皇帝との対話
「貴方はよくてもね、あたしがよくないの!」
噛みつくように喚いて、唯香は捕らえている手に力を込めた。
すると、それを鋭く見て取ったカミュが、不意に自らの魔力を高めた。
途端に、カミュの体が、人体では到底あり得ないほどの高温に覆われる。
まるで太陽を直接触っているような、そのあまりの熱さに、唯香は反射的に手を離した。
すると、カミュはその隙を狙って、空間から外へと姿を消した。
唯香がそんなカミュの行動に気付いた時、カミュの姿は既に、その場には見受けられなかった。
逃げられたと気づき、唯香は弾かれたように、慌ててその空間から飛び出した。
…すると、見た目は鉱石に近い黒い宝石で埋め尽くされた漆黒の通路は、左右に分かれていた。
しかし、カミュがそのどちらへ行ったのかは、全く分からない。
まさしく右も左も分からない状況下で、唯香はしばらくの間、左右を窺いながらも途方にくれていた。
が、やがて、はっと我に返ると、とりあえず左右を確認し、全く根拠もなく左に足を向けることにした。
…そうして、周囲の様子をそろそろと窺いつつ、唯香は慎重に歩を進めていった。
途中、幾度となく、この世界の住人たちとすれ違いそうになって、そのたびに唯香は、手近な柱や通路の陰に身を潜めたりして、何とか事なきを得ていた。
だが、それでも、そんな行軍がいつまでも続く訳がない。
…いつの間にか背後に接近していた人物に、唯香はいきなり呼び止められた。
「何処へ行く?」
「…!」
ぎくりとし、更に体を強張らせた唯香は、声も出せずに立ち竦んだ。
そのまま、さながら関節しか動く箇所のない人形のように、ゆっくりと首だけを後ろへ向ける。
が。
次の瞬間、唯香の瞳は大きく見開かれ、そこに立っていた人物に釘付けになった。
慌てて体もそちらへ向ける。
…そこに居たのは、ここ精の黒瞑界の支配者・サヴァイス=ブラインだった。
目で確認しなければ分からない程にその気配をひそめ、反してその視線は存在を露わにするかのように、食い入るように唯香に向けられている。
例え初対面であっても、否、初対面だからこそ感じられる、彼の強烈な威圧感、そしてそれを上回るほどに目を奪われる美貌に、唯香は神と対峙しているような錯覚を覚えた。
…しかし、そうではなかった。
彼は、神などではなかったのだ。
むしろ、禍々しく、魔にも近い存在…!
「…カミュを求めるか? 神崎唯香…」
…その、闇を閉じ込めたような漆黒の瞳は、唯香から逸らされることもなく、彼女を捉えていた。
一方の唯香は、初対面であることも手伝って、始めはどこか怯んでいた。が、カミュの名が出た途端、一転して縋るようにサヴァイスに訊ねた。
「カミュを御存知なんですか!?」
姿をくらましたカミュの情報を得られるかも知れないという、きっかけを含んだ期待感から、唯香は、サヴァイスが何故自分の名を知っているのかなど、気にも止めずに問うた。
それに、サヴァイスは口元に、わずかな冷笑を張り付ける。
「…、よく知っている。あれは我の子だ」
「え…!?」
唯香は一瞬、呆気にとられ、目をぱちくりさせると、次には気を取り直して、目の前の相手…サヴァイスを見つめた。
艶やかな長い漆黒の髪
黒宝石のような綺麗な瞳
透き通った、きめの細かい肌
そして、人間離れした…その美貌
こんな、美しい存在が…
「カミュの…父親…!?」
「そう驚くものではない。お前はまだ真実を知らないだけだ…」
「真実…?」
サヴァイスの言葉の意味を測りかねて、唯香は眉をひそめた。
そんな唯香に、サヴァイスは静かに歩み寄る。
…彼がそのまま佇んでいれば、その箇所は天上の風景画そのものといっても過言ではなかった。
しかし、その『人物』が歩み寄って来たことで、唯香の脳は、ほぼ強制的に、これが現実なのだと意識させられていた。
…そして、そこに『天上』そのものの明るさは存在し得なかった。
