第!’話

演奏が始まった───!!

とは言ったものの。


颯はドラムをたたきながら、うまくいかずに歯噛みする。

バスドラムはよれるわ、バスドラムに集中しすぎて手はおろそかになるわで酷いものだ。イノには初心者にしては上達が早いとは言われたが。


高校生になったばかりということは、イノの家に来るようになったのも最近のこと。初めて数か月でそこまで上達するわけもなく、里奈と颯と海斗は練習が必要である。

みんなが趣味でやっている分雰囲気も明るく、別に演奏が楽しくないというわけではないのだが、それでももう少し上達したい。


颯はドラムをやってみたいと自分で言いだしたのだが、少しは素養があったようだ。二か月の長期間に及ぶイノのお父さんの熱血指導により、聞くに堪えないようなレベルからは脱した。


対して海斗は、真面目に歌えば声は良いのだが、練習不足と肺活量の不足が相まって歌がたまに途切れている。だがなぜか非常に楽しそうだ。


そして里奈。里奈は中学生までピアノを習っていたので個人としてのレベルは高い。だが、コードなどの学習をする機会はなかったらしく、それに苦戦して音が単調になっている。と、前にイノが言っていた。


次に大樹。とても無気力な無表情で無駄に高度なベースの叩き方をしている。違和感の塊である。本人はそれで楽しんでいるというのだから、そろそろ怪奇現象だ。


また、叶。こちらはとても歌が上手いのだが、歌っているときの非常ににこやかな様子と、たまに入る「いぇい」だの「うぉう」だの楽しそうな合いの手が相まって曲の雰囲気と微妙にマッチしない。まあ、叶が楽しいなら颯はいいのだが。


だがイノ。お前はだめだ。

趣味とか言ってたのは冗談かというぐらいの安定感とアレンジでバンド全体の空気を底上げしている。全体的に仲のいい俺らのグループ内では、なぜか演奏にもばらつきが少ないらしいが、それの一番の理由はイノの演奏だろう。

子供のころから父親に叩きこまれたと言っていたので、おかしいわけではないのだが。


とまあ、バンド全体の雰囲気はこんなものである。


イノと大樹のギターが入った後、曲が終わった。


「いやーー、楽しかった」

「海斗、お前はブレスの練習」


演奏が終わって非常に楽しそうな海斗に無慈悲な言葉を放ったのはイノ。彼女は、いつの間にか現れていた田島さんのところに彼を連れていく。


田島さんは長年この家に勤めているらしく、その分音楽づけにされてレベルも上がっているという寸法だ。「はい、田島さんですよー」などと言う田島さんに部屋の隅に連行されていく海斗に、憐れみの視線を送った。


海斗の上げた叫び声を聞き流しながら里奈が一人でコードの転調形を確認をしていたところに、叶が突貫する。「あそぼー!」などと叫んでいるのは場違いだったが、鋭かった里奈の表情が一気にだらしなく緩んでいるのだから、それでいいのだろう。


いつの間にか里奈と叶による演奏が初まり、イノがギターでそれに乱入する。激しく弾き鳴らしているのに邪魔をしないというのはどれほどのレベルなのか理解すらできない。

颯は優しく基本のエイトビートを鳴らした。自分の弱いところを理解するには優しい音で叩くのがいいとイノ父に言われたので、それを実践している次第だ。


ベースとして突発演奏に参加した大樹は相変わらずの無表情である。


「もうちょっと、表情動かそうとか思わねえの?」

「…………僕に言ってる?」

「無表情お前しかいねえだろ」

「とてもたのしいです」

「棒読みが気になるんだが」


べべんべべんと、まるで三味線のような(本人が以前言っていた)弾き方をしながら、急に颯の方向を見て大樹が変顔した。


「ぶふっ」

「………あ、笑った」

「ちょまって、演奏止まっちまったじゃねえか」


思わず噴き出した颯の様子を見て、大樹も満足そうだ。


慌てて足を動かし、全体的に遅れがちな左手を意識して叩く。

夢中になり過ぎて明日には筋肉痛になっていたりするんだろうか。初めのころにはそういうことも多かった。今日は久しぶりだしなるかもしれない。


「大樹もベースうまいよな」

「ありがとう。………イノに、毎日練習しろって言われたからね」

「そんなこと言ってたのか?」


類は友を呼ぶ、とでもいうのだろうか。叶が集めてきたこのメンバーには基本的に優しい奴しかいない。イノだって里奈だって海斗だって、そしてもちろん大樹だって非常に優しい性格をしているのだ。

そんな中でもイノは、口調は厳しいが無駄に優しい。


だからこそ、そんな厳しく練習しろなんて言わないと思ったのだが。


「一緒に練習したよ?」

「あ、うん。知ってたわ」


まるで顔と体が別物のように話しながらベースをはじく海斗だが、始めたての颯にそこまでの芸当が出来るわけがない。

基本的に無口な大樹だが、今日に限って妙に話しかけてくる。颯は苦戦しつつも、ドラムをたたき続けた。





そして一時間もたったのではないかという頃、イノの父親───笹島幸人ゆきとが扉を開けて入ってきた。雰囲気は若々しいサラリーマンのように見えるが、起業した会社が大成功を収めた凄腕社長である。


