第十一章 担ぎ出された真実はもう息をしていなかった
「野崎さん。俺の話をしてもいいですか。田上周太との関係を説明するにも、久保田奈緒の事が関わっています。俺の出来事を全て話させてください。」
ナイはゆっくりと話しながら泣き終えた野崎を見る。
野崎は涙を拭いながら頷いた。
「その前にお願いがあります。刑務所員の皆さんはご退室頂きたい。西森さんも黒谷さんも聞くのが辛ければ退室させてあげてください。」
刑務所員はザワついた。
彼らは今までの話を聞いていたし、ここにいる面々の異質さは十分に理解しているだろう。
そんな中で野崎を残してここを去る事はできないと感じただろう。
顔を見合わせてザワザワと話し合う。
そこに野崎が「退出頂けますか、責任は持ちます」と頭を下げた。
殺人犯3人は頑丈な腰紐でロックされ縛られ椅子からは動けなくなっている。
何かあれば走って逃げる事も容易い。
その説明をし野崎は何度も頭を下げて刑務所員全員を部屋から退出させた。
「黒谷さんと西森さんはどうされますか?」
この話を聞くかどうかを2人に委ねる。
「ここまで来て聞かねぇって訳にいかないだろ。お前もだよな。」
「はい。聞かせて下さい。」
2人は覚悟を決めたようでその場に残った。
ナイは2人が動かないのを確認して話し始めた。
「俺は黒谷さんの話の中に出てきた弟です。俺の家は特殊な家でした。父が有名政治家です。母の実家は有名な資産家一家。色んな権力者が関わったお堅い家でした。小さい時から英才教育で勉強漬けの毎日。言われた事に逆らわずただ親の期待に応えるだけの日々。しかし、俺の姉はそんな家に反抗し高校の時に家出してしまいました。そこからは何年もふらふらと色んなところで生活してたようですが、俺の誕生日などは欠かさずに会いに来てくれました。いつも親には勉強の本を買いに行くと嘘を言って姉に会いに行ったんです。」
ナイが語りながら優しい笑顔を漏らす。
その笑顔を見たときに黒谷はハッとした。
まるでその笑顔はあの日みたサチ…久保田奈緒の笑顔のようだった。
黒谷に見られている事に気がつき、ナイが黒谷を見れば慌てたように目を逸らした。
「そうやって姉とはいつまでも仲が良かった。俺が親に縛られて自由がない中で姉だけは自由だった。
たくさん話してくれて俺をその時だけ自由にしてくれた。姉は俺の半身で、飛び立った先の景色を俺に届けてくれる人だった。
そして、俺は親の望み通り大学に合格した。東京帝国第一大学。本当はアメリカの大学を打診されていたが国を離れれば姉に会えなくなってしまうと思って国内の大学を選んだ。その大学に勤めていたのが田上だ。」
一気に語り疲れたのか
一呼吸おいてナイは続きを話し始める。
「田上は色んな学部に顔が広かった事もあり俺の親は入学のだいぶ前に俺を連れて田上に挨拶に行った。その時にあの学部長室に入ったんであの部屋を見てすぐにどこかわかったんです。
田上と父は意気投合し所謂黒い繋がりってやつ。お互いにメリットがあると感じて交流するようになった。俺の家によく出入りするようになり田上は俺に興味を持っていた学力といい、親が権力者、どうにか手駒にしたかったのでしょう。それはひしひしと感じました。
しかし、俺は田上と距離を置き関わる事はしませんでした。
この頃、俺は姉と会うと男の人と住んでいると話していました。きっと黒谷さんの事だと思います。父が電話をするのを聞いた事がありますが、姉がどこかで問題を起こせば名に傷がつくので、誰かに世話をさせるように指示していたんです。それが黒谷さん。それで姉は表立って病院にも行けない隠された存在になったようです。」
名を呼ばれ黒谷はピクリと反応する。
黒谷は過去に自分が聞いた”依頼人” “あの人”と言うのは奈緒の父だったと知った。
ナイを見るのが気まずいのか、目は合わさずに下を向いたまま無言で頷いた。
