33 小さな恋のメロディ
辺境騎士団の砦に着いて僅か4日目、私たちは王都に向けて出発する事になった。
本当は朝から出発した方がいいんだろうけど、わがままを言わせてもらって、その日は午前中だけ無料でお風呂屋さんを解放することにした。
本当に短い間だけど、子供たちはこの砦に住んでいる子供たちと仲良くなって一緒に遊んだりもしていたから、せめて少しゆっくり「さようなら」を言わせてあげたかったし、私たちなりの御礼の気持ちをここの人たちに表したかったのだ。
「あっ、お兄ちゃん!」
特にエミリーちゃんは小さい子好きの
「みんな、王都に行くんだってな」
デニスくんは見るからにしょんぼりとしていた。この砦に子供はいないわけではないけども、それほどたくさんいるわけではない。子供が急にたくさんやってきて彼らは最初戸惑っていたけども、子供同士というのは仲良くなるのが結構早いから、例に漏れずすぐ混じって遊ぶようになっていた。
こっちの子供たちからもケイドロとか大人数でやるのが楽しい遊びを教えて、砦の中で自由行動班の子たちと毎日駆け回っていた。
小学生にとっての2歳は大きいから、デニスくんとケビンくんはみんなのいいお兄ちゃんで、中には心愛ちゃんのように「お兄ちゃん」と呼んで慕う子もいたのだけれど。
「うん、王様のいるところへ行くんだって。おうちに帰るのにはその方がいいから」
「ミアたちの家って、凄く遠いんだよな?」
「……うん」
異世界から来たと言う話は、他の人には言わないようにと子供たちには言い含めてある。子供たちにとってもそれが異常な事だとわかるから、それにまつわる話になると不自然に口が重くなるらしい。
「タイチとかルナとか凄く強いし、お父さんも一緒に王都に行くって言うから大丈夫だと思うけど……みんな、気を付けてな」
「うん、お兄ちゃんたちも……元気でね」
みんな、と呼び掛けてる割りにデニスくんの目は俯いている心愛ちゃんに向けられている。
それに対して心愛ちゃんの返事も歯切れが悪い。
小学生男子はカブトムシだと思え、という言葉が保護者の間にあるらしい。
水たまりがあれば入っていくし、棒があれば拾って振り回すし、木があれば登るし、トカゲがいたら追いかけるし、傘はだいたい一ヶ月で一本ぶっ壊す。
自分とは違う生き物なんだと思うことで、「私が子供の頃と違う!」と無用にカリカリせずに寛容になれという意味らしいけど。――実際男子と女子を比べて見ていると、小学生のうちは心の成長に差が出やすい。女の子は男の子に比べて早熟だ。
あくまで出やすい、というだけで個人差はあるけども。
つまり、どういうことかというと。
一部の女の子からは、同級生の男の子はよりお子ちゃまに見えるということで。
ちょっと年上の男の子の方が、相手にしていて落ち着くこともあるということで。
つまり、どういうことかというと!
心愛ちゃんとデニスくんの間には、そこはかとなく甘酸っぱい空気が流れているということなんですよ!!
実は私は最初気付いてなかったんだけど、昨日の夜に「明日ここから出発するよ」と言ったとき、心愛ちゃんがいつもよりしょんぼりしているようには見えたんだよね。
それだけだったら気付かなかった。鈍い私は気付かなかった。
ニヤニヤした杏子ちゃんが「人を好きになるのに時間は関係ないってママが言ってた」ってわざわざ言いに来なかったら、絶対気付かなかった!
