第4章 崖の村、時の泉
第17話 ハスミュラの決意
唐突にただならぬ恐怖を感じ、ハスミュラは身をすくめた。
それは朝の身支度をあらかた終え、ふわふわの長い髪を編みこんでいる時だった。首から下げたペンダントが一瞬震え、熱を発している。
ハスミュラは反射的に両手で胸元の石を握り、メジロの眠るベッドを振り返った。普段はお寝坊のメジロも目を覚まし、怯えたような表情でハスミュラの肩に飛び乗った。
「エマトールの身に、何かあった」
断定するようにそう呟くと、メジロもそれに同意を示した。
─── あの、体を貫くような悲痛を帯びた恐怖。いますぐ行かなくちゃ。
ハスミュラは部屋を飛び出し、両親の部屋の前で声を張り上げた。
「お父さん、お母さん! エマトールが危ないの! 私、行ってくる!」
扉の向こうでバサバサと物音がして、すぐに二人が飛び出してきた。寝間着姿の両親に口を開く間も与えず、ハスミュラは訴える。
「エマトールに、何かあったみたいなの。このペンダントが報らせてくれた。エマトールとヒタキが協力して作ってくれた、このペンダントが」
メジロも精一杯の同意を伝えた。それを受けて両親のマガリコ達も、ハスミュラ達の受けた印象を伝える。
両親は目を見交わし、頷き合った。母が片膝を折って跪き、ハスミュラを見上げる。
「ハスミュラ。昨日言ったことは、私が間違っていた。あなたはもう、自分のことは自分で決めなければいけない年齢だった」
「母さんはただ、お前の幸せを願っているだけなんだ。それは理解してくれるね?」
ハスミュラは思いを込めて頷いた。そんなことは、わかってる。ふたりとも心から私を愛し、大切にしてくれている。生まれた時からわかってる。
「性別の儀の前に話していたことを憶えているわね? 『決断の前には、よくよく考えなさい。後悔しないように』」
「「「けれど、もし後悔する羽目になったとしても、それを人のせいにしないこと。自分で下した決断なのだから」」」
何度も説いたその教えを、3人は唱和した。
「それぐらい、よく考えて決断しなさいってこと。私、わかってるつもりだよ」
母は立ち上がりながら滲んだ涙を指で拭い、微笑んだ。
「メジロという鳥は、
無理して微笑んでくれているのがわかって、ハスミュラの胸が疼く。
一週間続いた性別の祝いも終わり、二人は仕事のために山を降りる時期だ。そんな時に私が家を離れ、シキミとなったエマトールの元へ行くのは心配だろう。
「何かあれば、すぐに伝えなさい。どこに居ようが、私達は全力でお前達の力になる」
父の励ましが心に染み渡る。何があっても、きっと大丈夫。そう思える。
ハスミュラの出立の準備に取り掛かった母を見やり、父は静かな声で言った。
「ハスミュラ、よく覚えておいてほしい。後悔は、悪いことじゃ、ない。人は不完全なものだ。誰だって失敗はあるし、失敗すればそりゃ、後悔もする」
父はさっきまでの母と同じく、膝を折ってハスミュラと視線を合わせた。
「大事なのは、後悔に囚われないことだ。囚われて立ち止まることが最も危険なんだ。後悔に囚われれば、萎縮して思考が止まる。足はすくみ手は強張り、視野が狭まる。だからそうなる前に、周囲に助けを求めなさい。親だけじゃなく、周りの信用できる人に相談するんだよ」
「わかった。後悔せずに済むよう、よく考えて行動する。でも失敗したら、臆せず助けを求める……」
ハスミュラもしゃがみ込み、父の膝に手をかけてその顔を見上げた。
「…そしてその結果がどうあろうと、自分で受け止める。だって、助けを求めたのも、その助けを受け入れたのも、自分自身だから。人のせいになんて、しない」
父は感嘆した。親の欲目を差し引いたとしても、この子は何て賢い子だろう。賢くて強く、そして優しい。いつの間にこんなに大人びたのだろう。ついこの前まで、小さく無邪気な子供だったのに……
甘く切ない寂しさが心を切りつけ、素早く過ぎ去る。
「お前は私たちの誇りだよ、ハスミュラ。お前を信じてる。思うように生きなさい」
「いつでも私たちが見守ってることを、決して忘れないで」
準備を済ませた母親が、ハスミュラに荷物を手渡した。
「エマトールはきっと大丈夫。優しくて賢い子よ。何より、あなたが選んだ人だものね」
ハスミュラは二人に抱きついた。三人は固く抱き合う。三人のマガリコたちも互いに頷きあい、想いを告げる。
「ありがとう。お父さん、お母さん。大好き」
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