第9話
「三年……」フランシスが呟く。「長いね」
口にできたっていうのは、どうあれ受け留める覚悟ができたって証だ。対して、ぼくとマクスウェルは、これから失う歳月の多さに言葉も出なかった。
「〈プロテージ〉だったか?」とエディ。「彼女がいっていた『破滅』とやらは、ぼくたちにとっても他人事ではなくなったってことだ」
全員が沈黙したのを受けて、エディは続けた。
「彼女の時間間隔がぼくたちとかけ離れているか。あるいは、『破滅』が待ち合わせ時間にルーズなのを期待してみるか?」
「笑えねえよ」マクスウェルはいって、それからこちらを向いた。「おい、カイル。お前が責任感に駆られた結果がこのザマだ。解ってんのか?」
ぼくは溜息を吐く。「だから、こんな顔をしてるんだろう」
「ぼくもフランシスも加担したことだ」エディがいう。
「それに」フランシスが続く。「どの道、カイルが〈サークレット〉の標的になっていたのは間違いないんだし、あの銀色の――」
「〈プロテージ〉」とエディ。
「その〈プロテージ〉が現れたとき、逃げられる手段をあなたが他に用意していたっていうなら、わたしたちも黙るけど。……どう?」
「それなら」とマクスウェル。「この船をあいつらに引き渡すか? どうせ〈ウェーブ〉なしじゃあ、計画だって頓挫だ」
「本気じゃないくせに」
フランシスにそう突っ込まれて、マクスウェルは舌打ちした。
「それじゃあ、どうするつもりなんだ?」
マクスウェルはぼくを睨んだ。彼の追及の矛先がぼくに向くのは、別にフランシスに言い負かされた腹癒せじゃない。問題は責任の所在だ。ぼくが見積もりを誤った。相手の力量を。事態の規模を。何より、自分自身の程度を。出過ぎたことをした。
「……解った。〈ミグラトリー〉を出よう。それで、脅威とやらが矛先を変えてくれたら、そのときこそこの件はぼくたちの問題だ。そうでなかったら……彼らは彼らで生き抜いてもらうしかない」
ぼくは俯き、溜息を漏らす。
「……これでいいか?」
「初めからそうすれば良かったんだよ。全く。酷く遠回りをさせられたもんだな。おまけに、足取りだって。……くそっ。〈ウェーブ〉が使えないんじゃあ、足枷されたようなもんだろう」
「カイルの一大事だって飛び出して行ったのは、どこの誰だっけ?」
フランシスがマクスウェルを小突く。
「おれは上手く立ち回ったぞ」
「〈プロテージ〉の相手をせずに済んだってだけでしょう?」
「おれの方でも大発見があったんだよ」
マクスウェルはテーブルの席に着いた。
「〈サークレット〉の連中には、隠し玉があったんだ」
「初耳だな」
エディがいうと、マクスウェルは口角を上げてメインモニターの傍にあるコンピュータを指した。
「スクリーンだけ眺めていたって見つけられないこともあるんだよ」
「そのスクリーンの中にはない秘密っていうのは?」
マクスウェルは卓上の缶詰に手をつけながら答えた。「連中の切り札は二枚。一枚は……お前たちも自分の無茶で身をもって知ったと思うが。現在、〈サークレット〉と〈プロテージ〉は部分的に協力体制を取っているらしい」
「あれは協力とは少し違う気もする」
「違うって?」
マクスウェルは眉を潜めた。
「傍から見た感じ、そうとはいい難いというか」
「ハッキリしないな」とマクスウェル。
「協力してるんだったら、ぼくから情報を引き出す必要はないだろう?」
「〈プロテージ〉の狙いが〈ファントム(この船)〉なら」と切り出したのはフランシスだ。「あからさまに欲しいものを名指ししたりはできないんじゃない?」
「どうして?」
「宇宙を渡ってでも手に入れたいものがあるだなんていわれたら、わたしならその正体が気になるもの」
「フランシスのいう通りさ」とマクスウェル。「共闘の形は一つじゃない。握手を交わす。不干渉。程度の話だ」
