第96話 夜の魔女
「お待ちしていましたよ。アルフレッドさん」
ノエル、マリエッタ王女、ルチ姉、ソフィ、ロベ兄。
みんながそれぞれの役割を担い、それぞれの相手と決着をつけるべく別れ、一人となった俺が辿り着いた広間。そこに待ち構えていたのは、予想した通りの人物だった。
「…………っ!」
どういうつもりか今も尚、学園の制服に身を包んだ悪魔の女。
ここにたどり着くまで。俺はルシルを視界に入れたら、一気に切りかかるつもりだった。何をしてくるか分からない相手だ。弄した策を使われる前に先手を叩き込むつもりだった。
「……おいテメェ。説明しろ」
だが、ここに来るまでに感じていた気配。その根源であろうソレを目にした瞬間に、俺の身体はその場に縫い付けられたように動けなくなった。
「そいつは一体、なんだ」
吸い込まれる夜のような漆黒の球体。
重苦しい鼓動を刻みながら鎮座しているソレは、どす黒い繭を思わせる。
「大切な人ですよ」
「人? 冗談言うな。化け物を育ててるようにしか見えねぇぞ」
「まぁ酷い。言ったじゃないですか。大切な人だって」
表面が泥のようなもので覆われている漆黒の繭をルシルは愛おしそうに撫でる。
「この中に入ってるのは、わたしにとって大切な人。そして……あなたにとっても大切な人なんですよ?」
「…………!」
この悪魔の女は告げている。
繭の中に囚われているのはシャルなのだと。
「…………ああ、そうかよ」
アレが何なのか分からない。だが、根源的恐怖に縫い付けられていた身体はもう万全に動く。体内を駆け巡る怒りが、四肢の戒めを完全に粉砕してくれた。
「だったら話は簡単だ」
ルシル相手に出し惜しみするつもりはない。最初から『アルセーヌ』と『
「さっさとお前をぶっ潰して、その妙な繭もぶっ壊して、シャルを助け出す!」
「その必要はありませんよ」
繭に、亀裂が入る。
「あなたはわたしと戦う必要はない」
亀裂は広がり、漆黒の繭がひび割れ――――
「あなたと戦うのは、わたしではない」
――――爆ぜる。
「あなたと戦うのは、わたしたちのお母様」
舞い散る欠片。崩れ落ちる殻。漆黒の泥の中心から、一人の少女が目を覚ます。
「ひれ伏せ人間。伏して拝み、今こそ万雷の喝采を捧げよ。我らの絶対なる母――――夜の魔女に!」
黒い泥から金色の髪が解かれ、夜色のドレスに身を包んだ肢体が起き上がる。
その瞳からは輝きが失せ、見慣れた貌は別人のように冷たく虚ろな感覚を抱かせる。
まるで別人。異なる誰か。けれど容姿は俺の知る婚約者そのもの。
「シャルじゃない…………」
彼女はシャルだ。少なくとも見た目は、その身体は。紛れもない、俺の知るシャルロット・メルセンヌそのものだ。
だけど違う。物理的な証拠も根拠も挙げることはできないが、俺の心が、本能が、訴えかけている。
「お前は、シャルじゃない……誰だ……!?」
「だから言ったじゃないですか。わたしたちのお母様。夜の魔女だって」
夜の魔女。その名は、この世界における厄災そのもの。今も尚、世界に爪痕を残す呪いそのもの。かつての王族たちが倒したはずの存在であり、のちの王族たちが何代もかけて戦い続けてきた『ラグメント』を生み出した根源。
ルシルは目の前にいる少女を、そうだと言う。
混乱している俺をよそに、ルシルは恭しくシャルへと頭を下げる。
「おはようございます、お母様」
「…………ああ。おはよう、ルシル」
「…………っ!」
違う。
今、ルシルから『夜の魔女』と呼ばれた少女から発せられた声は、間違いなくシャルの声だった。聞き間違えるはずがない。違うはずがない。なのに、違う。こいつはシャルじゃないという事実だけを、より色濃くしていくだけだ。
「いかがですか? 身体の調子は」
「悪くない。いや。悪くないどころか……」
少女は自分の身体の調子を確かめるように手のひらを見つめると、虫を握り潰すような動作で指を畳む。
「素晴らしい。お前が話してくれた通り、良い依り代だ。流石は我が娘。愛しい我が子」
「ふふっ。喜んでくれて何よりです。お母様のために、たくさん頑張りましたから」
「そうだな。お前はこの母のために、よく働いてくれた」
慈愛に満ちた微笑みを零しながら、少女は全てを受け入れるべく、両手を広げる。
「おいで、ルシル」
「……お母様っ!」
そしてその胸の中にルシルは躊躇いなく飛び込み、抱き着いた。少女もまた、懐に我が子を抱きしめる。
「お母様、お母様、お母様っ!
