第85話 おやすみなさい、良い夢を

「空っぽの…………人形……」


 わたしは過去の記憶を失っていると思っていた。


人造人間ホムンクルスを造り出すための技術は、オルケストラでは既に確立された技術でした。ですが王女となる者の肉体は、より高い完成度が求められました。当時の王様は、『娘の肉体を完全に再現し、完璧以上に仕上げること』に重点を置いていたようですから……まぁ、『第五属性』の魔力だけはどうにもならなかったようですけどね。あなたが魔力を使えないのは、そういうことです」


 違う。違っていた。


「しかし、当時のオルケストラの技術を以てしても、王が求める完成度には至らなかった。山のような失敗を重ねた末に、王はこの工房を造ったんです。自分の死後も稼働し続ける、完全に自動化された工房。自動で研究・開発を行い、あらゆるパターンを試し続け、理想の個体を造り出すまで止まらない、機械仕掛けの実験室」


 わたしには何もなかったんだ。


「この工房を稼働させた後、オルケストラはお母様によって滅びの時を迎えた。ですがあなたの父親は国が滅ぼされる間際、最後にこの王宮だけを分離させて地下へと封印し、その後も主なき工房は稼働し続けた。幾千、幾万、幾億。永い永い時間をかけて実験を繰り返し、その果てにようやく、理想の個体を製造することに成功した。それがマキナさん……あなたです」


 最初から、何も……。


「本来であれば記憶の移植インストールも自動で行われるはずだったのですが、お母様の襲撃時に負ったダメージのせいか、それとも無理に分離して封印させた影響ツケがまわってきたのかは定かではありませんが、記憶の移植機能は停止しており、誤作動によってあなたの肉体は地上に排出された……って、聞いてます?」


 何も…………じゃあ……わたしは……。


「あーあ、壊れちゃいましたかね?」


「こわ……れ……る……?」


 なにそれ。その言い方。それじゃあ、まるで、わたしが。


「あ、気になります? 物を扱うみたいな言い方が」


「…………っ!」


「あなたは記憶を入れて王女様を蘇らせるための入れ物。器。そして人形。それ以上でもそれ以下でもない。それがあなたという存在…………だった」


 ルシルは恍惚としながら、蕩けるように笑ってみせた。


嗚呼ああ嗚呼ああ嗚呼ああッ! 素晴らしいじゃないですか! あなたは本来、ただのお人形さんであるはずだった! ですがアルフレッドさんへの愛によって、ただの人形でしかないあなたは、一人の人間となった! あはっ! あはははははははははははははっ! これが愛の力! 愛の奇跡! 嗚呼ああ……やはり愛は素晴らしいっ!」


「一人の……人間……」


 造られた命でしかないわたしが、人間だと。そう思ってもいいのだろうか。

 そう思いたい。縋りたい。だって、そうでも思わなければ、アル様を愛してもいいのか分からなくなる。


「違う……違う! 違う違う違う違う違う! わたしは、普通の人間ですらなかった! こんな……こんな体で、アル様に好きって言えない……! こんな……」


 瞳に映るのは、機械の中に収められている無数の『わたし』。無数の『マキナ』。

 気持ち悪い。見ているだけで吐き気がする。

 でも、こんなにも気持ち悪いものが、『わたし』なのだ。


「こんな……気持ち悪い化け物が……どの口で、好きだなんて……愛してほしいだなんて、言えるの……?」


 言えるわけがない。

 機械で作られただけの肉の塊風情が愛を求めるなんて、分不相応にもほどがある。

 もし、アル様に知られてしまえば……ああ、そうか。わたしは怖いんだ。


 わたしのことを知ったアル様に――――気持ち悪い、って言われることが。


「いいんですよ」


 悪魔ルシルは――――切り裂かれた心の隙間に入り込む。


「愛してほしいと、言っていいんです。それにマキナさんは気持ち悪い化け物なんかじゃありません。愛という名の心を持った立派な人間です。愛を育むことは、人間が持つ特権じゃないですか」


「そんな綺麗事……本当の『マキナ』は……本当の人間だった『マキナ・オルケストラ』は、一人だけ……そこで死んでいる、ただの死体だけでしょ……」


「だったら、あなたが本物の『マキナ・オルケストラ』になればいい」


「わたしが……?」


「ええ。簡単ですよ。自分が人造人間ホムンクルスであることを気にしているのなら、人間の肉体を手に入れればいいんです」


「そんなことができるわけ……」


「『人間としてのマキナ・オルケストラの肉体』なら、あるじゃないですか。そこに」


 ルシルが指したのは、この部屋の中央に置かれている機械の棺。

 その中に眠る、わたしのオリジナル――――本物の『マキナ・オルケストラ』。


「あなたの父親が計画していたことと、逆のことをすればいいんです」


「逆……?」


「あなたの記憶を、あの死体に移植させる」


 どくん、と。心臓の鼓動が大きく跳ね上がった。


「まずはオルケストラの技術を使ってあの死体を万全の状態にします。そのあとに記憶を移植させ、あなたがあの肉体に乗り移り、動かせばいい。これだけで……ほらできた。人造人間ホムンクルスではない。造られた命でもない。正真正銘、紛れもなく――――『人間の肉体を持ったマキナ・オルケストラ』になれる」