「いつかまた会える?」
活発なデニスくんも、しょんぼりしている心愛ちゃんに引きずられたのか声に力がなくて。
ただの引っ越しとかなら、大きくなったら遊びに来てねとか言えるよ。私が幼稚園から小学生の時に仲良くしていた友達も3年生の時に引っ越してしまって、5年生の時に電車に乗って遊びに来てくれたのが凄く嬉しかった。
だけど、異世界に「遊びに来てね」とは言えない。
決して再会の約束はできない。言うのは簡単だけど、守れないから。
普通ならできる約束ができないのに、その理由が言えない。
心愛ちゃんは、そういう事でとても困っていたんだろう。
困って、困って――とうとう彼女は泣き出してしまった。
「あー、デニスが心愛泣かしたー」
はやしたてた
「ミ、ミア? 俺、変なこと言った?」
おろおろするデニスくんに対して、心愛ちゃんは首を横に振るのが精一杯で。そして無情にも周囲から他の子たちはススス、と引いていった。つられて私も少し離れる。
「お別れなのに、泣くなよ……泣いたままさよならじゃ悲しいだろ」
デニスくんは途方に暮れた後、何かに目を留めてそちらに走っていった。
そして、小さくて白い花を摘んでくると、心愛ちゃんの耳の横に挿したのだ。
う、うわー! 甘酸っぱい! 甘酸っぱいよ!
さすが騎士の息子! 平民だけど!
どうしよう、こんなの覗き見してていいのか!? 私完全に駄目な大人では!?
でも隣で杏子ちゃんも「くふっ……」って言いながらしゃがみ込んでるし!
デニスくんの行動にびっくりしたんだろう。心愛ちゃんはそれで泣き止んだ。そして、ポケットからハンカチを取り出すとデニスくんにそれを差し出した。
「あ、ありがと――。これ、お兄ちゃんにあげる」
「えっ?」
デニスくんが驚くのも無理はない。たかがハンカチとはいえ私たちの世界のもの。布もいいし、お風呂に入っている間の洗濯サービスのおかげで、ぴしりとアイロン掛けがされたように綺麗に畳まれているし。こっちの人から見たら凄く高級品に見えるかもしれない。
その上――。
「これ、心愛の名前なの。こう書くの」
小学生の持ち物には全部名前が書いてある。心愛ちゃんのハンカチにも、隅っこに「ひさまつ みあ」とひらがなで名前が書かれているのだ。
ピンク色の花柄のハンカチを、自分の名前が書いてあるハンカチを、心愛ちゃんはデニスくんに差し出していた。
あああー、甘酸っぱい! 見ているこっちがドキドキする! どうしよう!
「字、読めるようになるように勉強する」
心愛ちゃんのハンカチを受け取って、彼からしたら不思議な記号にしか見えないであろう文字に目を落としてデニスくんが真剣に言った。
「うん、お兄ちゃんも勉強頑張ってね。私もいろいろ頑張るから。おうちに帰っても、忘れないから」
心の中でのたうち回っていた私は急に我に返ってしまった。
デニスくんがいくら勉強しても、その文字は読めるようにならないのだ。この世界の文字じゃないから。
心愛ちゃんがそれに気付いているかどうかはわからない。でも、今この瞬間「お互い頑張る」ことを約束しあったふたりにはとてもそんなことは言えない。
「心愛たちのこと、忘れないでね」
「うん、絶対忘れない」
「さようなら、お兄ちゃん」
それが精一杯だったんだろう。小さく手を振って、心愛ちゃんはさりげなく距離を取っていた私たちのところへ走ってきた。
私はリュックから手帳を取り出すと、それを開いて心愛ちゃんに差し出した。
「お花、押し花にしようか。そのまま枯れちゃったら悲しいもんね」
「……うん」
自分の髪に飾られた白い花をそっと外して、心愛ちゃんはじっとそれを見つめる。
「先生、これ、なんてお花?」
「ご、ごめんね、先生にもわからないや」
「そっか」
可憐な白い花をページの間に挟んで、心愛ちゃんは手帳を持ったまままごまごとしている。自分が持っていたいのだろうけど、その手帳は私のものだから悩んでいるのかもしれない。
「きっと、おうちに帰る頃には押し花になってるよ。そうしたら心愛ちゃんにお花を返すからね」
「うん」
少女の小さな悲しみと花を一緒に挟み込んで、私は手帳をきつく握りしめた。
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