第71話 ネネルの選択

 ――――『混沌指輪カオスリング』。


 レオ兄から奪った『王衣指輪クロスリング』をもとに、恐らくルシルたちが独自に創り上げた高位の魔指輪リング


 黒き毛皮のような衣をまとい、グリフォンの翼を有したネネルの姿は、俺たちがまとう『霊装衣』と酷似している。ただの劣化コピーならよかったのだろうが……そうもいかなさそうだ。


「最後にもう一度だけ警告してあげる」


 ネネルの身体から放出される瘴気から、村を襲った時に見たような黒狼が次々と生まれていく。見た目は似ているが、秘められている力は恐らく段違いだろう。


「退く気はないの?」


「巻いて逃げ出すための尻尾はねぇな」


「……そうなんだ。じゃあ――――ぶっ倒す!」


 主たるネネルの合図に従い、黒狼の群れが一斉に襲い掛かる。

 速い。やはり予想通り『ラグメント』とはレベルが違う。

 されど――――倒せないほどじゃない。

 魔力弾の雨を浴びせ片っ端から潰し、舶刀カットラスで手近な獣を薙ぎ払う。

 殺到した黒狼の群れは、瞬く間に魔力の塵となって消滅した。


「お前の本気はこの程度か」


「そんなわけないでしょ!」


 また次の黒狼が現れる。どうやら使い手のネネルが健在である限り、幾らでも生み出せるようだ。

 同じように飛び掛かってきた黒狼に銃口を向け、魔力の弾丸を浴び褪せてやるが、


「無駄だよ!」


 叩き込んでやったはずの魔力の弾丸は、黒狼の中に吸収され、獣たちの膂力が向上する。

 先ほどよりも一段と速いスピードで振るわれる爪牙をいなしつつ、舶刀カットラスで切り払っていく。


「…………! こいつら、魔力を吸収……いや、喰らってるのか!」


 どうやらこの黒狼一匹一匹は魔力を喰らい、喰らった魔力を己の強化に費やせるらしい。しかもそれを何体でも生み出せるときた。


「これがあたしの本気。この力で『土地神』を殺してやるんだ!」


 叫びが木霊し、更なる漆黒の狼が顕現する。それら全てが原典魔法を有した個体。


「もう邪魔しないで! あたしに道を譲れ!」


「譲れねぇな!」


 舶刀カットラスで切り払うが、それだけでは足りない。更に『火炎鎖縛バインド』による鎖を展開。鞭のようにしならせ、片っ端から狼共を叩き落す。


「魔力を喰らう力は確かに強力だが、実体化したものなら吸収はできないらしいな!」


「そんな……⁉」


「デカい力を手に入れて調子に乗ってるからこんなミスを犯すんだ。悪戯してた頃のお前の方が、よっぽど手ごわかったぞ」


「違う! もうあの頃のあたしじゃない!」


 ネネルの両手に瘴気を纏うかぎ爪が形成され、黒狼の群れを率いながら距離を詰めてくる。

 脚力も大幅に強化されているようで、オレとネネルの間は瞬きの内にゼロとなった。


「あの頃のあたしは弱かった! ただ奪われることしか出来なくて、お父さんとお母さんの仇なんか討てなかった! だけど今のあたしなら……!」


「弱くなったな、ネネル」


「…………っ……!? なに、を……!」


「弱くなったなって言ってんだよ!」


 ネネルは歯を食いしばり、荒々しい獣となるがまま両手の爪を振るう。


「何を根拠に!」


「そんな迷ってばっかの攻撃が俺に通じるわけねーだろ!」


「……ち、違う! 迷ってなんかない! どんな手を使ってでも、何を犠牲にしてでも『土地神』を殺す! それがあたしの選択だ! あたし自身が決めた道だ!」


 その動きは激情に身を委ね、明らかに精彩を欠いている。

 確かに出力パワーはあるが、いなすのは容易い。


「あたしの選択を受け止めてくれるって言ったのはアルフレッドでしょ⁉ だから選んだのに! お父さんとお母さんを殺した『土地神』が憎いから、復讐するって決めたのに! どうして邪魔するの⁉」


