第!0話
叶からもらったペットボトルを右手でもって、十分に満喫した川辺から立ち上がる。足を拭くことさえめんどくさくなってサンダルの中に足を入れて、やっぱり気持ち悪くてタオルで拭いた。
叶は飲み物を取って帰ってきたときから、足をつけるのでなく手で水をいじって楽しんでいる。今も流れに手を浸して楽しそうな表情をしていた。
「叶、そろそろ戻ろうか」
「りょうかーい」
ぴょん、と立ち上がった叶が、颯の腕に抱き着いてくる。
「どうした、叶?」
「どうもしてないけど、なんとなく」
「そうかい」
かわいいな、と思わず口をついて出そうになって、慌てて呑み込む。
必要以上で無駄なことはもうしないと決めたのだから。こうして至近距離で叶のかわいい姿を見つめられているだけましとしようではないか。
さすがに彼女もふざけているだけだったようで、一瞬抱き着いてきただけですぐに手を離した。
「それにしてもあっついね」
「そうだな。昨日まではもう少し涼しい感じがしたんだけどな」
「やめてほしいわー」
「そう言ってくっついてくるのはなぜ」
「気分」
暑いんだろ、と距離を取らせてキャンプ場の足場の悪い道を進んでいく。
途中何度か叶が転びそうになり、颯が支える羽目になった。途中から楽しそうに笑っていたのだが、危ないのだからやめてほしい。
「今日のお昼ご飯何かな?」
「さあ。まあ、大して変わったメニューは作れないと思うけどな」
「そんな冷めたこと言わないでよー。楽しいじゃーん」
「はいはい、楽しいですね」
適当にあしらうと、がうがうと彼女にじゃれられる。やはり満面の笑みを浮かべたままの表情だ。それを見ていると俺も楽しくなってくるのだから、恋というのは恐ろしいものだ。
……少し前よりも距離感が近づいたような気がする。まあ、前からこうだったと言われてしまえばそうかもしれないと思えるような変化だが。
前から叶は触れ合いが好きだったから何とも言えない。
「は、やばい!」
「どうした?」
「もうちょっとでテント着いちゃう。……せっかくの二人の時間がー」
「いくらでも取れるって言っただろ。食事の時ぐらいは我慢しろよ」
「せっかくに遊びに来たのにー。大人たちがいるとさー」
普段の距離で接することができないとでも言いたいのだろうか。
ずいぶん昔からこの距離感で過ごしているのだから別にばれたってどうってことないだろうが。………颯の場合は特に、博人に叶への想いを告げてしまっているわけだし。
「大丈夫だろ。別に普段みたいに触れ合っても。っていうか自粛するつもりなかっただろ?」
「なかったけどさ。……でも、二人がいいじゃん?」
少し恥ずかしそうに頬を染めた叶がしたから颯を見上げる。
普段は見慣れていると言っても、こういう表情をされると叶の顔の良さが颯の心臓を破壊しようとするのだった。少し気恥ずかしい空気が場を支配する。
そのままテントに戻ると、大人たちは料理を用意していた。
「おかえりー。ハヤちゃんはそこ座ってー。叶ちゃんはハヤちゃんの上か、その隣の椅子ね」
「わかりました!ゆーまの上に座ります!」
理解が追い付かないままに椅子に座らされる。
その上にどでんと叶が座り込んできた。柔らかさと甘い匂いにやられてどうすることもできない。
「あのー。ちょっと辛いんですが」
精神的な意味で。
理性的な意味で。
貴方の危機的な意味で。
「え、さては重いって言いたいんだな?」
「いや、そうじゃないけど。っていうか叶はもうちょっと肉付けてもいいと思う」
「油断してると勝手に肉はついてくるからいいの。私の場合運動してるから健康面はダイジョブだしー」
わたわたと叶が俺の膝の上で暴れる。やめてくれと思いつつも、手を回して抱きしめて動きを強制的に止めた。
おなかの部分を強く締めすぎたようで、ぐえ、という悲鳴が聞こえてきて慌てて手の力を抜いた。
「すまん」
「いや、別に大丈夫。………にしし」
叶の体の前に回してる手をぐりぐりといじられて、自分ではどうすることもできずにじっとしていた。
「ほら、そこのお二方。颯君が困ってるでしょ。叶はどいてあげてよ」
「お父さん。もうちょっと満喫してもいいじゃん?」
「ダメです。ごはんです」
「ちぇー」
また来るぜ、と聞き捨てならない捨て
昼食はと言えば、体に残る柔らかい感触であまり集中して食べることができなかった。
そして昼食後、叶が再度襲来してきた。
「ここ落ち着く」
「俺落ち着かない」
「よかったね」
「よくないんだが!?」
えへへー、と気の緩んだ笑みを浮かべつつ、叶がはしゃいでいる。
本当に、もうすこし自重してほしい。べたべたとくっついたままの叶と颯を見て、有間家夫婦が微笑まし気に見守っていた。
「叶ちゃんは誰かにくっつくの好きだよねー」
「そう、ですかね?」
「いやそうだろ。そのまんまこの状況が語ってくれてるじゃねえか」
「じゃあそうかも。………だそうです、真美さん」
それはよかったと、孫でも見るような庇護欲を上限突破させたような顔で見つめてくる母を軽くにらみつける。俺としては恥ずかしいことこの上ないのだが、叶は気にする様子もなくスキンシップを取ってくから。
「叶ー、ちょっと自粛してくれや」
「何をー」
「端的にいえば降りてほしい」
「なぜ」
「はずいんじゃ」
「継続で」
なんじゃとー、と叶の頬をふにふにといじるも、叶が意見を変える様子もなかった。両親たちの興味は違うところに移ったからよかったが、それでもまだ恥ずかしい。
いや、いつかは親の前でも堂々とこういうことができる関係になりたいなんて思っているんだが……。って何を考えてるのだろうか自分は。
「おりゃ」
いたたまれなくなった気分をはらすために、叶の肩に頭を預ける。叶の熱が全身から伝わってくる。触れているいたるところが柔らかくて頭が混乱していた。
もういいや、とどこか諦めた気分さえ浮かんでくる。
「どうしたの、颯」
「甘えたかった」
「めずら、やきにくのたれ」
「おおう」
叶は柔らかくていいにおいがする。
心臓が落ち着いてきてしまえば、居心地のいい場所だった。
「ねえ、嫌な予感がするんだけど」
「……なんで、……だろうな」
「ねえねえ」
「……ん」
意識が眠気に溶けた。
その後一時間ほど、叶は颯に捕まえられたままだった。寝ぼけている彼は、何を思ったのか立ち上がろうとする叶をことごとく阻んだのだ。
身じろぎするために強く抱きしめられて顔を染める叶に、しびれを切らした両親らがボードゲームを初めて、その姿勢のまま叶は雑談もろともに参加した。
目を覚ましたときの颯の謝罪っぷりは面白かった。
気分が可笑しくなってふわふわとしていた叶が颯に抱き着き、いろいろと大変なことになりながらその日の午後の大半は潰れた。
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