第8話
わたしは授業が6時間までの月火金と、日曜日の週4日、スーパーでバイトをしている。平日は午後4時から7時の3時間、日曜日はフルタイムだ。高校から歩いて10分ほどのところにあって、製菓材料も豊富な、どちらかというと業務用寄りのスーパーだ。
主な業務はレジ打ちと品出し。レジ打ちといっても、バーコードを読み取ったら、あとは自動精算機でお客さんに支払いをしてもらうだけだ。
授業で座りっぱなしからの、立ち仕事だから、運動不足のわたしにはちょうどいい。むしろ立っているときのほうが、お菓子作りをしているときと同じで、頭がシャキッとしている気がする。
本日、金曜日も3時間の勤務を終え、タイムカードに打刻をし、更衣室へ向かおうとしたときだった。
「かさねちゃん、ちょっと」
パソコンを睨んでうんうん唸っていた店長に呼び止められた。
あれ、わたし何かしたっけ?
店長に呼び止められて肝を冷やさない高校生アルバイトはいないと思う。記憶の引き出しを手当り次第探るが、心当たりはない。
店長はノートパソコンを閉じて立ち上がると、封筒を差し出してきた。茶封筒には、わたしの名前が手書きで書いてある。
「はい、今月のお給料」
頭の中に広がっていた
わたしは濡れてもいないのにエプロンに手のひらをこすりつけ、両手で封筒を受け取った。お札数枚分の厚さ。そして、ちゃりちゃりと小銭の音がする。
1ヶ月間のがんばりが報われる瞬間だ。
「ありがとうございます」
「今月もお疲れさま。来月もよろしくね」
店長はつり目を優しく細めて笑い、伸びをしながら売り場へと戻っていく。そのうしろ姿を、今度はわたしが呼び止める。
「あの……ちょっとお買い物してっていいですか?」
「もちろん。着替えたらいらっしゃい」
今日は金曜日。明日、さとうさんに作るケーキのために買わなくちゃいけないものがある。
わたしは更衣室に駆け込み、エプロンを外し、コートとマフラーでむくむくに着ぶくれると、売り場へ戻った。同じ場所のはずなのに、勤務時間とは違ったように見えるのが、いつも不思議に思う。
売り場は普通のスーパーに比べてずっと小さく、コンビニのふたつ分くらいの広さしかない。冷凍食品、調味料、乳製品にお茶、お菓子。どれも普通のスーパーの5倍くらいの量で売られている。
もちろん、飲食店やお菓子屋さんを営んでいる人向けの商品だけど、ほとんどは一般のお客さんだろうなという感じの人だ。普通のスーパーより量が多くて安いから、家計のためにここを選んでくれているのだと思う。
わたしがここでバイトしようと思ったのは、他でもない、お菓子作りのためだ。
純ココアとか製菓用チョコレートとか、その辺ではなかなか売っていないけどお菓子作りには必要なものが、豊富に取り揃えられているのだ。製菓用具や、包材もあって、このスーパーはわたしのお菓子作りには欠かせない存在だ。
製菓コーナーへ直行し、隅の棚の上から3段目に目を止める。どこに何があるか、製菓コーナーに関しては完璧に覚えている。
「ついに……買うときが来たか……」
他と比べると大きめの口金を手にし、少し震えてしまう。モンブラン専用の口金だ。
普通の口金は、星とか丸とかいろいろあるけど、絞り口はひとつという点は共通している。だけど、モンブラン用の口金は、小さな穴がたくさんあいていて、イメージするならシャワーヘッドみたいな感じ。クリームをまさにシャワーのように、麺状に絞ることができるのだ。
今までモンブランを作るときは、極細の丸口金で済ませていた。済ませていたというと、本来より簡単な方法を選んでいたという意味に取られそうだけど、違う。大変な思いをしていた。
モンブラン口金なら穴が8個あるのに、丸口金は1個。8倍絞らないといけないのだ。それは鉛筆1本で画用紙を塗りつぶさないといけないようなもので、やってもやっても終わらないと嘆きたくなったのは一度ではない。
用途がひとつしかない道具を買い集めていたらものがあふれてしまうので、なるべく買わない主義なんだけど、さとうさんには完璧なモンブランを食べてもらいたい。
背に腹はかえられぬ……なんて言いながら実は、この口金に憧れてて、見るたびにほしくてうずうずしてたんだけど。
それから、今日品出ししていたときに目をつけていた、マロングラッセも手に取る。普段はなかなか手が出ないお値段だけど、生クリームとバターと栗ペーストの缶詰がもう用意されていると思うと、余裕で買えてしまう。しかもさっき、お給料もらったばかりだし。
そのふたつを持ってレジに向かうと、店長が立っていた。口金の包装に貼ってある、くしゃくしゃになったバーコードを伸ばしながら、店長はにやりと歯を見せる。
「モンブラン口金まで買うなんて、かさねちゃん、本格派だね」
「まあ……これから本格派になっていこうかと」
「あれ? 今日は生クリームはいいの?」
毎週金曜は、週末用に生クリームとバター、ときどき小麦粉を買うのがお決まりだったのだ。
「あ、家にあるので……」
「ふぅん? 他の店に浮気したな?」
わたしは自動精算機にお金を入れながら、うっ、と言葉に詰まった。
「そ、そういう訳じゃ……」
「冗談冗談。いろんな材料を使ってみるのも勉強だしね。じゃあ、また日曜日ね」
店長、いい方に取ってくれたけど、何か嘘ついてるみたいでもやもやするなぁ……。
わたしは口金とマロングラッセをそのまま鞄に放りこんで、マフラーを巻き直して外に出た。すっかり暗くなった空に、オレンジピールみたいに濃い色の満月が浮かんでいた。
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