第29話 忠告
魔導技術研究所。
文字通りレイユエール王国を支える魔導技術を研究・開発するための機関である。近年におけるレイユエール王国の発展も、この魔導技術研究所の力が大きい。
フィルガ・ドマティスの母は、研究所所長という役職に就いており、姉もまた研究者として日夜王国の発展の為に尽力している。当然のことながらフィルガも研究者としての将来を期待されていたが――――残念なことに、彼にその才能はなかった。
研究よりも体を動かすことの方が性に合っていたし、そちらの方の才能には長けていた。同時に、ドマティス家にとって異端であることも理解していた。
母や姉のように研究者としての道を志していた時もあった。しかし、そのような環境で過ごしているからこそ、自分の才能の無さを理解するのも早かった。
「ごめんね、フィルガ」
母が謝るのは、フィルガに対してだけだった。
「どうしても今日じゃないと出来ない実験があるの」
「でも、今日は俺の誕生日で……」
「本当にごめんね……代わりに、なんでも好きなものを買ってあげるから」
そんなもの要らない。
「ああ、もうこんな時間……行かなきゃ」
傍に居てほしい。
「じゃあね、フィルガ。もう実験の時間だから……」
そんなのどうだっていい。
「…………いってらっしゃい」
研究とか、実験とか、どうでもいい。どうだっていい。そう叫ぶことが出来ない程度には、フィルガも聞き分けは良かった。
そんなにも研究が大事なのだろうか。実験とやらが大切なのだろうか。
理解出来ない。家族のことが。理解したいのに、理解出来ない。
分からない。何度も分かろうとしたが、やっぱり分からなかった。
――――俺は違う。母さんとも。姉さんとも。
分かることのできないフィルガの方が、やはりドマティス家にとっては異物だと思うようになった。
――――この家の中で俺だけが違う。
自然と家族のことも避けるようになり、逃げるように鍛錬に明け暮れた。
――――俺だけが……要らない
レオルやドルドとつるむようになってからはその寂しさも少しは紛れるようになったが、それでもやはり家族と顔を合わす機会は減っていった。
「無理に分かろうとしなくても、いいんじゃないかな」
ルシルと出会ったのは、そんな時だ。
「わたしだって家族のことは好きだけど、好きなものや趣味だってバラバラだもん。全部が分かるわけじゃないし、合わないことは合わないし」
――――ああ。ここだ。
「無理に自分を曲げる必要はないよ」
――――ここが俺の居場所だったんだ。
「フィルガくんのそういう真っすぐなところ、とっても素敵だと思うな」
ルシルはまるで陽だまりのような女の子だった。
温かくて、心地良くて。家族の中では異物でしかない自分を受け入れてくれる。
故に。あの温もりを穢す者だけは捨て置けない。
そんなものは全て、総て、凡て。
――――俺がぶっ潰してやる。
☆
「何の用だアルフレッド。何をしに来たんだ、テメェは」
敵意を隠さぬフィルガの言葉。対して、
「身内びいき」
アルフレッドは悪びれもせず、言い切った。
「ここは訓練場だぜ」
「貴様のような鍛錬もろくに積まない怠け者には過ぎた場所だ」
「ほォ。じゃあテメェらには相応しい場所だってのか。ハッ。訓練場ってのは、随分と懐が広いらしい」
アルフレッドは露骨な嘲笑を浮かべる。挑発だということはフィルガにも分かり、挑発されているという事実にまた苛立ちを覚える。