「ああ。これから幾らでもそうするといい。わたしたち家族には、悠久の時間があるのだから」
その声はとても穏やかで、目の前の娘に対する愛に満ちていた。
「そうか……これが『愛』か。そうか。そうか。わたしはもう、目覚めに喜ぶことができる。愚者に怒ることも、喪失に哀しむことも、蹂躙を楽しむことも、奴らを憎むことも、家族を愛することもできるのだな」
「ええ、そうです。お母様はもう人間です。お母様がなりたくてたまらなかった、愚かな人間です」
「これが喜びか。ああ、分かるぞ…………ん?」
ルシルを抱きしめるその少女の視線が、冷たい瞳が、俺の姿を捉えた。
「…………ルシル。あそこにいる人間は、何だ?」
「アルフレッドさんですよ。シャルさんの記憶を覗けばすぐに出てくると思います」
「ああ、確かに出てきた。そうか。この依り代の『婚約者』という存在だったか。そういえばお前が話してくれていたな。すまない。失念していた」
シャルと同じ顔をした少女は抱擁を終えると、俺に向かって微笑みかける。
「――――はじめまして」
「…………っ!」
目の前にいる少女は、シャルと同じ顔で、シャルと同じ声で、「はじめまして」と言った。
何の変哲もないただの挨拶。それが、胃の中に高熱の鉛となって落ちてくる。
「挨拶……は、まずこちらから名乗るのが礼儀だったな? わたしは『夜の魔女』と呼ばれている。お前たち人間がつけてくれた名だ。あまりわたしの知る『名前』らしくはないが、これでも気に入っているぞ」
喋れば喋るほど、言葉を重ねるほど、目の前に居る少女がどんどん『シャル』から遠ざかっていくような気がする。それが怖い。たまらなく、どうしようもなく、怖い。恐ろしい。
「…………ルシルよ。なぜ、アルフレッドは名乗ってくれない? 自己紹介とは互いにするものではなかったか?」
「ふふっ。アルフレッドさんも混乱してるんですよ。だって、自分の婚約者がいきなりお母様に……『夜の魔女』になったんですから」
「なぜ混乱する?」
「だってアルフレッドさんは、シャルさんのことを愛してますから」
「そうか……相手は王族。憎むべき相手ではあるが……今のわたしならば分かるぞ。愛する者を失う哀しみが」
目を伏せ、痛ましいと言わんばかりの顔をしながら、そして俺に哀れみを向けながら、『夜の魔女』を名乗る少女は告げる。
「アルフレッドよ。申し訳ないが、お前の婚約者が帰ってくることはない」
「どういう、意味だ……!」
「言葉通りだ。『シャルロット』という人間は、私が喰らった」
「…………っ!」
「元より私は、喰らう現象。瘴気が動物を喰らい、情報を咀嚼し、咀嚼した情報を基に
喰われた? つまり目の前にいるのは、ただシャルの形をしただけの……瘴気の、塊……?
「ルシルが作ってくれたこの指輪は光を闇に反転させる。お前たちの言葉で言うところの浄化の魔法だ。これによりシャルロットの『第五属性』の魔力を全て瘴気に反転させ、そのまま喰らった。まぁ、その前に心を砕き、抵抗力を失くす必要があるのだがな。……つまり。私がこうなる前から、シャルロットという人間の心は既に砕けていた。だったら別に構わないだろう?」
目の前が真っ暗になった。闇に染まり、足元が消え去ってしまったかのようで。
「わたしも哀しいが、仕方がないことだ。お前の婚約者はもう諦めてくれ」
諦める。諦めるしか、ないのか。
「――――諦めるかよ」
否だ。その選択肢だけは、もう選ばないと決めている。
「方法は分からねぇ。見当もつかねぇ。それでも決めたんだ。シャルと約束したんだ。俺はもう二度と諦めないってな」
振るう刃。その切っ先を、目の前の魔女へと向ける。
「必ずシャルを取り戻す」
「何度も言わせるな、アルフレッド」
漆黒の指輪から溢れだした濃い瘴気が形作った杖を、夜の魔女は掴み取る。
「諦めろ」
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