第84話 『マキナ』

 天に浮かぶ機械仕掛けの王宮。バルコニーから眺める景色からは、青く。蒼く。どこまでも碧く、吸い込まれそうな空が彼方まで広がっていた。

 それはきっと、見る人が見れば胸打たれ心躍るものなのかもしれない。だけど今の私にとっては、色褪せた無機質な景色にしか見えない。

 浴びる風は全身を締め付ける鎖のようで、王宮中に張り巡らされた鉄の不快な匂いが肺に充満する。


「オルケストラ……」


 口にした名は不思議と胸の中にストンと落ちた。どこか懐かしくて、身体に馴染んでいて。

 まるで自分の中に空いていた穴を埋めてくれたような。


「王女殿下。どうかされましたか」


 埃に塗れた部屋の壁際、一人の騎士が待機している。

 メイド服を着た少女と絵本から飛び出してきたような騎士。ヘンな組み合わせだ。


「王女殿下、ね……」


 思わず乾いた笑いが零れる。


「何か?」


「別に。こんな古びた作り物の王宮で、王女と言われている自分があまりにも滑稽で、バカバカしいと思っただけ」


「あなたはオルケストラ王家の血を継ぐ者ですから」


「そんな実感ないけどね。わたしはただ、自分が欲しいもののために、オルケストラってやつを利用したかっただけだし」


「あなたがどのような考えをお持ちであろうとも、自らの使命からは逃れられません」


「使命、か……」


 その言葉は、わたしという存在に大きく紐づいている。わたしという存在は、使命という鎖からは逃れられない。なぜならわたしは、そういう存在だからだ。そういう存在だと、知ってしまったからだ。


「自分を縛る使命という鎖に思い悩んでるようだね」


 学園にいた頃は多くの女子生徒を魅了していた声音が、廃れた部屋に染みわたった。

 影から音もなく姿を現したのはロレッタ・ガーランド。

 今や『六情の子供』の一角にして『喜び』を司る者。

 彼女がこうなっていたと知った時は驚いたが、内心に秘めていた本性を知った時はそれ以上に驚愕した。学園での彼女はルーチェ様同様にファンが多く、人望も厚かった。


「気持ちは分かるよ。私も似たようなものだったから。あぁ、でも私の事情と比べるのは失礼だったかな? あの親だったものは殺せば死んだが、君の場合はどうしようもないから」


 ロレッタの父親。シミオン・ガーランド。

 彼はアル様たちが浄化に向かい、屋敷を発った際の隙を突かれて既にロレッタの手にかかって惨殺されたらしい。

 つまりロレッタは。彼女は既に、自らを縛り付けていた鎖を、自らの手で断ち切ったのだ。およそ考えられる最悪の形で。


「『アレ』を目にした時の君の表情カオ。あぁ……是非ともこの目で見たかった。きっと蜂蜜のように、毒々しいまでに身体を溶かすほどの甘美なる喜びを得られただろうに」


「……はっ。趣味がいいですね。それで? わざわざ自分の歪んだ性癖でも披露しにきたんですか? 『六情の子供』とやらは随分と暇を持て余してるんですね」


「どうやら気分を害してしまったようだね。これは失礼なことをした、王女殿下」


 他人の不幸は蜜の味。そんな言葉があるように、多くの人間は他者の不幸を喜びとする。


「私の用件は……言わなくても分かっているものかと思っていましたよ」


 このロレッタ・ガーランドという少女は、まさに人間が持つ『不幸を喜びとする』性質の化身、権化だと言えるだろう。『夜の魔女』、もしくはルシルが彼女を選んだことは、これ以上なく正しいと言わざるを得ない。夜の魔女は随分と人間が持つ負の側面を熟知している。いっそ、見事だと手放しの称賛を贈りたいほどに。


