第82話 逢瀬
「にぃに。はい、あーん」
「あ、あーん……」
されるがままに口を開け、ソフィからもたらされるフワフワとしたスポンジと生クリームといちごの甘い一口を享受する。
「おいしい?」
「……あ、あぁ。美味しいぞ」
「よかった。じゃあ次、チョコレートのやつ。あーんして」
「あ、あーん……」
留学から戻ってきたソフィと再会してから、数十分後。
俺はなぜか二人きりになったソフィからケーキを食べさせてもらっていた。
「…………♪」
困惑する俺をよそに、ソフィ本人はとても満足そうにしている。
かわいい妹が満足ならそれでいいのだが。
「あの、ソフィ? 今、どういう状況か分かってるか?」
「もちろん」
「…………じゃあ、念のため兄ちゃんに説明してもらえるか」
「にぃにのお嫁さん同士の、デート三番勝負」
「……………………ごめん。ちょっと頭の中で情報を処理する時間をくれないか」
頭の中で整理するには情報が大きすぎる。
(たしかあの後……)
お嫁さんだの二番だの三番だのとやり取りがあって、ソフィがデートに行こうとか言い出して、最後にシャルまでもが巻き込まれて微妙に方向性のズレたことを言ったところまでは覚えている。
問題はその後だ。
「では、わたくしたちで順番にアルフレッド様とデートをするのはいかがでしょう?」
という、マリエッタ王女のありがた迷惑な提案によってあの場は鎮圧され、まずはソフィとデートをするという流れになったのだ。ちなみに、俺本人の意志は一切考慮されなかった。
……で、その一番手がソフィであり、俺はこうして妹にひたすらケーキを口に突っ込まれているというわけだ。
「にぃに……♪」
ソフィは俺の口にケーキを突っ込んでいく行為に飽きたのか、するすると猫のように俺の膝の上に乗ると、満足そうに顔を綻ばせる。
「懐かしいな……留学前もこうして、ソフィと一緒に遊んでたっけ」
「うん。留学してる間、おはようからおやすみまで、二十四時間三百六十五日、常々日頃からずっとにぃにのことを考えてた……」
「もう少し他のことも考えような?」
兄としては嬉しいが、もっと別のことに時間を使ってほしい。
(時間、か……)
こうしている間にもあの機械仕掛けの王宮は空に君臨している。
俺の手の届かない場所で。マキナという、俺の大切な部下を奪ったまま。
「大丈夫だよ、にぃに」
「えっ?」
「『オルケストラ』に行くための手段はあるから」
俺の考えなどお見通しとでも言わんばかりのソフィに、思わず目を丸くしてしまう。
「留学先で設計した魔導飛行船があるの。既に全てのパーツを形成して、ここに運んできてる。あとは組み立てるだけ。……ただ、魔導飛行船を動かすには地脈から高密度の魔力を吸い上げて結晶体に加工したものを使う必要がある。それらの作業が完了するまで、待っててほしい」
魔導飛行船。そんなものを既に完成させていたのか。
恐らくまだ騒ぎになっていないということは、秘匿されている情報なのだろう。
これが世に出れば、また大きな話題となるだろう。ソフィの名も一段と轟くに違いない。
「だから、大丈夫だよ」
「ありがとな。心配してくれて」
他の兄や姉たち譲りのプラチナブロンドの髪で彩られた頭を優しく撫でると、ソフィは気持ちよさそうに目を細めた。
「……報告書を読んだ時から、にぃにはきっと心配してると思ったから……マキナちゃんのこと」
「そういえばお前、マキナと仲が良かったもんな」
「うん……将来は二番目のお嫁さんにしてあげてもいいと思ってたのに……」
「それは一旦置いておこう」
というかそんな前から考えてたのか。いや、嬉しいけどね? こんな天使の如き愛らしさを誇る自慢の妹から慕われているのは。
「…………向こうに行っちゃったのは、ちょっとショック」
「マキナは…………悪いやつに騙されてるだけだ」
ルシルは人の心を弄ぶ手段を得意としている。
レオ兄だって、元から俺たち家族への嫉妬やコンプレックスといった負の感情を大きく抱いていたけれど、ルシルがその部分を利用したということも事実だ。
「何が『六情の子供』だ……ふざけやがって」
今回のマキナもきっとそうだ。誰にだってある心の闇。弱み。そこを突かれてしまった。それを責めようとは思わないし、思えない。思うことなんてできない。
