初めてぼくは,戦うという選択をした
そこには手のひらサイズのサボテンのような生き物がいた。ぼくの大好きなRPGで出てくるキャラクターに似ている。身体は卍の形で走り格好をしているが,その顔は青ざめていて身体は小刻みに震えている。きっと,大きな人間が全身を震わせて空気が震えるほどの叫び声を浴びていることにおびえていたのだろう。つまり,この場にいた三人がそれぞれ相手を見ておびえていたのだ。ぼくに関しては何を見た訳でもなく老人のおびえる声に恐怖を感じていたのだから情けない。
大丈夫だよ,と声をかけながらサボテンの方にゆっくりと近づくと,よせ! と思わず身が縮まるような声で老人に止められた。何をそんなにおびえているのかと不思議に思って老人を見ると,彼はまだ震えていて小さくこちらに手招きをしている。
「どうしたの?」
「いいか,少々遠回りになってもいいから大回りするぞ。あのサボテンはな,とても臆病だが針にほんのちょっとでも触れてみろ。死ぬぞ」
え? とサボテンの方を振り向くと,確かにおびえているがじりじりとこちらに迫ってきており,卍の手をくずしてこちらに向けてきた。
「走れ!」
老人は叫んだ。ぼくの目の前に選択肢が表示される。
→ 戦う
逃げる
一切の迷い無く逃げるを選択した。チュートリアルも始まっていないのにこんなところで死ぬわけには逝かない。そもそも死んだらどうなるんだ? いや,今はそんなことはどうでもいい。
老人の合図でぼくたちは一目散に駆け出した。老人は意外にも素早い身のこなしで長い距離を走った。これならぼくと一緒じゃなくても町にはたどり着けただろうに。これからはこの老人に守ってもらおう。そんなことを考えながら老人の後をなんとか必死で追いかけた。
しばらく走り続けると,サボテンの姿は地平線の彼方へ消えていた。とにかく上がった息を整えるためにその場で休息を取ることにした。
「なんとかなくことができたね」
「さすがだ。あなたを勇者以外なんと呼ぶことが出来ようか」
この人にはぼくが何をしているように捉えているのだろう。ただあなたの後ろを必死こいてついて言っただけですよ,何ならあなたがいないとぼくはサボテンに殺されていました。どうぞこれからぼくのことを守ってください。そんなことを考えながら休んでいると,また老人がわなわなと震えだした。今度は何? とうんざりしながら振り返ると,そこにはかわいらしいネコのような生き物がいた。
「この生き物は?」
老人は今度は逃げるそぶりを見せない。大丈夫と言うことだろうか。
「こいつはニャンゴロン。この辺でたまに見かけるモンスターだ。視界に入った物は追いかけ回して仕留めようとする。爪で引っかかれたらかなり痛い。すばしっこくて逃げることも叶わない。ああ,今度こそ終わりだ。ここで全身ボロボロにされ,甘噛みされ,手当も受けることが出来ずにこのまま傷口が腐食して死んでしまうんだ」
老人は上目遣いでこちらを見た。この人はふざけているのだろうか? とにかく,話を聞く限りめちゃくちゃ強い敵ではなさそうだ。いわば,最初に出くわすスライムみたいな物か。
例のごとく目の前に選択肢が表示された。
→ 戦う
逃げる
初めてぼくは戦うことを選択した。このことは多少なりともぼくの気分を高揚させた。今まで,何かがあったときに戦うという選択をしたことは一度も無かった。もちろん,ゲームの世界は別として。今ぼくは,ゲームの世界に身を置いているのかも知れない。それでも,生身の身体で戦う選択をしたという事実が画面越しのそれとは全く違うものだった。
腰に巻かれていたポーチと同様に,もう一方には剣が携えられていた。さやに手をかけ,ゆっくりと引き抜いた。重厚感を感じながら切っ先をあらわにした。高い金属音が小さくなる。剣の握り方も分からないが,いつも画面の中で主人公がやっているように構えた。
「脇が甘い。しっかりとしめろ。足は肩と平行に並んでいると一歩目が踏み出せない。少し前後に開くといい。そして,母子級に体重を乗せる。分かるか? 親指の下の,犬でいう肉球のような場所だ」
えっ,と振り返ると,老人は真剣なまなざしでこちらを見て指示を送っていた。さっきまでの失禁してしまうのではという雰囲気は丸で感じられない。それどころか一種の威厳のような物も感じられる。さっきの奪取も相当早かった。この人はいったい何者なんだ?
「敵を前にして目をそらすとは,たいした自信だな」
ハッと我に返って視線を戻したときにはもう遅かった。ニャンゴロンは飛びかかって肩口にかじりついた。思わずうめき声が漏れる。噛まれたところを見ると,服はちぎられてそこから血が流れているのが見える。ペットのようなかわいい攻撃力をイメージしていたけど,どうやらそうではないらしい。
「普通のモンスターだったらすぐに死んでいたな」
表情を変えずに言った。
目の前にバッテリーのゲージのような物が表示された。そこから十分の一ほど色の付いた部分が消滅する。
「なんだこれ。もしかして」
「見えるか? それがヒットポイント。なくなったらゲームオーバーじゃ」
「ゲームオーバーってどうなるの?」
「人生のゲームオーバーとはどういうことか想像できるか? それは,死ぬと言うことだ。いなくなる。消える。生命が途絶える」
え。死ぬの? 始めとは全く違う風格のあるこの老人の言葉を信じざるを得ない。そうはいっても,ゲームの世界なんだがら何かしらの救済措置があるはずだ。
それkら,と老人はまた無表情で言った。
「あまり都合の良いように考えるなよ。神父が現れて生き返らせてくれたり,続きからと言うことはない。始めからもやり直せない。お前の人生も,やり直したくても最初からやり直すことはできないだろう?」
そこで初めてにやりと笑った。片方の口の端だけを上げた,不敵な笑みだった。この人は,現実世界のことも知っているのだろうか。ぼくが到底勇者と呼ばれるのにはほど遠い,真反対の人間であるという子tも。
「痛みがないことの代償だ。何事もノーリスクはありえない。それなりの代価を差し出さなければならない」
言葉を失っていると,老人は今度は満面な笑みを浮かべた。
「だから人生は楽しんじゃないか。それから,過去には戻れないが,未来は変えられる。お前が変えてみろ。今からな」
ほれ,くるぞ,と老人は顎で示すと,ニャンゴロンはこちらに飛びかかろうとしていた。
→ 攻撃する
防御する
逃げる
剣を握る手に力を込めた。そして,コマンド操作の要領で攻撃するを選んだ。
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