49話 野菜嫌いはよくないぞ

「ただいま」


「遅い。早く夕食を作れ!」


 玄関のドアを開けると、まるで僕が帰宅することを分かっていたかのように、仁王立ちした火恋が立っていた。


 火恋はPC用の眼鏡を頭に乗せ、長い後ろ髪はゴムで綺麗にまとめられていた。


「はいはい、分かったから少し待っててくれ」


 まったく、人使いの荒い妹だ。先程の出来事については一旦保留にして、今は夕食を作ることだけに集中する。


「それで、夕食は何を作る気なの?」


「ピーマンの肉詰めだ」


「おーのぅ、ピーマン嫌いなんだけどぉー」


 火恋はため息を吐いてソファへダイブした。そのまま、テーブルの上にあるテレビのリモコンに手を伸ばし、電源を入れた。


『旧冠城製薬で起きた偽造問題から10年が経過したいま、製造の新たなる闇に迫り――』


『日本、そんなところに住んでるの調査団! 今夜訪れる――』


『見てください、この膨らみ! ぱんっ、ぱんっで――』


『次のバスが来るまで1時間。3人はそれまでに、食事処を見つけられますかなぁ?』


 見ていた番組がつまらなかったようで、チャンネルをやたらに変え、最終的に旅バラエティ番組に留まった。


 一方、僕は玉ねぎをみじん切りにしていた。みじん切りにした玉ねぎは電子レンジで3分程温める。その間にピーマンを半分に切って、種を作る。3分経ったら玉ねぎを電子レンジから取り出す。そして、牛乳、卵、挽肉、玉ねぎ、塩コショウを混ぜていく。


 捏ねが終わったら、ピーマンに小麦粉をまぶし、後は肉を詰めて焼くだけだ。


「ピーマンはいらないと思う」


 いつの間にかキッチンに入り込んでいた火恋がぼそりと言った。


「火恋、あまり野菜を食べてないだろう。体に良くないぞ」


「翔和に心配される筋合いはありませーん」


「はいはい。それじゃあ、食器を持って行ってくれ」


「それじゃあって何よ!」


 火恋はそう言って切り返したものの、食器を運んで行ってくれた。


 ピーマンの肉詰めを焼き終え、テーブルに置き、着席。2人で「いただきます」と言って、食事を始める。


「おいこら、ピーマンと肉を切り離すんじゃない。それじゃあ、ピーマンの肉詰めじゃない」


「くぅ~~っ!うるさいわね!食事ぐらい静かにしなさいよ!」


「こっちの台詞だ」


 いつもギャーギャー騒いでいるのは火恋の方だ。僕が一度だって騒いだことなどない。


「あ、そうだ。僕がスーパーに行ってる時に電話掛けただろ。あれ、何だったんだ?」


「……あ、あー、アレね。えーっと、そのぉー、あ、そうだ。わたしが欲しいものもついでに買ってきてもらおうと思って電話したのよ」


「ふーん」


「な、何なのよ! その態度は!」


 火恋は、箸を僕に向ける。


「……助かったんだよ。火恋のお陰で」


「そ、そう。……って、どういうことなのよ?」


「火恋が電話を掛けてきてスーパーに戻れっていうから戻ったら、僕が直前まで立っていた場所に車が突っ込んできて、事故が起きてた」


「ふん、それならわたしに感謝しなさいよ。……ピーマンあげるわ」


「自分で食え」


 ピーマンを掴んだ箸を手で制する。


「それにしても、そんな事故に出会うなんて運がいいのね」


「それについてなんだけど、実は今朝も似たような事故があったんだ」


「へ、へぇー。宝くじでも当たるんじゃないかしら?」


「まさかとは思うけど、僕を殺そうとしている――」


「そ、そんなことあるわけないじゃない!」


 火恋は机を叩いて立ち上がった。


「……たまたまよ。ほら、うーーん。はああーーっ。出たっ! 占いによると、翔和の運勢は生まれてからこれまでにないぐらい強力になっています。宝くじを買うなら今です!」


「おい、どうした……?」


「――ンアァァ!!! ピーマンあげるわよ!ごちそうさまでした!それじゃ!」


 火恋は奇声をあげて、2階へ駆け上がった。


「……なんだ、あいつ」




     *




「速報です。スーパーマーケットの前で交通事故が起きました。交通事故を起こした車は赤信号の交差点を突っ切り、歩行者を撥ねました。この事故で、男性が重傷を負ったものの、命に別状は無いとのことです。警察は、事故を起こした車に運転者が現場に居なかったことからひき逃げ事件とみて捜査をしています」


 夕方のニュース番組は、死者の出なかった速報を伝えていた。それに彼女は苛立ちを覚えた。


 ついに感情を抑えきれなくなり、机に拳をぶつける。


「どうして……ッ!」

 

 彼女の苛立ちの原因は暗殺に失敗したことではない。赤の他人が怪我を負ったことだった。ターゲットを仕留められず、無関係な人に怪我を負わせるのは自身のプライドにかけて許せないことだった。


「すぅー……、ふぅーーー」


 深呼吸をする。こうすることで、気持ちを落ち着かせるのが彼女の癖だ。


 しばらく考えて、上着を脱ぎ始めた。


 夕食をすでに終え、残ったことはシャワーを浴びることぐらいだったのだ。室内に服をばらまくようにして、シャワールームへ向かう。


 蛇口を捻ると高圧のシャワーが全身を包み込んだ。高級ホテルというだけある。


 今日は久しぶりに彼と話すことができた。もちろん彼が気づくことは無い。


 彼のことを思いだし、この手で殺さなくはいけない事情を悔やむ。しかし、引き受けた仕事は最後までやり遂げなくてはいけない。わたしにはお金が必要なのだ。この仕事を止めてしまったら、すべてが終わってしまう。


 排水溝に流れる水が、まるで今の心情を表すかのように渦が巻いている。わたしは本当に彼を殺すべきなのだろうか。


「――助けてよ、翔和」


 わたしは噛み締めるように彼の名前を呼んだ。しかし、その声はシャワーの音にかき消されて、自分でも聞き取ることはできなかった。


 体の芯から温まったのを感じると、シャワーを止めシャワールームを出る。


 髪の水をタオルで軽く拭き取り、タオルを肩にかける。体は濡れたままだったが一切気にせず、ベッドに置いておいた一枚の写真を手に取る。


 幼い頃、彼と一緒に海に遊びに行った時の写真だ。夕日を背景に2人の子供がはしゃいでいた。この写真を撮ったのは彼の母親だったはずだ。


 その写真を眺めていると、無意識に一粒の雫が落ちて来た。


 髪に付いた水滴ではない。――涙だ。


 涙の理由なんて分かっている。


 この写真を見ていたら辛くなるだけだ。もう失敗はしない。今度こそ終わらせる。そう心に決意した。




<あとがき>


 しゃけなべいべー

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