第十四章 手を伸ばすには遠すぎた隙間で
理解しようとする事が無駄である。
野崎はそう感じ取っていた。
けれど溢れてくる「どうして」の気持ちは抑え込めない。
田上は楽しそうに話を続ける。
「つまり君達には何も出来ないし、正攻法で私に届く事はない。この不毛な会話も終わりだ。今まで楽しませてもらったよ。明日には捜査本部も受特も解散。君達の頑張りは全て消される。お疲れ様。」
言葉が出ない。こいつに何を言っても無駄で言葉の通じる相手ではない。
けれど、何か浴びせてやりたい。
口汚く罵るのか、いや、そんな事をしてなんになる。
野崎は苦しんだ。
他の面々もどうするべきなのか、できる事がわからない。
『ここが檻の中でなければ』
3人揃ってそう思っただろう。
どう足掻いても自分達はここから出る事の出来ない死刑囚なんだ。
やれる事と言えば先程西森が言った、野崎を人質にここを抜け出し田上を殺める…いや、それも現実的ではない。
この頑丈な警備の中逃げ出す前に撃ち殺されるだろう。
野崎を人質にすれば野崎まで巻き込んで命を落とすかもしれない。
全員は無力に喘いだ。
悔しさはこの数日、何度感じただろう。
こうなる前に何か出来ていたら…と何度悔やんだだろう。
また何も出来ずにこのまま叫びは埋もれるんだ。
やるせなさに目を伏せた時だった。
画面の向こうから衝撃音がする。
それは強く扉を開いた音だった。
全員が視線は画面に戻した時田上の大声が響いた。
「お前!何しに来た!自分の立場がわかっているのか!」
田上は立ち上がり顔がカメラからフレームアウトして、胸元から下が写る。
そのすぐ近くに人影が見える。
全身黒で統一された服を着た男性のようだ。
「やめろ!離せ!」
田上は画面の外で侵入者に頭を掴まれているのだろう怒鳴り声を上げた。
画面の中では田上が両手を上げて頭の方を押さえている。
侵入者腕は片方が田上の頭に、そしてもう片方が下にだらんと下ろされていた。
下げられた手をゆっくりと上げる。
画面にフレームインしてきた手には光る鋭利なサバイバルナイフが…
「川原さん!そこに居るのは川原さんなんですか!?」
野崎は画面に向かって叫ぶ。
「どうして!どうして川原さんがそんな事を!川原さん!!」
「野崎。お前は絶対にブレるなよ。」
画面の向こうから聞こえてきたのはいつも自分の背中を押してくれた優しい川原の声だった。
ナイフを手に人を襲っているその時も川原の声は酷く優しかった。
「俺の事は忘れてくれ。悪かったなこんな先輩で。お前は引きずり込まれるなよ。絶対に染まるな。絶対に殺人鬼に心を許すなよ。お前は今のお前からブレるな。」
川原の声が次第に涙ぐむ。
川原の声の後ろで田上の叫びが聞こえる。
離せ、殺すなと自分勝手な田上の言葉に怒りしか溢れない。
けれど、ここで飲み込まれてはいけないんだ。
きっと過去に川原は…飲まれたんだ。
川原の今の言葉。きっと彼にも何かあった。
何度も彼は野崎に「ブレるな」と言い聞かせてきた。
それは、川原が自分自身に言い続けた言葉だったのかもしれない。
今はもう狂気の側の人間に染ってしまった彼だけど、だからこそ野崎を前に向かせ少しでも早く普通の捜査に戻らせたかったのだろう。
何度も、何度も川原に言われた「ブレるな」その言葉の意味が今こんなにも痛く刺さる。
「なんでそんな事になっちゃったんですか!川原さん!やめてください!今からでも自首して罪を償ってください!!川原さん!!」
野崎の絶叫も虚しく、大きく振りかぶられたサバイバルナイフは田上の右肩に突き刺さる。
田上は人間とは思えない叫び声を上げる。
苦しみもがく声が野崎の耳に飛び込む。
黒谷が咄嗟にパソコン画面の向きを変え野崎の目に入らないようにした。
2度目の大きな叫び声が上がる。
何かが崩れる様な音。
机や椅子を倒す様な激しい音。
しばらく時間が空いてから振り下ろす音。
3度目の叫び声。
殺さないでくれ、やめろ、いくつもの命乞いの声が飛び出すが次第に声に勢いがなくなり始める。