「なんだテメェ……挑発のつもりか?」
拳を握ったフィルガを、ドルドが制する。
「アルフレッド。先ほどの口ぶりだと、貴様が訓練相手になってくれるということか?」
「ああ。言ったろ、『遊んでやる』ってな」
「フン……『遊び』か。いかにも軽薄な第三王子らしいセリフだな。訓練を遊びだとでも思っているのか?」
「テメェら如きじゃ俺の訓練相手にならねぇって言ってんだよ」
露骨な挑発と分かっていても、さしものドルドも苛立ちの方が勝っているらしい。
「面白れぇ。だったら望み通り遊んでやろうじゃねぇか」
ドルドはもう止めなかった。訓練場を使ったアルフレッドとの模擬戦が始まり、自然と周囲は騎士たちのギャラリーで囲まれることになる。
「ちょうどいい。レオルにぶっ潰される前に、オレの手で叩きのめしてやりたいと思ってたトコだ」
噂によると一部の若い騎士たちの間でアルフレッドを再評価する流れがあるという。
そんなものは幻想だと言うことを知らしめ、この男は自分よりもか弱い女の子を虐めることしか出来ない卑怯な人間であると周囲に教えてやるまたとない機会だ。
これだけのギャラリーの前で完膚なきまでに膝を折ってやれば、流されそうになっている若い騎士たちも目を覚ますに違いない。
「ほら、こいよ。先手は譲ってやるぜ?」
アルフレッドは両手に訓練用の木剣を握りしめて佇んでいる。
あの卑怯で卑劣な小心者のことだ。こちらが挑発に乗ってくることは計算外だったのだろう。こうして模擬戦を行うことになって内心では冷や汗を流しながら恐怖しているに違いない。
「……やっぱいいや」
言って、アルフレッドは両手の木剣を手放した。
「剣は要らねー。
「……何のつもりだテメェ」
「対等な条件で戦って、後で難癖をつけられても困るしな。それに……」
理性を総動員させて必死に抑え込んでいるフィルガに、アルフレッドは明確に『格下』を見下すかのように言ってみせる。
「……手加減された相手に叩きのめされたお前の
不遜な物言いに怒りが煮え滾る。それを知ってか知らずか、涼し気な顔でアルフレッドは更に告げる。
「格下相手に先手も大人げねぇからな。お前から来い、三流小僧」
「言ったなテメェッ!!」
訓練場の地面を蹴り、矢の如く身体を疾駆させる。
上段からの一撃。振り下ろした木剣の狙いは肩。
「――――!?」
肺から空気がごっそりと抜け落ちた。
(なに、が……?)
何が起きたのか分からなかった。肩に叩き込まれるはずの一撃は届くことはなく。腹部から痛みが走っていることぐらいしか、分からず。
「真面目にやれよ」
アルフレッドの呆れたようなため息。拳が腹に叩き込まれたことを、遅れて理解する。
「か、はっ……! テメェ……!?」
「ああ、真面目にやってたのか。そりゃ悪かった。まさか鍛錬不足の怠け者の攻撃が、こうも容易く当たるとは思わなくてな」
視界がぐらつく。かろうじて立っていられるが、それだけだ。
(速い……何も、見えなかった……? 俺が……? アイツの攻撃を……? ありえねぇ……魔法を……何か、魔法を使ったに決まってる……!)
必死にアルフレッドの手に視線を巡らせるが、指には何もつけてはいない。
だとすればこれが彼の実力だとでも言うのだろうか。
(違う……違う!!)
そんなはずはない。彼はか弱いルシルを虐げるような卑怯者なのだから。
(そうだ……魔道具……魔道具を服の下に仕込んでいるに決まっている……!)