 振るわれる爪とぶつかる刃越しに、ネネルの慟哭が伝わってくる。


「復讐するのがそんなにもいけないことなの⁉」


「復讐自体を否定する気はねぇよ。お前の心が本当に復讐を望むなら、それは仕方がない」


「だったら!」


「お前の心は、本当に復讐を望んでいるのか?」


「…………っ! 望んでる!」


「嘘だな」


「嘘じゃない!」


「だったらなぜ『土地神』を殺さない」


「それをあんたが邪魔をして……!」


「その力なら、数で押し切って『土地神』に攻撃を仕掛けることも出来たんじゃないのか」


 ネネルが使用している『黒狼群マルコシアス』という魔指輪リング

 見たところ悪魔の分身たる黒狼の群れを大量に展開することが出来る力だ。数に物を言わせれば、強引に『土地神』に爪牙を振るうことだって叶うだろう。しかしネネルは先ほどから、俺が捌ける程度の数しか出していない。


「俺ならもっと徹底的にやる。……ノエルだって本気だった。やり方は間違ってたにしろ、あいつの剣からは本気の気持ちが伝わってきた。迷いなんてどこにもなかった。けどお前からは、迷いしか感じねぇ。何もかもが中途半端なんだよ」


「うるさい……! あたしだって本気だ!」


 襲い来る黒狼の群れ。ネネルの攻撃をいなして銃撃でけん制しつつ、舶刀カットラスで切り裂き、足で蹴飛ばしていく。


「迷ってなんかいない! 迷ってなんか……!」


「だったらやれよ」


 魔指輪リングを一つ投げてやると、ネネルは反射的にそれをキャッチする。

 渡した魔指輪リングは――――『昇華リミテイジング』。


「これ、って…………」


「それを使って強化すれば、一撃で俺ごと『土地神』を殺せるはずだ」


「…………っ……⁉」


 ネネルの瞳が揺れる。俺が渡した『昇華リミテイジング』の魔指輪リングを握りしめる。


「……その魔法ならお前がどんな決断を下したとしても、その背中を押してくれる」


「あたしの……決断……」


「もう中途半端はやめろ。自分に嘘をつくな。言っただろ、お前がどうすればいいかなんて、お前にしか分からない。それはお前自身で決めなきゃいけないことだ。じゃないと一生後悔するってな」


 ネネルはまだ迷っている。迷っているから、攻撃だって中途半端になる。


「俺はお前の保護者だ。お前が自分の心に従って選んだ答えなら全力で受け止めてやる。たとえそれが……どんな答えでも」


「…………っ……『リミテイ……ジング』……」


 ネネルの周囲から膨大な量の魔力が泥のように溢れ、俺や『土地神』の周りを埋め尽くしていく。

 泥からは漆黒の獣が次々と形を成し、軍団となって包囲する。先ほどまでとは明らかに数が違う。

 更にここから『昇華リミテイジング』で強化すれば、俺一人ではとうてい攻撃を捌ききれない。


「…………あぁっ……」


 黒狼たちからの全身から炎が漲る。やがて炎は球体状となり、魔力が極限まで高められたことを告げていた。一斉に放てば、一撃で『土地神』諸共に俺を消し炭に出来るだけの威力があるだろう。


