第48話 遊行の先達、行基・教信・空也上人




 ところで、まだ肌寒い京の夜を破れ菰1枚で凌いだせいでしょうか、それとも、間断なくおそいかかる蚊や虻の毒のせいでしょうか、不覚にもわたくしは、高熱を発して寝込む羽目に陥ってしまいました。時衆一行の足手まといになりたくないと思いながら身動きもできず、ただガタガタと打ち震えるばかりでございます。


 なれど、そんなわたくしに上人さまはどこまでもやさしくしてくださいまして、自ら寝ずの看病までしてくださいました。


 かつて別府のお屋敷に住んでいたころは、たまにわたくしが寝こみますと、眉をしかめて「ま、せいぜい大事にせよ」と言い残し、さっさと千都さまのお部屋に行ってしまわれたのに、いまは……うれし涙がこみあげて来るのでございました。

 

 一方、わたくしが寝込んでいるあいだに、3人の時衆が姿を消しておりました。九州からつき従って来た若い僧たちでございます。上人さまは、わたくしの病気も弟子たちの遁走も、すべてはご自分の力不足と悄然とされておられましたが、わたくしの病が快復の兆しを見せ始めた朝、決然と出立を決意されたのでございます。

 

      *


 一物も持たない乞食坊主として都びとから蔑まれながら、上人さまがそのお心にいつも思い描かれておられましたのは「市のひじり」「阿弥陀聖」といわれた空也くうや上人さまのお姿でございます。

 

 空也上人さまは平安時代の方で、醍醐帝の皇子みことも、あるいは常康親王のお子ともいわれております。


 そんな高貴なお生まれの方が少年のころに発心されて以来、優婆塞うばそく(役行者)として全国各地を行脚され、傷んだ道路の修理、流された橋の架け替え、都で水が不足と聞けば、ご愛用の杖で水脈を占う、疫病が流行すれば念仏を称えて収め、野に曝された亡骸むくろを集めて供養するといった救済活動に生涯を賭けられました。


 その尊いお姿は多くの帰依者を集めずにおかなかったようでございますが、空也上人さまの念仏称名は一風変わっておられ、にぎやかに金鼓を叩き、なおかつ踊りながら声高に称名するという、まことに派手やかなものだったそうにございます。


 因幡堂における挫折のかずかずに打ちひしがれた上人さまは、ただ黙々と念仏札を配り歩くだけでは、悩み迷う衆生は付いて来てくれぬのではないか……と、自らお立てになった「60万人賦算の誓い」に疑念を抱かれ始めたのかもしれません。

 

      *


 ちなみに、遊行の聖としては、ほかに行基ぎょうき上人さまがいらっしゃいます。


 空也上人さまより古い奈良時代の方で河内国大鳥郡のお生まれ。お父上は百済系の渡来人と伝えられ、官大寺で教学を修められたのち弟子を伴って諸国をめぐり、治水や架橋などの社会事業に貢献され、貧しい人びとに手を差し伸べられました。


 一時は民衆を扇動する妖僧として朝廷からきびしい弾圧を受けましたが、許されてのちは大僧正の官位まで上り詰め、東大寺の大仏建立にもご尽力なさいました。


 付き随う人は千人に達したといわれますから、この偉大な業績もまた、おふたりの後進を期す一遍上人さまの胸を騒がさずにおかなかったことでございましょう。

 

 さらにもうひとり、このころより時代はだいぶのちのことになりますが、晩年の一遍上人さまが深く帰依された行者、沙弥教信しゃみきょうしんさまをあげておかねばなりません。


 ご来歴は定かではございませんが、時代が奈良から平安に移ろうとするころに、奈良または京でお生まれになったようでございます。興福寺で修行されたのち諸国行脚の旅に出られ、やがて行き着いた播磨国・賀古郡かこごおり賀古駅かこのうまやに庵を結び、旅人の荷物運びを業として妻子と暮らしておられました。


 常に南無阿弥陀仏の称名を称えておられたことから「阿弥陀丸」と呼ばれていた教信さまは、そのご臨終に当たって「わしは生涯に数多の生き物を食べてこの身を生かされてまいった。せめてものお礼として、死後はこの身を鳥獣に供養したいと念じておるがゆえに、亡骸なきがらは裏の林に捨ててほしい」と遺言されました。


 ご遺族がその言にしたがいますと、むくろは一夜のうちに鳥獣に食い荒らされはしたものの、不思議にも頭部はいっさい汚されていなかったと伝えられております。

 

 話をもどしますと、奈良から平安時代にかけ、

 

 ――行基上人 → 教信上人 → 空也上人

 

 ひそかに、けれども脈々と受け継がれてまいりました遊行の伝統は、鎌倉時代に入りますと、わが一遍上人さまにしっかりと受け留められたのでございます。

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