第!$話

颯は、未だに乾かぬ頭をさすりながら自分たちのテントが設営してある場所に向かった。夜風にわずかに冷えた手足さえも気持ちがいい。


智のもとに真美が飛び込んできた時点で顔を上げると、ぼんやりとした表情で叶が椅子に座っていた。その隣の椅子に、颯も腰を下ろす。


「どうした、叶」

「おねむです」

「そうかい」


ぐしゃ、と頭を撫でると、猫が飼い主にじゃれるように頭をすり寄せてきた。叶がまるで猫みたいな鳴き声を上げ、思わず首の下をくすぐってしまう。


「ううにゃ、くすぐったい」

「まんま猫だな」

「猫やんでーす」


えへへ、と重そうな瞼のままはにかむ叶を膝の上に座らせ、後ろから抱き着いた。

今まで何度もやられていたのでやり返そうと思ったのだ。自分だけ無駄に恥ずかしい思いをするのは納得がいかない。


と、思ったのだが。

眠そうな叶に効果はなく、ただただ嬉しそうな表情をするだけだった。


「なんでそんな嬉しそうなんだよ」

「え、だって幸せだもん………」


すりすりと俺に手に頬を擦りつけながら、叶は目を閉じた。そのあと直ぐに、すうすうと穏やかな寝息が聞こえてくる。心の中のわだかまりのようなものを吐き出すために、深いため息を吐いた。その息がくすぐったかったのか、叶は身じろぎをする。


何とも言えなくなって、叶の肩に頭を乗せる。叶の自分よりも少し低い体温と、その柔らかい肌を堪能した。





さすがに夜中も更けてきて、足がしびれてこようかという頃。

珍しく、希子と博人はもう既に先にテントで寝ている。真美と智もそろそろ眠そうだった。


んん……、という甘い声が聞こえてきたかと思うと、叶がゆっくり目を開く。


「朝でーす」

「……おはよ」


まだ意識がはっきりしてないのか、颯の腕を取っては抱きしめる叶を、彼は軽く小突いた。


「起きろや」

「無理」

「思いっきり起きてるやん」


ぺい、とさらに叶に打撃を加えると、叶が向きを変えてやり返してきた。ぺちぺちという効果音でも付きそうなその攻撃を甘んじて受けつつ、叶を立ち上がらせる。


体を両腕で抱えて持ち上げたのだが、立ち上がらせた瞬間に叶が不服そうな顔をした。


「どした」

「寒い」

「……上着を着れば」

「やだ」


せっかく立ち上がらせたというのに、また颯の膝の上に戻ってくる。しょうがないな、言いつつも、自分の頬が緩んでいることを颯は知らない。

「温いな」「温いね」なんて平和な空間を作り出す始末だった。






翌朝。

かなり早くに目が覚めたなと思ったら、目の前に叶の姿があった。思わず伸びをしようにも、彼女が寝ているのに邪魔はしたくはない。


幸せそうに緩んだ表情で寝息を立てる叶。

今はどんな夢を見ているのだろうか。颯は夢を見るほうではないのだが、叶は夢を見るのだと前に言っていた気がする。


そんな他愛のないことを考えながら、まだ少し冷たい朝の空気を味わった。


そのうち、叶も目を開く。


「ん、おはよ」

「よく寝れたか?」

「寝れた。気持ちよかった」


また颯の胸に倒れ掛かって寝ようとする彼女を引きはがしつつ、颯は大きく伸びをした。さすがにこの姿勢で、軽いとはいえども人一人が上に乗った状態での睡眠は体にいいものでは無かったらしく、ぼきぼきと高校生にあるまじき音を立てる。


至近距離にいるからか叶にもしっかり聞こえたらしく、声を上げて笑った。


「社畜みたいな音するじゃん」

「社畜をやられてる方々はもっとひどいもんだと思うけどな」

「めっちゃ敬意を示すやん。や、すごいとは思うけど」

「どっかの社畜さんのお陰で自分らが生活できてんのかなって思うと、な」

「そういうところ颯らしいよね」


そうか?と問うと笑顔で頷かれる。

叶が何を考えているかは、基本的に大体わかるのだが、この時ばかりはよくわからなかった。


叶はいまだに颯の足の上に座り続けているので、手を回せば捕まえられる距離だった。なんとなく温もりが欲しくて叶を抱き寄せる。

一瞬驚いたように体をびくつかせた叶だったが、すぐに息を吐き出した。


「どした?いつもと違うじゃん」

「べつに」


普段と違う構図が少し恥ずかしいのか、叶がうりゃうりゃと抵抗してくる。叶を揶揄いたい颯が逃がすわけがなかったが。


「………叶」

「ひゃ、い」


耳元で、優しく名前を呼ぶと、少し裏返った返事が返ってきた。


「耳真っ赤だよ」

「……さ、寒いからね」


しどろもどろになる叶が面白くて、颯は声を上げて笑った。からかわれていることが分かった叶が頬を膨らませてむくれる。


「もう、……やりかえしちゃうよ?」

「どうぞ、お好きに」


手を出そうと身を動かすのだが、颯に抱きしめられたままの叶ではどうすることもできない。なおさらにむくれ始めた叶にそれとなく謝りつつ、颯は思わず頬が緩む。

ここまで幸せそうな様子を見せることはそうないのだが、叶は颯の顔を見ることができず、親も寝ているためにそれが目撃されることはなかった。


ただ、周りの客からは幾度か目撃されたようで、時折カップルの邪魔をしたと逃げていく影があった。


そんなことに気が付かない二人はさらにじゃれ始める。


この後、寝ぼけていたと自覚した颯が恥ずかしくなり叶に平謝りするまでがいつもの流れ。颯は、叶にいつやり返されるのかとびくびくしながら過ごす羽目になるのだった。






その後に起きてきた母親たち談。

「何やっとるんじゃあいつら」

「幸せそうですね」

「希子ちゃんまた遠い目してる」

「……するほかないやろー」

「ねえねえ見てみて叶が幸せそうに笑ってるよ」

「あの子たち一緒に居るときいつも楽しそうだからね。仕方ない」

「……なんか、この母にしてこの子在りってかんじだわ」

「へ?」

「希子ちゃんと博人くんの無自覚いちゃつきぶりはすごかったなー」

「何も聞こえなーい」

「こら、耳ふさぐんじゃないの。あんな感じだったんだからいい加減認めなさいよ」

「けっ、あんな甘くなれるかよ」

「…………そのものだったわよ」

「………………」

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