「……マキナちゃんが裏切ったとは思ってないよ。ただ、きっと。限界がきちゃったんだと思う」
「限界?」
「自分の気持ちとか、抑え込んでいたものとか……いろいろ」
いろいろか。思えばマキナとはずっと一緒にいたけれど、俺はあいつのことをちゃんと理解していたのだろうか。きっと、できていなかったんだろうな。だからこうなった。ルシルに唆される隙を生み出してしまった。
「…………にぃに。マキナちゃんは、わたしが連れ戻してあげるから」
「ありがとな、ソフィ」
きっとソフィなりに俺を元気づけようとしてくれているんだ。このデート三番勝負なんていう企画だって、その一環なのだろう。気遣いが嬉しくて、自然と手が妹の小さな頭を撫でていた。
「…………♪」
膝の上で気持ちよさそうに目を細めるソフィ。こうしているとまるで猫みたいな愛らしさがあるな。
「ところで、にぃに」
「ん?」
「……わたしに黙って婚約者を作るなんて、浮気だよ」
「………………………………………………………………」
どうしよう。ツッコミどころがありすぎて頭が痛くなってきた。
☆
ソフィはひとしきり満足した……ようでもなさそうだったが、そろそろ時間だということでルチ姉の見舞いをしに行った。どちらかというとそっちを先に済ませておくべきなのではと思ったが、「ルーチェ姉さまに不用意に近づくと……
あれだけの大怪我を負ってたのにも関わらず途中までロレッタと戦っていたぐらいだから、隙を見てキッチンに立っていてもおかしくはない。
されど、それでもソフィからすれば姉であり、大切な家族の一人。
見舞いに行かないという選択肢はなかったようだ。
俺もまだ目が覚めてからルチ姉に顔を出していない。一緒に見舞いについていこうと思ったのだが、
「あら。どちらに行かれますの? アルフレッド様。次は、わたくしと逢瀬を楽しむ番だったはずですが」
「えっ」
なぜか笑顔で待ち構えていたマリエッタ王女に、彼女が使用している客室まで連行されてしまった。そのまま流れるように、さも当然とでも言うかのように、俺の隣にすとんと座る。あまりにも自然な所作であったがために、反応すらできなかった。
「あー……マリエッタ王女? これは一体……」
「デート。してくださるのでしょう?」
どことなく艶やかさを感じる瞳。その視線が俺の頬をなぞる。
「いや、それはソフィが俺を元気づけようとしてくれてただけで……」
「わたくしだって、アルフレッド様を元気づけてさしあげたいという気持ちはございますのよ?」
「そ、そりゃあどうも……」
兄のノエルが他者を全く寄せ付けない冷たき氷に閉じこもっていたとすれば、妹のマリエッタ王女は逆にこちらを氷で固めようとしているかのようだ。
「…………これでもわたくし、感謝してますのよ」
「感謝?」
マリエッタ王女個人に感謝されるようなことをした覚えが特に思い当たらない。
「婚約者を失ったことで、兄は元の氷の人形になってしまった……いえ。周囲の心を踏み躙るだけの復讐者となってしまいました。きっと、兄はいつか取り返しのつかない過ちを犯していたことでしょう。復讐という大義名分でも許されない大きな過ちを……ですがあなたが止めてくれた。あなたが兄を引き戻してくれた。それがわたくしにとって、どれだけ嬉しいことだったか……」
「なんだ。案外ブラコンなんだな」
「ええ。実はそうですの。……本人にはナイショですわよ?」
ウインクしながら、白く繊細な人差し指を唇に当てるマリエッタ王女。
優雅で苛烈なだけではなく、茶目っ気を持ち合わせているのも彼女の魅力なのだろうか。
「俺は別に大したことはしてねぇよ。ノエルが立ち直ることができたのは、アイツ自身の力だ」
「ふふっ。ご謙遜なさらずに。あなたの力が大きかったことは間違いありませんわ」
「なんでそう言い切れる?」
「分かりますわ。あれだけ砕けた兄を見れば。……兄はこの地で、気の許せる友人を見つけたようですわね」
マリエッタ王女は、昔を懐かしむように微笑む。『雪国の妖精』と讃えられたその微笑は、なるほど確かに。人の心を奪うにたる魅力を持っていた。
「……友人か。そうだったら、嬉しいけどな」
思えば同い年の友達なんてもんとは縁がなかったからな。
