第78話 一遍上人の大往生
京ではたくさんの帰依者がございました。
そのひとり、とある大臣は「宮廷から広い寺領を寄進させますゆえ『一遍時宗』の本山とされるがよろしい。ご無礼ながら、もはやお若くないのですから、遊行の布教は弟子に任せ、京に落ち着かれたらよいでしょう」と熱心にお勧めくださったそうにございますが、一遍上人さまはついにご厚意をお受けになりませんでした。
そして、弘安7年(1284)の秋も深まったころ、最後の旅に発たれました。
まずは桂川、保津川を北上し、日本海へ出て、海岸線を西へ向かって出雲へ。
そこから南へ下って、往時ゆかりの福岡の市を再訪され、海路を四天王寺へ。
二度目は住吉詣、聖徳太子廟参籠、奈良の
三たび四天王寺へもどられたのは、弘安9年(1286)暮れでございました。
そこで歳末の「別時念仏」を行ったあと、播磨国・
自らの遺骸を野に曝し獣に供養するよう遺言された教信さまのご事蹟は、勝尾寺勝如さま(自らに言語を禁じ、観想追求の行を積まれた方)による『往生極楽記』からも知ることができます。
――駅家の北に竹の庵有り、庵の前に死人有り、群れる
*
正応2年(1289)7月、ご病身の一遍上人さまは淡路島におられました。
34人の僧尼を引き連れ幡多山の二の宮に詣でてから、お歌を詠まれました。
――旅ごろも 木の根かやの根 いづくにか 身の捨てられぬ 処あるべき
7月18日、対岸の明石の浜辺にお渡りになりました。
印南野の教信寺を目と鼻の先にする当地こそご自身の往生の地と思い定められた一遍上人さまは、もはや自力で歩を進めることも困難になっておられました。
8月2日、兵庫の光明福寺の観音堂に入り、時衆に最後の説法をなさいました。
――
8月10日朝、当麻寺から拝受した『弥讃浄土教』1巻を書写山の寺僧に贈り、その他わずかな経典や書き物を念仏称名しながら自らの手で焼き捨てられました。
見兼ねた聖戒さまが「なんともったいないことを……。お師匠さまのご往生と共にその御教えも滅びてしまうのでしょうか。この先、わたくしたちはなにを頼りにすればよろしいのでしょうか」と嘆かれますと、上人さまは静かに諭されました。
――
前日から観音堂の上空に現われた紫雲は、以後、何日間も棚引いておりました。
それを見た時衆が「いよいよご臨終のときか」と騒ぎ立てますと、一遍上人さまは「騒ぐでない。まだ臨終にあらず。わしの臨終のとき奇瑞は現われないだろう」と仰せになりました。そのお言葉どおり、紫雲は7日目に消えました。
8月17日酉の刻(午後6時ごろ)、一遍上人さまの容体が急変いたしました。
翌18日の未明、ひと晩じゅう付き添っていた聖戒さまにお訊ねになりました。「聖戒、わしの目のなかに赤いものが見えるか?」
聖戒さまは一遍上人さまの双眸の表面に、ひと筋の赤い線を確認されました。
「そうか……。その筋が消えたときこそ、まさに弥陀がお迎えにまいられたときじゃ」と仰せになられた一遍上人さまは、粛然と辞世の歌を詠まれました。
――阿弥陀はまよひ 悟りの道たえて ただ名にかなふ いき仏なり
南無阿弥陀仏 ほとけの
それから3日後、8月21日の午後、奇跡が起こりました。
「いま一度、踊念仏が見たい」と所望された上人さまは、聖戒さまらに助けられて身支度を整えると、自ら観音堂まで歩いて行かれ、鉦鼓を打ち鳴らしてにぎやかに踊り、念仏称名する時衆の舞台を見守られたのでございます。このとき上人さまの脳裡には佐久伴野荘での情景があざやかに浮かんでおられたにちがいありません。
やがて病床にもどられた一遍上人さまは「時衆一同、沐浴して身を浄め、弥陀衣に身を包んで、わしの枕もとに集まるように」とお命じになられました。そして、34人の門弟を床のまわりにぐるりと座らせると、ご遺言を仰せになられました。
――法師のあとは、跡なきを跡とす。跡をとどむることはいかなる事ぞ。われ知らず。世間の人のあととは、これ財宝所領なり。
頭を北に、顔を西に向けて横たわり、
観音堂の外から様子をうかがっていた結縁衆が「すわ、ご上人さまのご臨終なるぞ!」と騒ぎ立てるのに、「臨終はいまではない」と苦笑を漏らされました。
そこへ
しばらくまどろまれたあと「西の宮の大明神が結縁なさろうと、いまそこに参られた」と言って目を開かれましたので、一同そちらを見やりますと、西の宮神社の神主さまがお越しになり、一遍上人さまから最期の十念をお受けになりました。
その後、播磨の淡河殿という身分ある女性が訪ねて来られ、一遍上人さまから、
――
のお札をお受けになりました。
これが一遍上人さま最期の賦算となったのでございます。
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