「だけど、〈プロテージ〉を見たときの警備兵の態度。あれはどう見ても仲良くやってるって態度じゃなかった。刺激するな。隊長格の男はそうもいっていた」
「命令系統は厳格なトップダウンだからな。上が必要ないと判断すれば、下まで情報は届かない」
「共闘関係っていうのは、明るみに出したくなかった?」
「まあ、得体の知れない相手と同盟結びましただなんて宣言したところで、どれだけ理解が得られるかも解らないだろうからな」
エディがいうとマクスウェルは頷いた。
「面子の問題もあるだろう。太刀打ちできなかったっていうのが報道された直後だぜ? 誰がどう見たって温情をかけられている」
「その上っていうのは? 秘密にしてた人」フランシスが聞く。
「おれが知るわけないだろう」
「前に務めていたところなのに、何の心当たりもないの?」
「組織の方針は合議制だって話だが、首脳部に何人いるのかさえ末端には知らされないんだよ」
「……トップが機械だって話は?」ぼくは聞いた。
「なんだそりゃ。まあ、連中に自分で何かをまともに考えるような頭がないってことなら――」
「そういう嫌味じゃなくてさ」
エディとフランシスの視線がぼくに集まる。解ってるって。「声」については話さない。
「まあ、冗談くらいにはそういう話をすることもあるだろうな。下っ端は、誰の指示で自分は動いていて、どこに責任があるのかも解らないんだ」
「尋問を機械に任せたことは?」
「被疑者の発言の真偽を判別させるってことじゃなく? 質問そのものを? まさか。ないよ。そんなこと。だいたい、割に合わない。手間も時間も、経費も」
「まあ、実際がどうあれ、〈サークレット〉の体制なんてものは、ぼくたちにはもう関係ない。そうだろう? カイル」
エディはぼくの名を呼ぶときだけ、語気を強めた。
「……ああ」
「どうしたんだ? あいつ」とマクスウェルはフランシスに聞く。
「取り調べがトラウマになってるの。だから、優しくしてあげて」
そこ、ありもしないことをいわないでくれ。そして、マクスウェル。余計な同情は要らないから、妙な視線をぼくに向けるな。
「本題に戻ろう」とエディ。「つまり〈プロテージ〉は、ぼくたちに敵意がないってことでいいんだな?」
「ああ。だから、おれたちくらい〈ミグラトリー〉を出て行ったって、何の問題もなかったんだ」
「敵意がないって。あれだけ派手にドンパチやり合ったっていうのに?」とフランシス。
「〈プロテージ〉は自分に向けられた武器を無力化しただけだ。それ以上のことはファーストコンタクトから、今の今まで観測されていないらしい」
「わたしたちは襲われたけど」
「それについてはまあ……なんだ」ぼくは視線を泳がせる。「元凶はクレアにあるというか」
「歯切れの悪い返事ね」フランシスがいった。
「初めにしかけたのはクレアというか……」
額に手を当て嘆くぼくに、全員が溜息を吐いた。
「それで?」間を置いて、エディがそう切り出した。「二枚目のカードっていうのは?」
マクスウェルは携帯端末を取り出し、何やら操作するとテーブルの中央にそれを置いた。発光するスクリーンが立体映像を空中に映し出す。隅に表示されているタイムスタンプと、格納フォルダのパスを見るに、これは数時間前に携帯端末で録画されたものらしい。
「何これ」
今のいままでモニターから目を離さなかったエディが、フランシスの言葉に反応して振り向いた。
「格納庫か?」とぼく。
「いや、でもこれって」とフランシス。「中央にいるの生き物でしょう?」
「生き物?」今度はエディだ。「こんなにデカいのが?」
興味津々のぼくたちを見て、マクスウェルは満足げだ。
照明が少なく、高所に何本か架けられている足場の影が薄ら見える程度の空間に、何かが映っている。フランシスが「生き物」と呼んだのは、そのフォルムを指しているんだろう。画面の中央に捉えられた仮称:〈生き物〉は、四つ足で身体を支えるように静止しているが、上体は四足歩行の動物の姿勢よりも高く、前足は後ろ足に比べて華奢に見える。輪郭は流線形を帯びていて、既存の設備で生産されたものとは思えない形状だ。