在るのはただ…、闇。
それにとけ込むようなサヴァイスの美しさが、より際立って見えた。
…それに酔わされ、自分の思考で、まともに考えられなくなって来た頃、唯香はそれを振り切るように叫んだ。
「!…そ…、そんなことより、カミュの行方を知っているなら教えて下さい! お願いします!」
唯香は、ぺこりと頭を下げた。それを押し黙ったまま、視線を下に向けることで認識したサヴァイスは、その口元の笑みを消した。
「それを聞いてどうする?」
「…え…」
不意に問われて、唯香が答えに詰まった。
「どうするって…」
言い淀んだ唯香は、それでもすぐさま顔をあげると、凡そ言うはずのなかったことを口にした。
「…あのカミュは…
「お前は、あの副人格を憂いているのか?」
「!」
サヴァイスの口から告げられたそれは、唯香の心臓を跳ねさせるには充分だった。
…ヒントを掴んだと確信した唯香の心臓が、早鐘のように鳴る。
「!何故…、どうしてそれを御存知なんですか!?」
「…我は全てを見通している。お前がレイヴァンの娘であることもな」
「!そんなことまで…」
初対面であるにも関わらず、これだけの真実を、いともあっさりと告げるサヴァイスの言葉は、唯香を複数回、驚かせるには充分だった。
「我に答えて欲しくば、先に我の問いに答えよ…」
「!…、カミュの行方が知りたいのは…、叶うなら、せめてもう一度だけ…以前のカミュと話したいからです!」
…壊れ、失せてしまったはずの、彼を信じる心…
それをもう一度信じてみたくなった理由は、他でもない。
…カミュが、今だ自分を殺していないからだ。
素人目にも分かるが、カミュのあの魔力をもってすれば、自分を塵にすることなど容易いだろう。
しかし、カミュはそれをしないどころか、こうして自分を生かしたままにしている…!
「…ふ…、そうまでしてあのカミュに会いたいか…」
サヴァイスが含み笑う。
「その代価は既に支払ったようだが…、お前も知らぬはずはないだろう。あれこそが本来の、精の黒瞑界の皇子たる者の姿なのだぞ…?」
「!…」
唯香は、ぎくりと言葉に詰まった。
…カミュのあの、冷たく人間を蔑む瞳…
同胞以外、何者をも信じようとしない、頑なな拒絶…
そして、生者を殺めることを何とも思わない、冷めた感情…
あれら全てが、この世界の皇子…後継者が持ちうる【内面】だというのか…!
「それでもお前は、カミュと共にあることを望むか?」
…高位の者が下位の者に訊ねる図式が、そのままそこに現れた。
表情を強張らせ、惑いを隠せない唯香に、サヴァイスはなおも容赦なく告げる。
「カミュに深入りをするということは、あれの全てを受け入れることに繋がる…
脆き人間ごときが、そこまで動けるか?」
「…、人間のあたしに出来ることは…確かに高が知れているでしょう…」
唯香が、俯き加減に呟いた。
人間であるから、人間であるからこそ、ここではその言動には制限がかかる。それは理解していたつもりだった。
しかしそれは、あくまで『つもり』でしかなかったことを、会話のやり取りで、強く認識させられる。
「…でも、これだけは信じて下さい。あたしは、カミュが…」
「…、不思議な娘だな」
唐突にサヴァイスが唯香の話を遮り、呟いた。
その瞳は唯香を映し出してはいたが、その奥底で彼は、彼女を通して違う者を見ていた。
…気丈な姿が重なる。
その瞳に含まれた鋭さは消え、代わりに浮いたものは…これまでに見せたこともない柔らかさだった。
そこにはわずかながら、確かに暖かさも含まれていた。
「…お前はライザに…、よく似ている…」
…その一言には、心の底から湧き上がってくる、彼の感情の全てが集約されていた。
結果、サヴァイスはその瞳を柔らかく閉じた。
「…、あの…」
何となく、彼の回想に立ち入るのが
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