「姉は僕の大学入学を喜んでくれました。けれど黒谷さんの話の通り具合が悪そうで心配し声をかけるとこう言われました。
「隆広だから話すね。私は普通じゃないきっと狂ってるの。だから、私はそのうち死んでしまう。隆広には本当の事を話すから。大学の入学式の後に実家のすぐ近くのあの小さい山『国被山』の中腹にある廃墟に来て欲しい。」
そう言って姉は帰っていきました。この大学の入学式の日が黒谷さんの前から姿を消した「約束の日」だと思います。」
黒谷は当日の事を思い出したのだろうか。
自分の手を見て握ったり開いたりを繰り返した。
顔を上げてナイを見つめ眉をひそめたまま小さく言葉を発した。
「…くそ。マスクの下まで…よく見たら…似てんな…」
そう言われ少しはにかんでナイは話を続ける。
「その約束をした日、俺が姉と話す所を田上に見られていました。田上はその時に姉を気に入っていたんです。歪んだ一目惚れだったようです。
その日以降田上は俺に姉の事を聞き続けました。俺は特に何も答えもせず田上は姉の事をストーキングしたり待ち伏せをしたようです。そんな時でした。医師のネットワークから姉がおかしな病状で診療所に通う事を突き止めたんです。それも闇医者と言われる所に通っている事を。田上は修生大学病院院長と友人です」
突然出た病院の名前に今度は西森の肩が跳ねる。
「修生…大学病院…」
思わず西森の口から漏れた因縁の病院の名前。
目を見開いた西森は信じられないという顔でナイを見る、
「田上は俺の父には気取られぬように、なんとか姉を捕まえようと修生大学病院に入院させようと整えていました。診療所の医師を金で抱き込み、その医師によって久保田奈緒が受診する度に検査入院を勧めたそうです。どんな手段でも姉を手元に置いておきたいと言う狂った感情でしょう。
姉は診療所で入院を勧められた時、医師と話していると裏にいるのは自分を待ち伏せている田上だと知り、田上の異常性を感じ取ったと話していました。」
「サチが…ストーキングされてたのかよ…」
黒谷は声を震わせて呟く
「そう言っていました。だから診療所にはいつも男の人に着いてきてもらってると話していました。」
「俺、何にも気づいてねーじゃん…俺が…気づいてやってれば…俺が…」
「姉は言っていました。一緒に住むその人に迷惑をかけちゃいけないから、何度も何度も自分に嘘をついて『友達』って言い聞かせるんだって」
ナイの言葉を聞いた瞬間黒谷は泣き崩れた。
声もなく静かに喉から漏れる呼吸音だけが響く。
泣き崩れ動けない黒谷を横目にナイは止めることなく話し続ける。
「そして、俺と約束をした日。姉は覚悟をしていたようです。黒谷さんの元へは帰らないと。
姉に指定された国被山の中腹にある廃墟に向かいました。そこは昔旅館だったと聞いています。既に朽ち果てて腐った床や壁はもう建物の形を成していませんでした。そこに姉がいて話しかけると着いてくるようにと言われました。
その旅館の地下収納庫の扉の前で立ち止まり、全てを話す事を許して欲しいと涙を流しました。
地下収納庫の扉を開くと恐ろしい異臭がしました。
大きく扉が開かれる事で中に光が差し込むとそこにはおびただしい量の死体が積み上がっていました。」
想像していなかった言葉に全員がナイを見た。
黒谷も涙が止まり潤んだ瞳が動揺で激しく揺れた。
「その死体はどれも損傷が激しく引きちぎられていたり、腐り果てていたり。積み重なり何人分かもわかりません。姉に問いました。これは何の悪ふざけだと。すると姉は…「全員食べたの」そう。言ったんです。」
まさか
全員がまた予想していない言葉に震えた。
ナイの口から次々と出てくる言葉が自分を貫く。
それを理解する前にまた新たな言葉に貫かれる。
何一つ受け入れられていないのに残酷な言葉だけが耳に届いてくる。
喉がヒリつき一気に水を流し込み自分を誤魔化す。
ああ、ナイは今までこうやって水を飲んで緊張を誤魔化してきたんだ。
