第40話 どうぞ、入ってちょうだい

「お待ちしておりました」


いかにも召使いらしい装いの若い男が花に声をかけた。街中にある家とは思えないような、塀に囲われた広い前庭で、数人の男女が花を迎える。


花は促されるままに彼に上着を渡し、シルエットをまん丸に整えられた植木の間を歩いていく。

左右対称に配置された花々に、美しい線で形を整えた植物たち。それはまさに"整えられた美”だった。


「本日は旦那様はご不在でして、奥様がいらしています」


玄関から入ったばかりのところで待ち構えていた、老練の召使いが屋敷の主を紹介した。


「アリアーネ様です」


階段を降りてくるその姿を見て、花は、庭は彼女が整えさせているに違いない、と思った。

アリアーネ伯爵夫人は寸分の隙もない装いで花を迎えた。後ろに伸びる極めて長いドレスの裾には埃もない。つい先ほど整えられたように乱れのないヘアセットと、どこか冷たい印象を与える美しく機械的なコーディネート。


「ようこそ、魔術師さん」


アリアーネ伯爵夫人はこげ茶の瞳を細めて笑った。その淡い色合いのドレスに黒髪が映える。


〈マスター、両手をドレスの両側に添え、膝を曲げてお辞儀をしてください。スカートは摘ままなくて大丈夫です〉


花はぎこちなく礼をした。簡易ながら浮遊スパアナトの魔法陣の施されたドレスの裾は地面に付くことがない。ごく自然に花の動きに合わせて美しい形を保った。


「お招きいただきありがとう存じます」


花は習ったとおりの言葉をなぞった。アリアーネ伯爵夫人が近づいてくると花は胸がどきどきした。

花が身に纏っているのはスクロール売りで稼いだお金をつぎ込んだドレスだ。しかし、彼女が花のそばにくると上京したばかりの世間知らずのような気持にさせられたからだ。


「私の大切ながあなたに会うのを楽しみにしていました。アカヴィディアへの入学を控えてらっしゃると聞いて、私もあなたの顔を見るのを心待ちにしていましたのよ」


「ありがとうございます」


ぴく、とアリアーネ伯爵夫人のこめかみが引きった。


〈勿体ないお言葉です〉


シラーのアドバイスに花は口角を上げてすかさず乗った。


「勿体ないお言葉です」


アリアーネ伯爵夫人は立ち話を長引かせるつもりがなかったようで、頷いてからすぐに身を翻した。


「では私はこれで。娘をよろしくお願いしますね、魔術師さん」


彼女が去るとともに、花はふっと緊張が解けた気がした。



「ハンナ様、ご案内します」


コリンナが花に向かってにっこり笑って階段の方を示した。彼女にハンナ様と呼ばれるのはむずがゆかったが、伯爵夫人といるよりかは安心できた。


「すごくきれいな方ね」


後ろから召使いの若い男女が一組付いてくるので、花はすこし声のトーンを落としてコリンナに話しかけた。


「アリアーネ様ですか?」

「そう、ドレスも完璧でびっくりしちゃった」


コリンナがくすくすと笑った。


「奥様のメイドが聞いたらきっと喜びます。お伝えしておきますね」


花の意図を察してか、コリンナも静かな声で応答する。


「奥様は身だしなみには厳しいお方で、仕えるメイドもみんな一流なんです。お嬢様には小さなころからたいへん目を掛けていらして、教育熱心でもありました」


彼女の言う通り、屋敷の中は整然と整えられていた。おかげで建物の隅っこにある陰気な一部屋がすこし目立ってしまうくらいだった。

花はその部屋が気になって視線をやるが、コリンナの声ですぐに正面へ視線を引き戻された。


「ハンナ様、この肖像画が伯爵様と、奥様です」


花は大きな額縁に収められた肖像画を見た。写実的な絵で、明るい草原のような場所に佇む一組の男女が描かれている。

完成させるのに相当の時間がかかっただろうと容易に想像できた。


日光の当たり具合で、遠目では真っ黒に見えた伯爵の髪が、近づくと深い藍色であることがよくわかる。夫人はブルーの瞳の赤ん坊を抱いていた。


「綺麗な絵ですね」

「はい、今日は私がご案内していますが、奥様が来客の対応をされる際はいつもご紹介なさっているようです」


花にはコリンナの声が少し固く思えた。けれど彼女の方を見ると相変わらずにっこりと笑っていたので、花は気のせいだろう、と思い直した。


「行きましょう」


コリンナは先ほどよりすこし早く歩き始めた。歩き初めに出遅れたので花は何歩か駆け足になる。

あっとコリンナが自分の口元を抑え、彼女はすぐに歩調を戻した。

花もすぐに追いつく。


「アカヴィディアのことはまだ何も知らないから気になってたんだけど、お嬢様に聞いても失礼じゃないかしら?」

「もちろん、お嬢様はお優しい方ですし、そのくらい嫌がったりなさいませんよ。なにより、研究も大好きでいらっしゃいますから」

「よかった、聞く当てがなくて必要なものが何も分からなかったの。教えていただいたら、またお礼もしなくちゃ」

「お礼は断られるかもしれませんが、お渡しいただけるときっとお喜びになりますよ。お嬢様はいつもそうですから」


そして、ひときわ大きな両開きの扉の前に二人はやってきた。

コリンナが扉の側の木板を叩いて鳴らした。滑らかな木と木の当たる暖かい音がする。


「どうぞ、入ってちょうだい」


”お嬢様”の声だ、と花にも分かった。



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