「あぁぁぁああああああああああああああっ!」


 絶叫。咆哮。迫り来る夥しい火球の群れ。視界を埋め尽くすほどの灼熱。

 鋭き閃光は爪牙のようで、熱が突き刺さり肌を焦がす――――。


「――――……っ…………」


 明滅する輝きが失せた時。辺りに残るのは静寂と、焦げ付いた石の匂い。

 此処には灰となった血肉など一つとして存在せず、周囲の地面と背後の壁に焼け付く暴威の痕が刻まれたのみ。

 無論――――俺も、『土地神』も、共に健在。傷一つ、火傷一つない。

 これは偶然か。それとも神が気を利かせて起こした奇跡か。

 否。そのどちらも否だ。偶然だとか奇跡だとか、そんな無粋なものじゃない。

 これは人の意志が起こした必然だ。ただ、術者本人たるネネルが自らの意志で起こしたものだ。


「――――………………なんで、避けなかったの」


「……さぁ。なんでだろうな」


「死んでたかもしれない」


「でも生きてる」


「あたしが殺してたかもしれないのに」


「でも、お前は生かしてくれた」


「なんで…………殺そうとしたはずなのに……許せない、はずだったのに…………」


 ネネルは膝を突き、灼熱を纏う黒狼たちが消えていく。


「なんで……!」


「…………魔法を動かすのは何か、知ってるか」


「えっ……?」


「『魔指輪リング』が行ってくれるのはあくまでも『魔法の発動』だけだ。その先の制御は、自分の意志で行う必要がある」


 最後の火球は一つたりとも俺にも『土地神』にも当たらなかった。

 術者の意志が働いて、自ら軌道を変えた。だから今、生きている。


「お前の意志で制御される魔法は、俺とお前の両親の仇を生かしてくれた。殺すことも出来たのに殺さなかった。……つまり、そういうことだろ」


「…………っ……!」


 俺とこうして戦っている時からネネルは迷っていた。


「……………………本当に、殺すつもりだった。『土地神』がお父さんとお母さんを殺したって聞いた時……殺してやりたかった。そのつもりだった。でも……怖くなった」


 本来なら迷う必要などないのだ。仇がいるなら殺せばいい。何も迷わず考えず。


「モーガンおじさんを見て……怖くなったの。復讐ばかりにこだわってたら、あたしもあんな風になるのかなって……怪物みたいになっちゃうのかなって……お父さんとお母さんのこと、忘れちゃうのかなって……」


 モーガンは復讐に己を捧げた。力を手に入れ、いつの間にか大切にしていたはずの家族のことすら忘れてしまった。力に溺れ、力に拘泥する怪物と化してしまった。


「……お父さんとお母さんが死んでからあたしは独りだった。でも、アルフレッドたちが助けてくれた。あたしに復讐以外の選択肢をくれた。……明日のこと。未来のことを、考えるようになって……明日が待ち遠しくなって。……『土地神』を殺したら、それが無くなっちゃう気がして……怖くなった」


 迷っている時点で――――こいつの答えは出ていたんだ。


「……それじゃダメだって思った。そんなこと考えたら、お父さんとお母さんも喜ばないって……だから、ルシルさんから力をもらった。でも……敵討ちより……みんなと過ごす毎日や、明日の方が、ずっとずっと大切になってた……」


 ネネルの心はもう選んでいた。

 復讐という過去ではなく、明日という未来を。


「ねぇ…………お父さんとお母さんは……許してくれるかな? 仇もとらないで、あたしだけ明日を生きること……許して、くれるかな……?」


「……死んだ人間のことは俺には分からねぇよ。どんな理由があろうと、お前の両親はお前と過ごす未来を奪われた。だから『土地神』を恨んでるかもしれない」


「……………………」


「けど……お前が前を向いて、明日を過ごしていく道を選んでくれたことは、喜んでくれると思う。少なくとも俺は勝手にそう思ってる」


 死人が何を考えてるのかなんて、知る術はない。

 だから選んでいくしかないんだ。何を思っているのか。考えていたのか。

 自分で決めて、それを勝手に信じるぐらいしか、生きてる人間の出来ることはない。


「…………うん。あたしも、お父さんとお母さんがどう考えてるのかは分からないけど……そう思うことにする」


 少女が下した選択に呼応するように、『混沌指輪カオスリング』の霊装衣が解けた。


「…………」


 ネネルはゆっくりと『土地神』のもとへと歩み寄り、俺の隣で共に神々しき存在を見上げた。


「…………あなたのことは許せない。一生、許さない」


「――――――――」


 俺の背後にいるその神々しき存在は沈黙を守っている。

 瘴気を纏うネネルは『土地神』にとっても敵対すべき存在であり、その身が宿す聖なる力を行使することも可能だっただろう。しかし、『土地神』は沈黙していた。灼熱の業火に身を晒すことになっても、俺と共にネネルの選択を見守っていた。


「この恨みと憎しみは消えないかもしれない。でも――――」


 少女の笑顔は柔らかく。染まる闇はそこにはなく。


「――――これからは未来を見て生きていく。前を向いて、明日を精一杯生きて、幸せになって……あんたに罪悪感を与えてやるんだ。それが……あたしなりの復讐」


 それは宣言。未来への希望と、胸に抱き続けるであろう憎しみを兼ね備えた者の。


「――――――――」


 音色とも称すべき美しい咆哮が辺りに響く。『土地神』は輝き、放たれる清浄の光が優しくネネルを包み込んだ。


「あ……………………」


 ネネルの全身から瘴気が抜けていく。夜の魔女によって与えられた闇の力が失せていく。

 広域にわたって大地から闇を祓う浄化の力をネネル個人に集中させたものだろう。


「これって……」


「……『土地神こいつ』なりの償い、なのかもな」


「そっか…………ありがと」


 仇を前にしたネネルの顔は、とても穏やかだった。


「あーあ。これは予想外でしたねぇ」


 甘ったるい声が、穏やかな空気を引き裂いた。

 悠然たる歩みでこちらに近づいてくるシルエットが、輝きのもと晒される。


「ルシル……!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る