水じゃなくて自分を飲み込んで、飲み下して殺人鬼のふりを……
野崎も、黒谷も、西森も話されることを受け止めるしか出来なくなっていた。
より深く思考を巡らせる余裕など残っていない。
それでもナイの話しはまだ続く。
「姉は幼い時から異常食だったと言っていました。母が買っていた肉を生で食らったり、近所の野良猫を食らった時もあったそうです。
それを隠して生きて物心着いたある時、学校で喧嘩になり思いっきり喧嘩相手の腕に噛み付いた時、相手の腕から出た血が感じた肉がたまらなく美味しかったと。
その喧嘩をきっかけに姉は家を飛び出しました。
色んないけない所で働いたりしながら、人を誘い出してその山の廃墟で襲い肉を食らう事をしていたそうです。何年も何年も。
生きたままの人を喰らわなければ満たされず貧血のようになったり具合が悪くなる。だから何度も食べたと。けれど最近ではどれだけ食べても体が戻らない、具合が悪くもう長くないと悟っていると言いました。
だから、今日ここに来る前に警察に通報したと。この場所と死体の山があることを。
これから捕まり償って死ぬと姉はそう言いました。
だけど、俺がそれを許さなかった。
姉は俺の自由だから」
少しずつ冷静さを欠いた話し方になる。
呼吸が荒くなり、熱がこもる。
「この殺人は全て俺がした。おかしくなった俺が全てやった。なんの自由もない俺があの家から逃げるためだ。
そう言えば姉は慌てて否定する。何度も黙れと怒鳴ってこれは俺がやったと姉に言い続けた。警察が来る前に早く逃げろと姉を責め立てたが姉は立ち去らなかった。
俺はこれであの家から自由になる!自由になれる!姉がそうしてくれたんだ!奈緒が俺に自由をくれた!だから、奈緒の代わりに俺が狂うから!
奈緒はその友達って言ってしまった大切な人にきちんと会いに行けって、今度は素直になれって…だから…だから……
だから俺は、ずっとずっと狂ってなきゃいけなかったんだよ!!!!」
ナイが感情的に叫ぶ、涙を零して声を震わせて、拘束されたその体を捩って机に額を打ち付けて……
今まで見た事がなかったナイのその感情に誰もが戸惑いつられて涙が零れる
彼がこの捜査の報酬で要求した
『ずっと捕まえていてくれ』その意味がやっとわかった。
彼は大切な姉の為に、狂った殺人鬼でいなければいけなかったのだ。
彼は誰一人殺していない。
けれど殺人鬼を演じて「ナイ」と名乗り自分を騙して、周りを騙して懸命に大切な人を守った。
呼吸を整えてなんとか冷静さを装いナイが話の終わりへと向かう。
「姉は大切な人の所に行くと言っていました。そうして、姉が立ち去ったあとやってきたサイレンの音に俺は連れて行かれました。最初は全てを黙秘しているだけでした。すると父の力でしょう。事件の捜査は色々もみ消され、俺は逮捕され殺人鬼として死刑囚となりました。
俺は戸籍がない狂った名も名乗れない人間として収監されています。家族との繋がりは全て表に出ていません。」
話し終えてぐったりとナイは俯いて座る。
そのナイの目の前にズイとストローが出てきた。
「?」
差し出したのは黒谷だった。
「一瞬だけ。兄貴面させろよ」
ストローを咥えて水を飲む。
ちらりと黒谷を見れば黒谷は一言声をかけた。
「辛かっただろ」
ナイは声を上げて泣く。
口から零れる泣き声は部屋に響いて、野崎と西森の心も締め付ける。
それからどれくらい経っただろう。
時間を数える事も忘れて全員が自分の感情に素直になった。
泣き崩れ、怒り、失望して
全員が疲れ果てた頃すっかり外は暗くなっていた。
全員の人生が狂ったどこかの瞬間。
どこかかけ違う前に、どこかで誰かが「どうして」と叫べたら。
苦しんで1人で決断してしまう前に、どこかで誰かが「助けて」と叫べたら。
もしあの時うまく言えていたら
僕らはここにいなかったのだろうか
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