「人の気配は微塵もなかったが、大量の警備マシンが敷地のあちこちを見張っていてな。警戒具合から、お前が捕まってるのはここに違いないと確信して突入してみれば……あったのはこいつだ」
映像に緑色のフィルタがかかる。シルエットだけだった〈生き物〉の細部が……不鮮明ではあるが浮かび上がった。
「荒いな」とエディ。
「建物全体が磁場か何かに覆われているみたいだった。これでも上手く調整したんだぜ?」
「その磁場とやらのせいで、今まで連絡を寄こせなかったのか?」とぼくが聞くと、マクスウェルは「その通り」と返した。
「いや、褒められたくて勿体ぶっていただけでしょう」とフランシスは訝しむ。
「これが〈サークレット〉の切り札ってことなら妙だな」とエディは呟いた。
「どうして?」
「解からないか?」
エディはぼくたちを見渡して返事を待つが、答えられる者はいなかった。
「……一朝一夕で準備できるものじゃないだろう。こんなの。まるで、何か来るのを知っていたみたいじゃないか」
「……いわれてみれば」とフランシス。
確かに。日頃、武力的な脅威に晒されているんならともかく、数百年にも及ぶ〈ミグラトリー〉の歴史において、外敵の襲来どころか内紛さえ起こったという記録はない。〈サークレット〉が宙域活動に使う作業機だって、想定しているのはデブリの撤去や救助活動が中心で、万が一の備えは……そりゃあ、しているだろうけれど。
「前々から隠し持っていたのかも」とぼく。
エディは鼻で笑った。「ぼくに暴かれることなく?」
これはまた偉い自信だな……とはいえない。〈サークレット〉に捕えられたぼくの居所を突き止めたことからも解かるように、ネットワークを飛び交う情報を探らせたら、彼の腕は最高峰で、口座の暗証番号から行政機関の議事録まで手に入れられない情報はないし、だからこそぼくたちは、彼に中枢(ブレーン)を任せている。
「〈サークレット〉の連中が何を企んでいたってどうでもいいが」卓上の缶詰を開けたマクスウェルは、備えつけの使い捨てフォークを掴んだ。「これで方針は決まったわけだ」
手にしたフォークで、マクスウェルは窓の外を指す。
「どこに向かうのかも、もう目星がついているんだろう?」
「……ああ」
エディはコンソールを操作し、スクリーンに周辺宙域の地図を表示した。
〈ファントム(この船)〉が発信したメッセージに限らず。ぼくたちはこれまでに何度も宇宙に向けて、メッセージを飛ばした。マクスウェルの名前を使ったこともあれば、フランシスの名前や……ウォルターの名前を使ったことも。エディは記名を拒んだがウォルターが勝手に名乗って飛ばしたこともあった。数にして数百に及ぶだろうそれらのメッセージは、通信装置の性能テストやモチベーションを保つためのちょっとした悪戯だっただけでなく、向かう先を選定する意味もあったが、残念なことに何の反応も得られなかった。そこでぼくたちは先人の足跡――かつて母星を旅立った人(ファースト・マン)の航路をなぞることにしたんだ。伝聞。航海記録。録音データ。〈ミグラトリー〉の至るところに点在していたデータをエディが集積し、演算装置に読み込ませると、宇宙に一本の筋が描かれた。
「へえ、これが」とマクスウェルは地図を見て唸った。
線は〈ミグラトリー〉と直近に見える恒星を結んだ線と直角に伸びている。これが、先祖の通るはずだった航路。何らかの事情で旅路は中断を余儀なくされてここにコロニーを築いた彼らは、それをミグラトリー(移住者)と名づけ、自らが何者であったのかを後世に残そうとした。
「準備は万端ってわけだ」
必要なものは全て船に積んである。〈プロテージ〉に名指しさえされていなければ、ぼくたちは数日後には〈ミグラトリー〉を発つつもりだったから。