「君が欲していた物を、手に入れる時がきた」


 ロレッタに誘われるまま、オルケストラの中に蜘蛛のように張り巡らされた通路を進む。

 ……私がこの道を通るのは二度目だ。

 そして、この重厚な鋼鉄の扉を開いた先にあるものを見るのも。


「フフッ……ここに来てから何度か見ているけれど、やっぱりいいね。素晴らしい景色だ」


「………………」


 本当に良い趣味してる。こんなものを素晴らしい景色といえるなんて。


「わたしは吐き気しかしないけど」


 そこは広大な空間の研究室だった。所せましと並べられた魔導機械。

 中央には大仰な棺のようなカプセルが設置されており、それを取り囲むように、似た形状のカプセルが並べられていた。


 ……わたしがこの部屋に来るのは二度目だ。


 一度目は。前回は――――ガーランド領で浄化作戦が始まる前の夜。


     ☆


 ――――マキナさん。私は、アナタの望みを知っています。そしてその望みを叶える方法もね。簡単なことです。


「…………っ……」


 何度も。何度も、ルシルの言葉が頭の中で反響する。止まらない。浅ましい考えが止まらない。ただのメイドのくせに。アル様の視界にも入っていないくせに。


「……っ……ぅ……うぅぅ…………!」


 胸を抑える。苦しい。外傷はないはずなのに、こんなにも心が苦しい。

 そうして、うな垂れながら胸を抑えていると――――


「――――ぁ……」


 この屋敷の屋根の上から、ソレが視界に入った。アル様とシャル様がいる。二人で、手を繋いで。

 月明かりに照らされたキレイな庭の中を歩いていて……それがとても、お似合いに見えて。


「あ、れ…………? おかしい、な……良いことのはずなのに……なんで……」


 胸が苦しくなる。黒くて、嫌なものが溢れてくる。

 ルシルの言葉が何度も何度も何度も――――私の中に響いてきて。頭の中を塗り潰してきて。


「…………消えろ。こんな気持ち、消えろ。消えろ。消えろ……」


 いつもみたいに。いつも通りに。


(わたしは、アル様の隣にいていいの?)


 余計なことを考えるな。


(アル様にこの気持ちを伝えてもいいの?)


 いいわけがない。


(シャル様に嫉妬しなくて済むの?)


