取り引き
六魔将たちが、空間の入り口で、我が身の至らなさを振り返っていた頃…
サヴァイスは、カミュがいる空間の内部を、静かに見つめていた。
…己の前方から聞こえてくるのは、息子であるカミュの、つらそうな吐息だけだ。
サヴァイスは焦ることもなく、ゆっくりとそちらへと歩を進めた。
…そこには、カミュがいた。
彼は、ソファーに身を預けるようにして、憔悴しきった様子で、目を閉じたまま天を仰いでいた。
その体には、熱を出した時のように、大量の汗が窺える。
すると、自らに近付く者の気配を感じ取ったのか、すっかり擦り切れた神経を、無理やり使うようにして、カミュはやっとのことで口を開いた。
「…父…上…?」
うっすらと目を開き、置いて行かれた子供のような瞳を向けるカミュに、サヴァイスは、注意していなければ聞き取れないような低い声で呟いた。
「…何だ、その
突き放すようなこの一言に、カミュは弁解する力もなく、ただ、再び目を閉じることで肯定した。
その様子を見ていたサヴァイスは、氷にも増して冷酷な視線を息子へと向けた。
「いつまで己に振り回されるつもりだ」
「……」
カミュは答えない。
否、答える気力すらも無かった。
例え、この世界の皇帝である父親に問われているのだとしても。
…彼の体からは、今や全ての力が失せていた。
それでもサヴァイスは容赦することもなく、その氷のような瞳でもって、鋭くカミュを睨んだ。
「そんなもので我を謀ろうというのか?」
『…さすがに父親の目は欺けない…か』
不意に、カミュが低く呟いた。
…現れている人格は他でもない、【記憶を失っていた頃のカミュ】だ。
そのカミュは、自らの体をゆっくりとソファーから起こすと、うっすらと目を開いた。
…黒髪紫眼の、美貌の吸血鬼が、目の前にいた。
その、ひどく冷たく自分を見下す様は、さすがにひとつの世界の王であることを、強く思わせる。
「…何が狙いだ、貴様」
サヴァイスは、予測のついている質問をあえて投げかけた。
そうすることで、この副人格…【カミュ】の反応を見ようと思ったのだ。
すると、そんな反応を見越していたかのように、カミュはすぐさま答えてきた。
『“父上”… 貴方も分かっているだろう?
俺は人間たちとは争いたくない。だが、もうひとりの俺は、ひどい人間嫌いだ…』
カミュは、いったんここで言葉を切り、射るように冷たい父親の視線を真っ向から受けた。
『このままでは、もうひとりの俺は…いつか全ての人間を滅ぼすだろう…
あいつは自らの手が人間の血で染まることなど、何とも思っていない…
あいつは…、“俺自身”は、それを恐れてすらいないんだ…!』
「……」
サヴァイスは緘黙したまま、傍らで息子の独白を聞いていた。
それに何らかの手応えを感じたカミュは、この機を逃さずに先を続ける。
『父上…、頼む! 貴方の言うことならば、もうひとりの俺も聞くはずだ…!』
「──お前は我に、もうひとりのお前を止めろというのか? そして人間共を殺めないよう、制止せよと…?」
サヴァイスは、その瞳の冷たさを若干和らげた。
しかし、その代わりに浮かんだものは、無機質な光…
「…お前は、本来のカミュの人格を、頭痛という方法でしか封じることが出来ない。
だが、同体のお前も、いちいち負荷がかかる手段で制止していたのでは、効率も悪く、自らも消耗する…
それによって興した姦計なのだろう?」
『…、こちらの言いたいことを、そこまで把握しているか… ならばその上で問おう。
…賛か、否か…、答えは…?』
「…“賛”で良かろう」
サヴァイスが、その整った口元に、意味ありげな笑みを浮かべて答えた。
しかし、これだけすぐに答えた上に、その、何かを企んでいるような、狡猾な笑み。
それらが気になったカミュは、なおも油断なく事を進めた。
『何故、そうも簡単に肯定する?』
「不満なのか? お前には都合が良いことなのだろう?」
一笑に付され、カミュは一時、言葉に詰まった。
…父親は、自分の何を、どこまで見通しているか分からない。
しかし、言葉通り、それが自分に都合のいい事実であるのは確かだ。
この父親相手に、これだけの返事を引き出せた…
それだけでも充分と思うべきだろう。
すると、そんなカミュの顔色を読んだのか、サヴァイスが先手を打ったように、いよいよ低く告げた。
「…だが、我が賛ずるのは、今から明日の日没までだ。そうせねば、抑えつけられている本来のカミュの魔力が、いつ何時暴走しないとも限らぬからな」
サヴァイスの素っ気ない言葉を、カミュは肝に銘じながらも頷いた。
…そしてそれと同時に、強い確信も持っていた。
短い時間ではあるが、この世界の皇帝公認の猶予が与えられた。
後は、この体の自由がそこそこでも利けば、今後のことは何とでも対処できる。
『有難い。それだけの時間があれば充分だ…
その時間内に、俺を取り巻く全てのものに、片を付けてやる…!』
呟いたカミュは、すぐさま行動しようと、ソファーから立ち上がった。
するとサヴァイスが、その美しい紫の瞳を僅かに瞬かせることで、彼を制する。
それにすぐさま気付いたカミュは、ふと、父親を見つめた。
『何だ? 父上…』
「──本来の人格は、予想以上に消耗しているようだ…
ならば副人格よ… その器、期限まで貸してやろう。本来の人格は、それまで眠らせておけば問題あるまい」
『…!?』
サヴァイスの突然の言葉に、当然の如くカミュは警戒する姿勢を見せた。
…どう考えてもおかしすぎる。
先程の意味ありげな笑みといい、今回のこの申し出といい…
まるっきり本来の人格に不利になることばかりではないか。
…その内面での葛藤が、知らず知らずのうちにカミュの表情に表れたのを敏感に読み取ったサヴァイスは、低く、冷たく笑った。
「…必要以上に、疑念が強いようだな」
『…、疑うなという方が無理だ』
カミュが冷静に突っぱねると、サヴァイスは鋭くも目を細めた。
針の先を思わせるその鋭利さに、思わずカミュが息を呑む。
「話を巡らせるな… 他に、お前に選択肢があるとでも思うか?」
『……』
カミュは黙り込んだ。
父親の意図するところが分かり、先程からの考えに結論が出たのだ。
…つまり、父親は罠を張っているかも知れない…
しかし、それを承知の上で、話に乗るか乗らないかを自分で決めろというのだ。
『……』
カミュは一層黙り込むと、一頻り考えた。
だが、こうしている間にも、時間はどんどん過ぎていく。
明日の日没までと期限が短いのも、恐らくこちらの結論を急がせ、なおかつ行動範囲を縮小させるためだろう。
…さすがにひとつの世界の皇帝…
一筋縄ではいかない。
『…、分かった。その話に乗ろう』
カミュは決断すると、きっぱりと父親に答えた。
それを聞いたサヴァイスは、細めていた紫の瞳を戻し、射抜くようにカミュを見た。
「…そうか。ならばせめて、本来の人格と同等の魔力くらいは使えるようにしておいてやろう」
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