六人、そして田島さんの音楽を聴いて楽しそうな表情をした。


「いやー、若いころを思い出す。青春っていいなー」

「父。颯にドラム教えてあげて」

「おっけ」


イノは基本的にいろいろなことができるものの、幸人ができるドラムをわざわざやろうとは思わなかったらしい。そのため、ドラムは幸人に教えてもらっているのだ。


「お久しぶりです。よろしくお願いします」

「もっとフランクでいいのにー」


とりあえず叩いてみてと言われ渡された教本のパターンを叩くものの、自分ではあまりうまく行った気がしなかった。

とはいえ、長いこと颯の演奏を聴いていなかった幸人の耳には以前との違いが聞き取れたらしい。


「すごい。上達してるじゃん」

「ありがとうございます。まあ、前よりはましかな、という程度ですね」

「そうかな?俺が子供のころはやんちゃグループ内でドラムやってたからさ。人に教えようと思っても呑み込みが悪かったんだよねー」


だから颯君が素直で助かるー、などと言いながら幸人はドラムをたたいて見せる。今回注意されたのはハイハットの音の大きさだ。もう少し小さくした方が全体的に締まりがいいらしい。


やって見せると、頷いてくれる。幸人の指導はわかりやすいし、ほめてその気にさせてくれるから非常にやりやすい。さすがはやんちゃ組の中で教育係をしていただけある。

やんちゃグループでドラムを……、という話は何度聞いただろうか。よほど昔のグループの思い出が強いのだろう。


「小さい音初心者だとなかなかでないんだけどなー、すごい」

「言われた通り、練習したんで」

「よくやった。じゃ、次はバスドラムね。やっぱりバスドラムが崩れがちかな。もう少し大き目で安定して出せるのが理想なんだけど」


バスがきれいだと曲全体が安定するんだよね、と幸人は話した。確かにバスの低い音というのは聞いていて心地が良いものだ。圧倒されるのもこのバスドラムが重要だったりするのではないだろうか。


幾度か叩いてみると、少しの修正は入ったものの颯の満足する水準まで達したらしい。サムズアップをされたので無表情のまま勢い良いくサムズアップを返す。

何がツボに入ったの分からないが、爆笑された。


ひとしきり笑った幸人は、切り替えるように表情を引き締めた。まだその肩は微妙に震えているが。


「ちょっとスネアでシングルストロークやってもらっていい?あ、小さい音でね」

「わかりました」


なるべく小さい音で叩こうとすると、どうしても歪みが出てきてしまう。幸人に言われたとを反復しながら、なるべく均一にと心掛けながら音を出した。


「お、前より良くなってるね。……でも、ちょっと手だけで動かし過ぎかな。もっと腕と体全体を意識してー」

「はい」


小さいからと体を縮こまらせて演奏するのはムラの原因になるという話を聞きながら、なるべく手全体を動かしてスネアを叩く。

さっきよりも安定して音が出るような気がした。


「おお、格段に良くなった。じゃ、それ意識してやってみて」

「ありがとうございます」


そうして幸人に教わっていると、「そろそろ昼食になさりませんか?」と田島が良く通る声で全体に声をかけた。


練習の疲れもあったのか、めいめいに返事をして片づけ始める。颯も、幸人にお礼を言ってから、スティックをそれ用の袋の中にしまった。

また続きをするだろうからと、それを椅子に置いて真っ先に部屋をでた大樹の後をイノが追う。


それを追いかけて部屋から出ると、ちょうど叶も出てきた。


「ゆーまっ!」

「おお、叶。お疲れ」

「うん。ゆーまも。楽しかったねー」

「そうだな」


部屋を出た時点で叶がすり寄ってくる。汗臭いだろうからと距離を取ろうとするも、叶は大丈夫だと言って離れてくれなかった。


「別に大丈夫だよー。気を遣ってるんでしょ?」

「そうだけど。気になるんだよな」


少し汗ばんで張り付き始めた服を剥がしながら、服の首元で顔に風を送る。


服が伸びるかとも思ったが、暑さには逆らえなかった。


「ドラムやってるゆーま、かっこよかったなー」

「そうか?あんまりうまく行かないんだが」

「あんまり聞いてもわかんないよ?まあ、自分がやってみると分かったりするよね」

「そうなんだよな。今までなんとなく聞いてたけどドラムの人たち尊敬するわ……」

「あー、珍しくゆーまがやられてる!」

「さすがにな。もっとうまくなりてぇわー」


楽しそうに笑う叶の様子がかわいくて、思わず彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。少し前を歩いていた叶は、満面の笑みを浮かべながら颯を見つめた。


いつもの楽し気な彼女の姿がそこにあって、なんとなく安心する。「好きな人が出来た」と告げられてから、いつかどこか遠くに行ってしまうのではないかと思ってしまうことが多いから。


満足した颯は、イノと大樹に続いてリビングに入った。





少し立ち止まった叶は呟く。

本当に、かっこよかったな。と。


部屋の中から颯が呼ぶ声が聞こえて、慌てて中に入った。

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