 消えろ。消えろ。こんな気持ち、消えろ。消えて、ほしいのに……。


「なんで………………消えてくれないの……?」


 わたしが選ぶ道。

 それはきっと――――影の中にしかない。




「――――消えろ、だなんて。そんな悲しいこと言わないでください」




「…………っ……!」


 親しい友人を慰めるように、私を冷たい手が包み込んだ。

 わざとらしいほど甘ったるい匂い。悪魔の囁きを彷彿とさせる声音。


「ルシ、ル…………」


「いいんです。あなたは、アルフレッドさんを愛してもいいんですよ。人が誰かを愛すること。それはとても素晴らしいことなのですから」


 ルシルの手が私の身体に絡みつく。狡猾な蛇。鈍色に輝く鎖。


「なに、しに……きたの……」


「マキナさんを慰めに。そして、知るべきことを知らせるために」


 白々しいまでの嘘。何か他に目的があるのは明白だ。


「返事は……浄化が終わった後、なんでしょ」


「ええ。返事をきくことはしません。……ただ、あなたにはまだ知るべきことがある。それを知らないまま決断するのは、フェアじゃないですから」


 公平フェアを語るのか。その口で。


「知るべき……こと……?」


「ええ。あなたのルーツ。あなたの真実。あなたがどういう存在かを知ることができるもの。とても素敵なオモチャ箱」


「そんなもの…………」


「過去に興味はあっても執着はない――――でしたっけ? ええ、承知しています。ですが今は違うのでは? 自分の中に王家の血が流れていると知った、今では」


「…………っ……」


「あなたも知りたいはずです。本当に自分の中に王家の血が流れているのか。だってそれは、あなたの愛にもかかわることだから」


 わたしは彼女を拒めない。藻掻くことさえできない。


「一緒に来てくれますよね? マキナさん」


 そしてわたしは、悪魔の手をとり。


 夜に屋敷を抜け出して、土地神のいるあの遺跡へと連れてこられた。


 瘴気に汚染された土地神をよそに、遺跡の内部に隠されていた地下への通路を潜り抜けたその先にあったのは――――土の中に埋まった機械仕掛けの王宮。


「これって……」


「『オルケストラ』。古の魔導技術大国であり、お母様に歯向かった愚者の国であり、今や滅びを迎え歴史からも消えてしまった国」


「………………っ…………!」


 オルケストラ。その名前に、自分の奥深くにある何かが刺激される。

 知っている。私はオルケストラという名前を…………知っている……。


「現在は封印されており、動かすことはできませんが……まぁ、本当に見せたいものはこれじゃありません」


 私は地下で眠る機械仕掛けの王宮の中へと入っていく。

 ルシルの後を追うまでもなく、私の身体は自然とこの廃れたガラクタの王宮に惹かれていた。


「……このスクラップを、わたしに動かせってこと? そのためにそっちに寝返れって?」


「これを飛ばすこと自体はあなたがいなくても行えます。ただ……私たちに必要な機能を使うには、あなたが持つ王女としての権限が必要なんです。その権限を使うためには、あなたに『マキナ・オルケストラ王女』になってもらわなければならない」


 マキナ・オルケストラ王女。


「……はっ」


 似合わない。わたしが王女だなんて。

 そう感じる一方で、どことなくその名前がしっくりときている自分もいる。


「じゃあ、わたしがあんたの誘いを断ったら、計画はご破算ってわけだ」


「断りませんよ。たとえ愚かな選択だと分かっていても、あなたは私の誘いを断らない」


 立ち止まったルシルは振り向く。


「だって――――愛は人を狂わせる」


 そのカオには、仄暗く妖しい笑みが貼りつけられていた。


「人は愛ゆえに変わり、愛ゆえに愚者となる。愛こそが人間が持つ最大の力であり、人が持つ脆弱性。現にこうして、あなたはアルフレッドさんの愛ゆえに愚者として踊っている……ああ、ついでに教えておきましょうか」