「面倒だな」
呼吸を整え、少しずつ痛みが和らいできた頃。
アルフレッドは言葉通り、心底面倒だとでも言わんばかりに息を吐く。
「つまらねぇから、二人まとめてかかってこい」
アルフレッドの不遜な物言いに、ドルドが怒りを露わにする。
「……なんだと? 貴様、僕たちを侮辱しているのか!」
「侮辱、ねぇ……」
アルフレッドの眼が細くなり、いっそ冷酷に、冷たさを表に滲ませる。
「それはお前らの得意技だろ? 特に反撃してこない女の子を数で囲って侮辱するのが、随分とお得意のようだが」
「……シャルロットのことを言っているのか? ハッ。アレは侮辱などではない。ただ事実を突き付けてやっているだけだ」
「当然の報いだろ……あんな卑怯な女……! テメェも同罪だ!」
ルシルという太陽を穢す卑怯者に向けて、燃え滾る正義の怒りをぶつける。
だがアルフレッドは対照的に冷たい目を向け続けていた。
「……何か勘違いしてないか?」
「勘違い? だと?」
「お前らはいつから、
第三王子。レイユエール王国の王族。
それがアルフレッドの持つ肩書きであり、それを改めて突き付けられ――フィルガとドルドの身体が硬直した。
「それともお前らバカ二人は、王族よりも偉いってのか? そりゃ初耳だな」
「いや……それ、は…………」
「確かに俺は第三王子だ。第一位のレオ兄や第二位のロベ兄に比べて劣ってはいるが……『レイユエール』の名を使うことが出来る。その気になれば、お前らを国外追放処分にすることだってな」
「…………!」
「……まあ、俺のことはいいよ。今まで自分がやってきたことの報いだし。幾らでも言ってもいい」
けど、と。アルフレッドの声が冷たさを帯びる。
「シャルのことは別だ。アイツは今、お前ら如きに構ってる暇はねぇんだよ。次に邪魔したら牢屋にぶち込むぞ」
忘れていた。いや、油断していたのかもしれない。
今までのアルフレッドは権威を振りかざすような行為を見せなかった。だからこそ、内心では慢心していたのかもしれない。アイツは何もできないと、決めつけていたのかもしれない……されど、今となっては違う。
「そんな……そんな脅しで、僕たちが屈すると思ったか! それとも、服の下に隠してある魔道具の細工がバレると恐れているのか!?」
「は? んなこと疑ってたのかよ」
アルフレッドは心底呆れたようなため息をついた後――――上半身の服を乱雑に脱ぎ捨てた。
「「「――――っ……」」」
その場にいた騎士たちが、声を詰まらせる。
脱ぎ捨てられた服の下から現れたのは、鍛錬によって鍛え上げられた肉体。そして、完全に癒えることなく残る傷跡。明らかに戦闘……実戦でついたものと一目で分かるほどの。それも一つや二つでは済まないほどに。
「アルフレッド様の身体は……」
「ああ……見りゃ分かる。あれは相当……」
「……先ほどの動きも見事だった。眼では追いきれぬほどに」
「もしや本当に、魔道具の小細工など使っていないのでは……?」
周囲の騎士たちと同じように、思わずフィルガとドルドも気圧される。あれほど厳しく自分を追い込んで鍛えているのか。実戦で刃を振るったのか。自問するが、肯定が返ってくることはなかった。
「これで文句ないか?」
「…………ッ……! ハッタリだ! そんなもの!」
「あっそ。そう思うんならさっさと来い。二人まとめてな」
「ほざくなよ!」
「もはや魔道具の小細工もない貴様に、何が出来る!」
「だから使ってねぇって。そんなの」
相手の望み通りドルドと共に飛び掛かる。
二人で一心不乱に剣を振るうが、そのどれもがアルフレッドを捉えられない。
――――遊ばれている。
その事実に焦りと苛立ちが募り、より激しく剣を振るっていくが、
「うおっ……!?」
足払いで足元を崩された。そのまま転びゆくフィルガの頭を、アルフレッドが掴み――そのまま地面に叩きつけた。
「ごはっ……!?」
「フィルガ! 貴様ぁー!」
ドルドが激高して襲い掛かるが、
「ほら、パスだ」
アルフレッドは足元で転がっているフィルガを蹴り飛ばし、ドルドのもとへと吹き飛ばす。
「ぐっ……!?」
飛ばされてきたフィルガの身体を受け止めた隙間に、アルフレッドは一気に距離を詰め――――ドルドの顔を殴り飛ばした。
「がっ……はぁ……!?」
そのまま無様に転がるしか術はなく、二人まとめて挑んだにも関わらず手も足も出ない。
「こいつは忠告だ」
アルフレッドは淡々と冷淡に、地面に転がるドルドとフィルガを見下ろしている。
「俺はこの国のことなんざ、どうでもいい。お前らだってどうでもいい。……けど、俺の身内に手ぇ出してみろ」
それは、身体から動く気力を根こそぎ奪われたような錯覚を覚えるほど。
「……次は容赦しねぇぞ」
「「――――っ……!」」
アルフレッドの殺意すら籠った冷徹な瞳に、フィルガとドルドは完全に気圧されてしまった。
騎士たちがギャラリーとして見ている最中。二人は、二対一という圧倒的優位を持ちながら……完膚なきまでに叩きのめされたのだ。
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