なにせレイユエール王国が誇る『悪役王子』様だったわけだから、俺に近づくようなやつなんて学園にはほとんどいなかった。
「それにしても焦ったぜ。最初はソフィのデートなんてもんを本気にしてるかと思ったからな。お礼を言いたいだけなら、こんなまどろっこしいことしなくても、普通に言ってくれれば……」
「本気にしていますわよ?」
「…………は?」
「時に、アルフレッド様。いつから
「まるで俺が普段から
「違うのですか?」
「いや、当たってるけど……別に遊んでるわけじゃないぞ。基本的には情報収集が目的だ」
「ですが……息抜きも、されているのでしょう?」
「…………否定はしない」
「やっぱり」
「なんでそんな嬉しそうに笑ってるんだよ」
「いえ。こちらの事情ですから、お気になさらず」
なんだ。この感覚。別に疚しいこととか、隠し事なんて一切ないのに、こっちが徐々に包囲されているような……追い詰められているような。
「幼い頃から認識阻害魔法を使って、国が許可を出している
「お前なんでそんなこと知ってるんだ!?」
「わたくし、記憶力と観察力には少しばかり自信がありますの」
「き、記憶力と観察力……?」
「たとえば、そうですわね――――幼い頃、わたくしに悪い遊びを教えてくださった男の子の一挙一動、声すらも全て記憶し、観察相手の現在の動きと脳内で照らし合わせることも、できてしまいますの」
「お、おぉ……そりゃ……すごいな?」
どこの誰だか知らないが、こんな愛らしい『雪国の妖精』を
「……………………とぼけているわけではなさそうですわね」
マリエッタ王女はなぜか不服そうに頬を膨らませると、その硝子細工のように繊細でしなやかな身体を寄せ、しなだれかかってくる。
「ねぇ。アルフレッド様?」
「な、なんだよ……」
「賭けをしませんか?」
「は?」
彼女はイヴェルペ王国の金貨を取り出すと、それを慣れた手つきで指の中で弄ぶ。
「コインを弾いて、表か裏かを当てるだけの簡単な賭けです」
「…………俺が勝ったら?」
「わたくしが、『なんでも』言うことをきいてさしあげます。『なんでも』、です」
なぜか二回も『なんでも』という言葉と自らの豊かなで柔らかそうな胸を強調するマリエッタ王女は、するりと俺の腕に絡みつく。
思わず後ずさろうとしても、ここはソファの端っこだ。腕も抑えられており、完全に逃げ場がないことに遅まきながら気づいた。
「ち、ちなみに、なんだが……負けた場合は?」
「その場合、わたくしの言うことをきいてもらいます。そうですわね。具体的には――――」
マリエッタ王女の瞳が徐々に近づいてくる。今にも吐息がかかりそうな距離。彼女はその距離を楽しむようにゆっくりと耳元まで口を近づけると、甘く囁いた。
「二番目でも三番目でも構いません。わたくしを、あなたの妻にしてください」
「はぁ!?」
「仮にあなたが王になったとして、必要でしょう? 『第五属性』の力を持った子を産む妻は。『ラグメント』に対抗する時代の力を残し、繋げることは王の責務。複数人の妻など珍しくもありません。むしろイヴェルペ王国では持つべきとされてますし、実際わたくしには三人の母がおりますもの。……ああ、ご安心ください。王になれなかったからといって手放すつもりはありませんから」
「待て。ちょっと待て。色々展開が早すぎて頭が追い付かねぇ!」
「わたくしとしては再会を果たした後、もう少し時間をかけてお互いの距離を詰めるつもりだったのですが、どうやら素敵な婚約者がいらっしゃるようですし……これはもう、なりふり構っていられないと思いましたの。端的に言えば、焦っています。いっそ今から既成事実でも作ってしまいますか?」
「きせいじじつ」
「はい。既成事実です」
マリエッタ王女の視線が一瞬だけ、部屋の隅にあるベッドに向いたのは気のせいだと思いたい。
「わたくしとて、『第五属性』の魔力を持った王族です。あなたの妻として収まる資格も身分も不足ないかと。既成事実を作ったところで、大して問題ではありません」
「あるだろ! 色々あるだろ、問題は!」
「そうでしょうか? まあ、それは作ってから考えればよいことです」
「アバウトすぎる!」
マジだ。このお姫様、目がマジだ……!
