第35話深追いするな ✴︎

 パトカーの音が近付いてくる。

 自宅に向かう最後の曲がり角を抜けると、ポーチに激突したままのイチの自転車が目に入った。


 庭から聞こえる男の話し声に、アスファルトを蹴り玄関ポーチから庭に滑り込む。

「イチっ!」


「よお」

 リビングに繋がるガラス戸から顔を覗かせているのは、あたしからしたら全くの予想外。

「きっ、キバっ?」

 急ブレーキをかけて大きく開いたガラス戸の奥をちらっと確認する。

 カーテンは破れて垂れ下がり、中も相当酷いことになっていそう。


 飛び出して来たキバにイチが続く。


「遅いよ、カエちゃん」

 真っ直ぐあたしに向かってくるキバに向かい、持っていたスポバを投げつけた。


 その後を追いダッシュをかけると 、腕を振りスポバを弾き飛ばすキバの脇腹にひじを叩き込むっ!


 一瞬の筋肉の動き。

 叩き込んだ肘が、キバの腹筋の収縮を感じた。


 ふせがれた!


 ひざを折り、地面に寝そべるように仰向けに倒れるあたしの顔面スレスレを、キバの中段蹴りが過ぎて行く。

 のおおおおぉぅ。

 打撃の力不足は致命的。


 腕で地面を押し、振り上げる足の反動で立ち上がるあたしの真横で、追いついてきたイチがキバの膝裏を蹴り飛ばす。


「っくぅ」

 膝をつき、4つん這いになったキバの背中にイチが足を振り上げた。


 ザッ!

 その足は転がって身をかわすキバの影を踏む。


「今日はもう帰るよ」

 パトカーの停止する音にためらわずに背を向けると、キバは隣家の庭に飛び込んでいった。


「カエ、深追いするな。

 せりかさんが中で倒れてる」

 イチが、走り出そうとしたあたしの腕を引く。


「せりかさんが?」

 リビングに目を向けるあたしの横でイチがキバの後を追い、隣家の庭木をすり抜け飛び込んでいく。

「あっ、イチ!」

 1人で行くなんて危ないよ。


「カエ」

 一瞬迷うあたしに玄関側からジュニアが顔を出した。

「ジュニア。イチがキバを追って行っちゃって」

 指差す隣家の庭木が揺れを残す。


「僕が行くからカエは待機。

 リカコと巽さんからLINEが来てた。

 返信してあげて」

「うん」


 あたしの返事は耳に入ったのか。

 3みたび、隣家の庭はその姿隠す。


 せりかさんっ。


 とりあえず今は出来ることを。

 リビングを振り返るあたしの視界に男の影が入る。

「っ。ひらちゃん」

 そっか。ジュニアが乗ってたパトカーを運転してたのか。


「なんだかバタついてるみたいだけど、大丈夫?

 課長が香絵ちゃんと話したいって」

 事態が飲み込めていない様子のひらちゃんがスマホを差し出してきた。


「んー。

 巽さん、すぐ掛け直す」

 一方的に通話を切って、スマホをひらちゃんに返した。

「じゃあ、自分たちは署に帰るよ」

「うん。

 ありがとう。お疲れ様」

 出来る限り笑顔を見せてひらちゃんを送り出す。


 ちょっと不思議な顔をしたままのひらちゃんは何も言わずにパトカーに乗り込んでいった。

(普段はお父さんって言ってたような。

 自分の父親を巽さんなんて名前で呼ぶなんて、変わってる)




 足の踏み場がない。

 やっと上がり込んだリビングは、踏み荒らされていろんな物が散乱していた。

 見回す視界に倒れたせりかさんが映る。


「せりかさんっ」

 ギュウっと胸が締め付けられるような感覚に、呼吸ができなくなる。


 助け起こすと、切れた唇から小さなうめき声が漏れた。

 額も大きなアザを作ってるし。

 足も切ってる。


 あっと、巽さんに電話。

 救急車呼んでもらわないと。


 心細さが押し寄せる。

 イチ、ジュニア。怪我しないでよ。

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