だけど――。
「なんだよ。お前たち」マクスウェルはぼくたちを見渡す。「暗い顔して」
「まだ行けない」
ぼくがいうと、マクスウェルは語気を強めて返した。「行けないだあ?」
「まだ、だ。出発する。必ず。余計なことには首を突っ込まない。いったことを今更捻じ曲げようなんてつもりはないよ。ただ、助けなきゃならないだろう」
「助けなきゃ? 誰を」
「誰をって。クレアに決まってるだろう」
「あのお嬢様を?」マクスウェルは鼻で笑う。「そんな必要あるのか?」
「彼女だって仲間だ」
「後から、な」マクスウェルは缶詰の中身を一気に平らげて続けた。「あいつは好奇心で首を突っ込んできただけ。船の準備も、旅のプランも全部。全部だ。全部、おれたちがやった。そこに、あのお嬢様は船に乗せろとやってきた」
「それは」とエディ。「ぼくたちの『呼びかけ(ストリート・アート)』に応えたからだろう」
「その『呼びかけ』も、おれは反対だったんだ」
「ウォルターは訴え続けていた」
「船を手に入れるまではな」
「あいつなら、出発するそのときまで一人でも多く連れ出そうとしていたはずだ」
「だとしたら、そのときはおれが止めていたさ」
マクスウェルはフォークの先でぼくを指した。
「いいか、カイル。船を手に入れたあとに集まってくる連中なんていうのはな。退屈な毎日にちょっとした刺激がほしいだけで、何のリスクも背負うつもりはない。そういう奴なんだよ。他人と違うことに挑んでみて、嫌われ者になる覚悟もない。そういう奴さ。こっちがどれだけ苦労したのかも知らずに、美味いところだけ味わうつもりなんだ」
「クレアが知らないってことはないと思うけど」とフランシス。「それに、リスクを背負って来てるじゃない。一生安泰って人生を棄てたんだもの。解かるでしょう? 傍で見ていれば、それくらい」
「〈サークレット〉連中にしてみれば、クレアはアルドリッチ家の令嬢だ。手荒に扱ったりできない」
「だから何の問題もないって?」
「お互い、元の生活に戻るだけさ」
「元? 元の生活って何だ」
視界の隅で、エディが溜め息を吐いているのが見えた。
「カイル。お前の罪悪感は勘違いなんだよ。あのお嬢様にとっては、あそこが居場所だ」
「正しい居場所? それなら、ぼくたちの正しい居場所はどこだ。古臭い路地裏のバーか? 廃棄場の瓦礫の中か?」
マクスウェルは答えない。
「不毛だな」そういって割り込んできたのはエディだ。「この場にいない奴がどんな考えなのかなんてさ。ぼくたちが議論し合ったって正解は誰にも解からないし、それが死人なら尚更だ。どこで決着をつけるつもりだ?」
「お前はどうなんだ」マクスウェルの矛先がエディに向く。
「彼女はこの船のクルーだ」
「お前たちまで、お嬢様の味方かよ。……くそっ! ああ、もう!」マクスウェルは卓上で、空の缶を乱暴に転がした。「どうしちまったんだよ。自分がこの船に乗っている理由、みんなもう忘れたのか? おれたちは、おれたちの時代を作らなきゃならないんだ」
マクスウェルは腰を上げ、深い溜息のあと、ぼくを見た。
「助けられる奴は全員助けたい。ついてくる奴は置き去りにしないか」
艦橋の出入口に向かって歩きながら、マクスウェルは続けた。
「ウォルターを真似たって、お前はウォルターには成れないんだぞ」
ぼくは息をつまらせる。視界の隅のフランシスに気づき、彼女に視線を送ったが、フランシスは肩をすくめるだけだった。
「違う」ぼくはいった。「助けられたんだよ、ぼくは」
出入口の向こうの、通路の陰に消えていく背中に向かってぼくはいう。
「救わなきゃだろう! 助けられたんだから」
しかし、マクスウェルは何もいわず、ぼくの声は空しく萎んだだけだった。
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