「ふふっ。なるほど……アルフレッド様は、不慣れですのね」
「……何がだよ」
「人から好意を向けられることに」
「んなっ!?」
図星だった。そもそも俺は生まれながらにして他者から好かれるような要素などなかった。なにせ呪われた魔力の持ち主だ。それを利用して『悪役』として生きてきたのだから、当然と言えば当然なのだが、明確に『好意』と言われてしまって、怯んだ。
「わたくしでよろしければ、いくらでも好意を向けてさしあげますわ。不慣れだというのなら、わたくしで練習なさってください」
「練習って……そんな冗談めかしたもんに付き合ってたまるかっ」
「でしたら、わたくしの気持ちがどれだけ真剣か……試してみます?」
答えるよりも先に、金貨が指で弾かれた。
表と裏に何度も回転しながら、イヴェルペ王国の金貨が高く高く舞い上がる。
「表」
「う、裏っ」
しまった。マリエッタ王女につられて反射的に口走って……!
「では、そういうことで」
金貨が床に落ちるよりも先に、今にも鼻歌をうたいそうなほど機嫌よくしてみせたマリエッタ王女は俺に全身の体重を預けながら、軽やかに胸元のリボンを解いてみせた。まるで金貨がどちらに落ちるか最初から分かっているように。
「『では』じゃねぇ!? おまっ……なんで服を脱ごうとしてんだ!?」
大胆に押し付けられた二つの大きな膨らみに、甘い花のような香りが一気に頭の中を染める。
「あらあら。このわたくしが、自分で弾いたコインの
「イカサマかよ!」
「テクニックと呼んでくださいな」
なんだこの
「ふふふ……わたくしもはじめてですので、どうぞお手柔らかに」
金貨よりも速くリボンが力なく床に落ち、雪のように白い素肌と共に胸元が大きく露出して――――
「す、すとっぷ! すとっぷです――――!」
勢いよく扉が開け放たれると同時に、顔を真っ赤にしたシャルが部屋に乱入してきた。
床に落ちようとしていた金貨は偶然にもシャルの足に蹴飛ばされ、部屋の隅に転がっていく。
「な、ななななな何をされているんですかマリエッタ王女!?」
「ご機嫌よう、シャルロット様。見ての通り逢瀬を楽しんでおります」
「お、おお逢瀬って……! ふ、服っ! 服を脱いで何を……!」
「服を脱ぎ去った男女が肌を重ね合う行為など……限られていますでしょう?」
「~~~~~~~~っ!」
マリエッタ王女は大胆に服をはだけさせたまま、美しい指で俺の胸板をなぞってくる。
それを見てシャルは更に顔を真っ赤にして、頭をくらくらとさせていた。
「ふふっ。わたくしは別に構いませんよ? シャルロット様が一緒でも。自分の立場は弁えておりますので」
「い、いっしょ……」
なにを想像したのかは定かではないがシャルの視線は部屋のベッドに注がれ、顔はもうトマトよりも真っ赤になってしまっている。爆発してしまわないかちょっと心配になってきた。
(ま、まずい……このままだとまずい! 色々と……! 何か、何とかする手は……!)
さながら戦場の窮地を打破せんとする戦士のように周囲を観察していると、部屋の片隅で転がっている金貨に気づいた。
「う、裏! 裏だ!」
見えた一筋の光明。部屋に転がっている金貨は、マリエッタ王女が賭けた『表』ではなく、『裏』になっていた。
「か、賭けは俺の勝ちだ!」
恐らくシャルが部屋に乱入してきた拍子に蹴飛ばされた金貨が、裏から表に変わったのだろう。
「あら。とても残念ですわ」
マリエッタ王女は本当に残念そうにしながら離れてくれた。
あ、危なかった……色々と。そう、色々と……!
「あ、アルくんっ! いきますよっ!」
「お、おぉっ!」
正気に戻ったシャルは心なしか強く俺の腕を掴んで、部屋から引きずり出していく。
「……ふふっ。アルフレッド様、いつでもお待ちしておりますわよ」
「えっ?」
「わたくしは、賭けに勝ったあなたのために『なんでも』いたしますわ。してほしいことがあるのなら、『なんでも』申し上げてくださいね?」
やたらと『なんでも』と強調し続けるマリエッタ王女の言葉が、強く耳に残った。
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