 わたしがその気になれば一瞬で首を刎ねることができる距離で、ルシルはなおも笑みを絶やさない。


「『六情の子供』……お母様より選ばれた子供たちの中で、『愛』を司る私こそが最強の存在です」


「…………!」


 ルシルは暗にこう言ってるのだ。

 仮にここで気が変わってわたしが戦いを挑んだところで、わたしではルシルを殺せない。むしろ殺されるのはわたしの方なのだと。


「……ま、その件について、今はどうでもいいんです。それよりもマキナさんのことが大切ですよね」


 開け放たれた重厚な鉄の扉。ルシルは「どうぞ」と中に入るように促し、私の足は自然と部屋の中へ入っていく。


「ここは、ついさっき発見したばかりなんですけどね。その時に思ったんです。『ああ、これは早くマキナさんに見てもらわないと!』って」


 そこは広大な空間の研究室だった。所せましと並べられた魔導機械。

 中央には大仰な棺のようなカプセルが設置されており、それを取り囲むように、似た形状のカプセルが並べられていた。


「なに…………これ……」


 わたしの記憶は今もなお真っ白だ。何もない純白。

 だけど不思議と、わたしの身体はこの場所に馴染んでいた。

 お母さんのおなかの中ってこんな感じなのかな、とか。そんな感想がぼんやりと浮かぶ程度には。


「そのカプセルの中を覗いてみてください。面白いものが見れますよ?」


「…………」


 ふらふらと、覚束ない足取りで棺を思わせる中央のカプセルへと近づき、その中を覗き込む。カプセルの表面にある透明なガラスの向こう側には、一人の女の子が眠っていた。


「――――――――えっ…………?」


 瞼を閉じて、物語の中に出てくるお姫様のように眠っているのは……わたしと同じ顔をした少女。


 紛れもない。見間違えようもない――――マキナという名の少女。


「なん、で…………? なんで……顔……わたし……同じ、顔…………」


 思わず後ずさる。だけど、そのまま倒れることすら許されなかった。

 背後にいたルシルがわたしの身体を優しく、だけど逃げられないように掴み、支えて。

 顔を逸らすことなんてできなくて。させてもらえなくて。


「ほら、あそこにも」


「ぁ…………?」


 ルシルが何らかの操作をして魔力が供給されたのか、部屋を埋め尽くす無数のカプセルが一斉に淡い光を帯び、中に何が収められているのかがはっきりと目に映った。


「あ……あ……ぁ、あぁ……………」


 全てのカプセルの中には、静かに眠る少女が収められていた。


 名前は分かる。知っている。あれは、『マキナ』という少女だ。


 どれも。これも。全て。全部。どのカプセルにも。いるのは全て……マキナ。


 マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。マキナ。


 ――――無数の、わたし。


「わ、わた、し……なんで…………こんなに……わたしのかお、ぜんぶ……なんでっ……!」


 わからない。わからない。なんで。どうして。気持ち悪い。

 同じ顔。気持ち悪い。わたし。わたし。わたし……!


「うっ…………! ぉえっ…………!」


 こみあげてくる吐き気が止まらなかった。

 身体が折れ曲がり、研究室の冷たい床に跪いて、胃の中のものが逆流してくるのをなんとか押し留める。


 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。


 まったく同じ顔が。一分の乱れもない顔が。工業製品みたいに大量生産された、均一な品質で収められている自分が、気持ち悪い……!


情報データ上では知ってたんですけど、実際に目にすると壮観ですねぇ」


「なに……これ…………どういう、こと……?」


「あれ? 過去に興味はあっても執着はないんじゃなかったんですか?」


「…………っ……おね……がい…………教えて…………おねがい……!」


 わたしは地べたに這いつくばったまま、まともに立ち上がることもできない身体を無理やりにでも動かして、必死にルシルに縋りついていた。


「『わたし』は…………『なに』?」


「安心してください。あなたは……唯一の完成品ですから」


「そうじゃ、なくて…………」


 その『唯一の完成品』という言葉の意味を考えたくもない。


「あなたはマキナ。マキナ・オルケストラ王女です」


「うそ……うそだ……わたし、わたしは……!」


「嘘じゃありませんよ――――ただ、本物じゃないだけで」


 本物じゃない。その言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。それと同時に、それが真実であると、この身体が認めてしまっていることにも。


「少し、昔話をしましょうか」


 わたしの動揺なんてお見通しなのだろう。そうと知って、ルシルはわざともったいぶったように話し始めた。


「むかしむかし、オルケストラという王国がありました。世界最先端の魔導技術によって廻るその王国は、まさに楽園と呼ぶべき栄華を誇っていました。ですがある日、ある時。『夜の魔女』と呼ばれる脅威が世界を襲います。……そこで、美しくも勇敢なオルケストラの王女様が立ち上がりました。英雄たちと共に『夜の魔女』へと立ち向かい、懸命に戦いました。ですが他の英雄たちを護るために自ら盾となり、犠牲となり、あっけなく死んでしまったのです」


 絵本を読み聞かせるような語り口。

 その慈愛に満ちた姿がいっそ不気味で、恐ろしかった。


「残された王様は嘆き悲しみました。いかにオルケストラの技術と言えども、死者を蘇らせることはできません。……ですが、それでも。王国一の研究者でもあった王様は決して諦めず、研究をつづけました。全ては愛する娘のために。そして、彼はついに娘を救う方法を発見します。その方法とは――――」


 わざとらしく一拍置いたルシルは、口の端を歪める。


本物むすめそっくりの人造人間ホムンクルスを造り出し、そこに娘の記憶を移植してしまうというものでした」


「――――――――――――――――」


 頭の中が真っ白になった。


 否定したかった。だけど、この身体が認めてしまっている。

 ルシルの発した言葉が事実であるということを。


「そこの真ん中の棺に収まっているのが、本物のマキナ・オルケストラ。そしてあなたは――――この部屋にある無数の失敗作の果てに生み出された、唯一の成功例にして完成品。あなたには記憶がない? そんなの当たり前ですよ。だってあなたは、記憶を移植されるために生まれた…………空っぽのお人形さんですから」




――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(本編はこんな感じですが)


「悪役王子の英雄譚」書籍版第2巻、発売中です!


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