様子を見ているのだろうか田上以外は誰も声は上げない。
4度目の叫び声。
呻き声の様な泣き声の様な小さな音が断続的に聞こえてくる。
ドスッと何かがぶつかるような音と僅かな水音。
5度目はもう叫び声も上がらなかった。
黒谷と西森は画面を野崎から逸らしてからも見続けていた。
川原が右肩、左肩を刺したあと、2人は床に転がり倒れた。
そのまま床で両方の足の付け根を刺し切り開き、次第に弱る田上をじっとみ続ける。
そして、最後に腹部を大きく一突き。
誰の目から見ても、最後の一撃を食らう前に田上は絶命していた。
動かない田上を残し川原だけが立ち上がる。
画面の方へと向き直りカメラに向かって手を伸ばし…カメラを壊したのだろう。
そこで画面は真っ暗になり通信は途絶えた。
黒谷はパソコンを叩き色々試みるが首を横に振った。
「ダメだ。向こうのパソコンが多分物理的にネットから切られてる。壊されたか…。繋ぎようがない。」
ナイは野崎に向かって声をかける。
「川原さんを逮捕しに行くんですか?」
野崎は首を横に振った。
「ひとまず…この事を通報します、私は今この状況でここを離れられません。現場の者に任せます…殺人を目撃した者として…皆さんには証言をお願いすると思います…その時はよろしくお願いいたします…」
そう言った野崎にナイが質問を投げかける。
「その『よろしくお願いします』はどっちですか。僕達は何を見たと言えばいいんですか?川原さんが殺す所を見たと言えばいいですか?それとも突然殺されて男の顔も見えず、そいつが誰かもわからなかった。と言えばいいですか?」
ナイの言葉に返事が出来ない。
刑事として川原を逮捕しなければいけないという事はわかっている。
けれど、川原が殺したと私が言わなければ川原はこのまま逃げおうせるのかもしれない。
もし、このまま言わなければ…
ナイは過去に姉を逃がす為に嘘をついた。
同じ状況だ。
きっとナイが過去にした選択を私は迫られている。
そう思った時にナイの言葉を思い出す。
『俺は殺したのと同じです。亡くなった人全員の真実を殺したんですから。』
そうだ。
ナイの言う通り、私がここで口を閉ざせば田上だけでない他の被害者達の真実を殺してしまう事になる。
私は私からブレてはいけない。
せめて、彼を捕まえ償わせるのが私が私である事だ。
「警察から取り調べがあった際は全員本当の事を話して下さい。洗いざらい全て…川原が殺害したと。」
その言葉を聞き3人は少し穏やかに笑うと西森は頷いて本を読み、黒谷ははーいと手を上げ、ナイは天井を仰いだ。
そして、野崎はスマホを手に取り連絡をする。
上司に通報し大学の場所を指示し向かわせる。
その時に野崎はハッキリと「川原が殺害した」そう申し伝えていた。
しばらく通話が続き要件を伝え終えた野崎はそっと通話を切った。
「大学にすぐ向かってくれるそうです。非常線を貼りすぐ川原さんを探すと同時に監視カメラなども使って足取りを追うそうです。
明日にでも西森さん、黒谷さん、ナイさんに事情聴取が行われますので見た事をそのまま話してください。
ナイさんの事件の真相や本当の名前などは、当初の約束通り誰にも話しませんので事情聴取の際には、黙秘や会話が出来ないふりを続けてもらっても私は咎めません。」
一生懸命説明した後野崎は深々と3人に頭を下げた。
「この度は受特捜査にご協力頂き誠にありがとうございました。”国被連続殺人事件”の犯人は特定されました。これをもちまして受特捜査を終了とします。」
頭を下げたまま動かない。
頭を下げたまますすり泣く声が聞こえ、パタパタと涙が机に落ちる音がした。
精一杯、担当官として最後の挨拶を終えた。
受特が始まってまだ3日
あまりにも短く、あまりにも濃すぎたこの捜査の終わりを…
彼女自身が幕を引いたのだ。
既に真夜中を過ぎたその部屋で
どうすればいいのかわからないまま4人だけが残された
次第に窓は朝日を迎えはじめた……
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