終章-2 建速勇人

 小夜が指揮を執れなくなっても、奥州軍が総崩れになった訳では無かった。

 多くの兵が失われたが、それでも宗広と行朝と政長が中心になって今でも一万を超える軍勢をまとめている。

 しかし高師直の軍の動かし方は執拗かつ隙が無く、残った兵力では伊勢や河内へと抜ける道はどうしても開く事が出来なかった。

 小夜は半太夫の短刀で刺されてから、ずっと朦朧とした意識の中にいる。

 今は楓を中心にした生き残りの忍びと侍女達が、坂本郷の小さな屋敷で守っていた。

 かなり強い毒で、しかも生き延びた場合も長期にわたって影響が残る物らしかった。ただ、ここから回復する可能性が無い訳では無いらしい。

 勇人は政長の元で南部の旗本を率い、高師直との戦いをずっと続けていた。

 戦場で何とか高師直一人を討ち取れれば、と思っていたが、向こうもそれを警戒しているのか、もう本人が直接騎馬隊で駆け回るような無謀な真似をしてくる事は無く、常に厚い陣形の奥にいる。

 勇人がずっと南部の旗本で戦い続けているので、敵は結局、師行がすでに死んでいるとは気付いていないようだった。


「どうにもならんのう、これは」


 戦から戻って来た宗広が屋敷の縁側に座り込んで行った。


「敵の兵は増える一方であるし、高師直の布陣には隙が無い。北陸の新田義貞も、相変わらず大きな動きは見せぬしな」


 宗広の口調は吞気な物だったが、表情には疲労が滲み出ていた。


「五辻宮がいなくなれば新田義貞殿にもあるいは何か大きな変化があるかと思いましたが、動きませんね」


「あの男も、本当は内心で色々な物に嫌気がさしておったのかも知れん。そう考えれば、気持ちは分からぬ事は無いな。今更、尊氏を討って自分が武士の棟梁になるために戦う、等と言う気持ちにはなれぬのだろう」


 新田義貞もこれまでの戦の中で息子を始めとした自分の一族を数多く失っている。

 後醍醐帝の密命に従い、世を乱すための負け戦をひたすら続ける、と言う事は相当な苦痛だったのかもしれない。


「まあ、今の問題は新田義貞よりも高師直の方だな。わしや行朝ではどうしようもないわ」


「元々並みの武将ではありません。寡兵で圧倒していた小夜が異常だったのです」


「いっそ、お主が全軍の指揮を執ってみればどうだ。わしらでは無理な事が出来るのではないか?」


「いえ、それでもどうにもならないでしょう。まず僕が大将ではさすがに兵が従いませんし、大軍を率いた経験もありません」


 本音だった。

 仮に自分に戦の才があるとしても、それは経験によって伸びていく種類の才能だろう。

 今の自分には、せいぜい一千程の兵を率いる能力しかない。

 後一年でも時間を掛けて一万を超える兵を率いる経験を積めるのなら別かもしれないが、もうそんな時間は無い。

 師行かあるいは時家がいればまた別だったのかもしれないが、現状では宗広以上の指揮官は奥州軍にはいなかった。


「この先は、一人でも多くの兵を生き延びさせる事を考えましょう、宗広殿」


 勇人がそう言うと、宗広は少しだけ目を伏せた。

 これ以上戦を続けても、無駄に兵を死なせるだけである、とは宗広も思っていたようだ。


「どこか一か所にでも穴を開けられれば、と思っていたが、やはりそろそろ潮時かのう」


「残念ながら」


「高師直がここまで手強い、とは思っていなかったな。劣勢に追い込まれても、もう少し付け入る隙があると思っていた。まさか、伊勢や河内に逃げ込む事すら出来ぬとはな」


「小夜が指揮を執れなくなった時点で、すぐさま全軍で東に逃げるべきでした。それが出来なかった時点で、僕達の負けです」


「その決断をする者もあの時はいなかった。まあ、仕方あるまい」


 それでも宗広と行朝と政長がいてくれたせいで、随分とましだった、と勇人は思っていた。

 宗広と行朝の二人は無論として、師行の後を継いだ政長も、どこまでも、陸奥守北畠顕家個人のために戦ってくれている。


「わしはただ無念だよ、勇人。もう天下の事などどうでも良いが、お主と顕家様がこの先どう生きていくのかだけは、見たかった」


 高師直の軍勢をどうにも出来なかった場合、小夜と残った奥州軍をどう逃がすのかだけは、三月の時点で話し合って決めていた。

 宗広も行朝も政長も最初は反対したが、高師直の執拗な攻撃に晒される内に、やがてそれしかない、と思い始めたようだ。


「宗広殿も、どうかご自愛ください」


 この二月で宗広も酷く老け込んだように見えた。

 小夜だけでなく、奥州軍全体が、人を死なせる事に疲れ始めていたのかもしれない。

 そのまま、屋敷の中に入った。

 楓が姿を見せる。


「小夜の様子は?」


「相変わらず、眠ったり、少しだけ意識が戻ったりを繰り返してるよ。何か喋ったりは、してない」


 楓と朱雀を始めとした侍女達は、必死に小夜の世話を続けていた。


「そろそろ、移動させる用意に掛かって欲しい」


「どうしてここで諦めるの」


 楓は真正面から勇人と向き合ってそう尋ねて来た。

 瞳に、強い怒りが宿っている。


「諦めてなんかないさ」


「嘘。今度の出陣で、死ぬ気でしょ」


「戦に出る限りは、いつでも死は覚悟してるよ。それはずっと変わらない」


「誤魔化さないで」


「自分でも上手く言葉には出来ないけど、僕自身諦めたつもりはまだ全く無いんだ。僕はずっと、小夜を助けるために全力を尽くして来たし、これからもそうするつもりだ」


 この二か月、夜ごとに自分がこの時代に来た意味と、自分がやるべき事に付いて、徹底的に考え抜いた。

 出た答えを、運命だと素直に受け入れる気は無かった。ただ現実として、小夜と奥州軍の生き残りを救うために自分が出来る事は、もうさほど多くないのだ。


「それで小夜が目を覚ました後、私に小夜に勇人さんの事をどう伝えろって言うの」


「そう言う事を考えるのは、僕より君の方が得意だろ」


 楓が拳を飛ばしてきた。受け止める。


「楓、分かって欲しい。決して自棄になった訳でも、生きる事を諦めた訳でも無いんだ。ただ僕は、自分が小夜のために何が出来るのか、一人の男として自分で限界まで確かめたい」


「酷いよ」


 楓は泣き出しそうな顔をしていた。


「私が今、勇人さんの事を身勝手だとか自己満足だとか言ったら、それは全部先に私のために死んだ師行さんに返ってくる。だから私は、勇人さんの選択を否定できない」


「ごめんな。でも、楓がいてくれてよかった、と思う。君がいたら、小夜の心は大丈夫だろうから」


「もし私の命でどうにかなるなら、代わってあげてもいいぐらいなんだけどね」


「多分、どうにもならないかな。それに君を犠牲に生き残ったりしたら、師行殿に合わせる顔が無いよ」


 さらに何か言おうとして失敗し、うつむいた楓をそのままにすると、眠り続ける小夜を見に行った。

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