驚いて、胸よりもやや上、首よりも下の位置に目をやった。

そこには、鋭い刃物のようなもので、斜めに切り裂かれた痕があった。


「!…」


唯香が驚いてカミュに目をやると、カミュは自らの爪の先についた血を、求めるように、そっと口に含んだ。

…カミュの口に、えもいわれぬ濃厚な、極上の血の味わいが広がる。


「お前の命は俺が握っている。あまり俺を怒らせるな…」


唯香を見据えながら短く返したその一言には、到底逆らえないような、恐ろしいまでの威圧感がこもっていた。


それに、唯香はぞくりとした。

ここで負けてはいられないと思ってはいても、本能がまるで言うことを聞かない。

…未だ味わったこともない、未知なる恐怖に怯えている。


唯香は無意識のうちに、着ていた服の袖で、無造作に傷の箇所を拭おうとした。

すると、それを見咎めたカミュが、魔力によってその動きを止める。


「!?」


唯香が驚いていると、カミュはゆっくりと唯香に近寄った。

…躊躇うことなく、その傷に口づける。


「…!」


以前、カミュに与えられた快楽を思い出し、唯香が思わず身を竦めた。

すると、唯香のその反応を見越していたらしいカミュが、そのまま荒々しく唯香を押さえ込む。


「…恐怖と快楽の調和…か。感情は、本能には随分と忠実なようだ…

人間とは、真に面白いものだな」

「……」



…唯香は、既に声を出すことも叶わなかった。


同時に与えられる、苦しみも痛みも知っていたから。


そして、それを回避する術がないことも、もはや承知の上であったから。


…逆らうのは感情だけ。

堕ちるのは本能だけ。


…そして行き着く先は、ただの自己嫌悪…!

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