「…………」


「これなら……いいんじゃないですか? アルフレッドさんと同じ人間として、堂々と彼を愛することができるのでは?」


 ルシルは、わたしのことを後ろから優しく抱きしめる。蕩けるような慈愛で包み込む。


「…………ほんとうに、いいの? わたしはアル様を……愛しても、いいの?」


「ええ。本当です。いいんです。むしろそうしなければならない――――だって愛があなたをあなたたらしめている。ならば愛を失えば、あなたはただの人形に成り下がってしまう。そんなの悲しいじゃないですか」


「……………………」


 その言葉は、わたしを心の底から安堵させてくれた。わたしの心を救ってくれた。

 蕩けるように甘い毒。全身が蜂蜜に包み込まれ、溺れるような感覚。


「マキナさん。あなたは、愛に生きるべきです」


 やがて闇に沈んだ意識が戻った時、わたしはガーランド領の屋敷に戻っており、浄化作戦の当日を迎えていた。


 その時にはもう――――わたしの心は決まっていた。


     ☆


 わたしは、自分を知った。自分が空っぽの人形であることを知った。

 知ってしまった。

 作り物の命。造り物の存在。普通の人間ですらなかった。


 だから、欲しいと思った。


 人間の肉体。造り物ではない、本当の人間の身体が。


「オルケストラの技術を把握するのに多少、手間取りましたが……こっちの『マキナ・オルケストラ』の肉体は万全の状態に仕上げました。あとはこの抜け殻の死体に、あなたの記憶を移植するだけです」


 棺の中で眠る『マキナ・オルケストラ』。

 彼女の肉体は最初に見た時よりも綺麗になっていて、血色も良くなっている。

 今にも眠りから覚めて、動き出してしまいそうなぐらいに。

 ……そっか。これが、人間なんだ。


「この肉体でなら『第五属性』の魔力も行使できます。あなたがかつて焦がれていた、『第五属性』の魔力。王族たるアルフレッドさんの隣にいるための資格」


 ――――ご安心を。あなたの身には既に『第五属性』の魔力が宿っています。今はただ眠っているに過ぎません。封印されているとも、凍結されているとも言えますがね。


 あの言葉は、そういうことだ。

 わたしの身とはつまり……『マキナ・オルケストラ』の身には既に『第五属性』の魔力がある、ということ。……『わたし』自身にじゃなかった。

 ただ眠っているだけ? 封印されている? 凍結?

 物は言いようだ。つまりそれは、『保存された死体に眠っている』というだけに過ぎない。


 …………もう、どうでもいいけど。


「……どうでもいい。何をすればいいのかだけ教えて」


「これは失礼。では、この中に入ってください、マキナさん」


 ルシルが示したのは、中央のカプセルとケーブルのようなもので繋がった棺のような機会の箱。


「この棺の中に入って、目を閉じる。あなたがするべきことは、それだけです」


「……それだけ?」


「ええ。あなたの身体に備わっている機能には幾つかの封印ロックがかけられています。ですがそれも『騎士』によって解かれ、徐々に身体に馴染んでいるはず」


 現在、部屋の外で待機している『騎士』。

 彼はこの肉体が眠っている間、第三者の干渉によって悪用されないようにするための『鍵』の役割を果たしていたのかもしれない。


「その内の一つが、記憶を移植するための魔力接続路パス。それが繋がった以上、あとはこの装置を使って自動的に記憶の移植インストールを行うだけです」


 ルシルの言葉に嘘はない、と。この『身体』が認識している。

 人造人間ホムンクルス側から遺体への移植インストールは想定していなかったであろうものだけれど、技術的な理屈においては『可能』だということが自然と解った。


 理屈的には可能なら。あとは…………この身を委ねるだけ。


「マキナさん」


 ルシルがわたしを優しく抱きしめ、耳元で囁く。


「目が覚めた時、あなたは晴れて本物の人間です」


 その甘い手つきでアル様からもらったメイド服を解いていく。薄暗い研究室に響く衣擦れの音。全ての衣服が床に落ち、白い肌が露わになる。

 ……同じだ。この肌も、身体も。無数の棺の中で眠る、『わたし』と全く同じ。

 ああ、気持ち悪い。自分のこの身体がたまらなく気持ち悪い。

 わたしはそんな嫌悪感から逃げるように、生まれたままの姿で空の棺に身体を横たわらせた。


「おやすみなさい、マキナさん。良い夢を――――」




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