第43話 夕焼け小焼け
ミルクを水で薄めたみたいな光が揺らめいている。その柔らかな光の中へ進んだと思ったら、徹は洞穴の鏡の上に立っていた。
すぐに脇へ避け、髪をかきあげて水を払い落としながら二人が現れるのを待つ。
鏡が光って、由良の頭のてっぺんが見えたかと思うと全身が現れ、鏡の上に立った。徹は手を伸ばして由良を引き寄せる。すぐに莉子の頭が見え、同様に全身が現れた。
3人は鏡の縁に座りこみ顔を寄せて、中を覗き込む。水はしばらく揺らめいて、静まった。
「無事に戻れたみたいだね」
鏡の中から、3人の笑顔が呼びかけてきた。
「びしょびしょだけどね」
「それはこっちもだよ」
「泉の水の量は、元に戻ったわ。もう大丈夫みたい」
「よかった。こっちは今から、石を器に嵌める」
「うん」
一瞬の沈黙が降りる。
「俺たち、もう会えないかもしれない」
「わかってる」
「君たちに、会えてよかった」
「もし会えなくなっても、ずっと仲間だよ」
「元気で」
「ありがとう」
それぞれに、短く言葉を交わし合う。名残惜しいけれど、時間が無いのだ。
何故か誰も、「さよなら」とは口にしなかった。
徹は莉子に石を渡した。
「あたしがやってもいいの?」
徹と由良が頷く。
「器に気づいたのは、莉子だ。莉子がやるべきだと思う」
莉子は石を受け取ると、白い小さな岩の前に跪いた。さすがに少し、緊張しているみたいだ。舌先がちょこっと、唇からはみ出ている。
刻まれた浅いレリーフに、石を嵌める。ハナサキと同じ位置に。赤い石を、左目に。緑の石を、右の目に……
レリーフがじわりと浮き出たかと思うと、白い岩からオレンジと黄色がまだらに滲み出た。それは生きた小さなオオサンショウウオへと姿を変え、赤と緑の目がキラリと光る。
小さなオオサンショウウオはスルスルと素早い動きで岩を這い降り、水の張られた鏡の中へするりと潜り込んだ。鏡の水が真珠色の光を放ち、一瞬で消えた。
そして鏡は、元の曇った汚い鏡に戻った。
3人は鏡の前で顔を見交わした。
「………終わった?」
「……みたいだね」
なんだかあっけないな……嘆息とともに漏れた莉子のつぶやきに、あとの二人も大きく頷く。
「世界を救ったのにさ……結局ドラゴンも魔法使いも出てこなかった」
「まだ言ってる。でっかいハナサキ見た時、半泣きだったくせに」
「はぁ? 半泣きじゃないし」
半泣きどころか大泣きだった由良が、急いで助け舟を出す。
「でもでも、ドラゴンではないけど、あれってもう、ほぼ怪獣じゃなかった?」
「あー……そういえば、オオサンショウウオって外国じゃ『サラマンダー』って呼ぶらしい」
「サラマンダー! なにそれカッコイイ! 徹ってば、そういうのは早く言ってよぉ」
「え、言ったら何か違ってたか?」
「それは……気分が、なんか気分が盛り上がるじゃん?」
何も映さなくなった鏡の前で、3人は立ち去り難く無駄話をして別れの時を引き延ばしていた。この不思議な体験の余韻に、もう少し浸っていたかったのだ。
「そういえばさ、私たちが戻ったとき、みんな大笑いしてたじゃない? あれ、何話してたの?」
由良と徹が大変な思いをして戻ってきたとき、彼らは呑気に爆笑していた。待機しているだけの身だとはいえ、何にそれほど盛り上がれたのか……由良は気になっていた。正直言えば、ほんのちょっぴり恨めしかったのだ。
「あー、ハスミュラの薬草が効き目すごかったからさ、『スグナオール』とか名前付けて売ったら? って。そしたらなんか、めちゃウケて」
「スグナオールって、あっコバ(あっ! ◯林製薬)かよw」
「そうそう、言葉は違ってもなんかそういうダジャレみたいなのも通じるんだねーって笑ってたんだ」
時間を埋めるだけの会話は、すぐに終わってしまった。ほんとうはもっと話したいことが別に有るのに、不思議に胸が詰まり、言葉が出て来ない。
3人は胸に込み上げふわふわと渦を巻く感情を抱えながら、いつしかそれぞれ手の中の記念の品を見つめていた。
徹の手には、エマトールがいつも携帯している鹿角製の釣り針。
由良の手には、ハスミュラが使っていた綺麗な細工の竹製髪留め。
莉子の手には、綺麗な鳥の羽根が使われたキシネリコの矢羽根。
別れ際、白い靄の前で彼らは「美味しい食べ物のお礼」だと、これらの品々をくれた。こちらから差し出した記念品は、一切受け取ってくれなかった。それでは美味しい食べ物のお礼にならないから、と。
ただし、キシネリコはおやつを食べられなかったので、莉子はテニスボールを交換した。ボールの感触や蛍光色が珍しいらしく、キシネリコは大喜びだった。
言葉も無く、様々に想いを馳せながら手の中の記念品を眺めていると、洞穴の外から5時を報せる「夕焼け小焼け」が聞こえてきた。3人は物思いから覚めたように顔を上げ、小さく笑った。
「……帰ろっか」
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