第26話 言葉にする気持ち【★改稿済】
「御前試合まで、残り数日しかなくなっちゃいましたねぇ……」
マキナは珍しくぼんやりとした様子で、窓の外に降りしきる雨を眺めていた。
「どうした。お前にしては珍しくシケた面して」
「もしもの時のことを考えて夜逃げの準備してるんですけど、これがまた大変で。間に合うかなぁと心配してるわけですよ」
夜逃げか。確かに、俺がレオ兄に負けた場合はマキナたち『影』の面々がどういった扱いを受けるかは分からない。
「まあ、備えておくことに越したことはないが……いざって時は、メルセンヌ公爵やエヴラールたちの力を借りてお前らとシャルだけは守ってもらうようにしとくよ。気休めでしかないが、そんなに暗いツラばっか見せんな。お前らしくもない」
「…………」
「…………今度はなんだ。じっとこっちを見て」
今のマキナの顔は、まさに『きょとん』という擬音が聞こえてきそうな表情をしている。
話が噛み合っていないような、そんな気配をそこはかとなく感じるぞ。
「いえ。わたしが言った『夜逃げ』っていうのは、いざって時にアル様を連れて逃げる話だったんですが」
「…………は?」
「『は?』はこっちのセリフですよ。まったくもう、自分は関係ありませんみたいなツラしちゃって。はー、やれやれ。ご主人様がこんなだとメイドも苦労するというものですね」
呆れた、とでも言わんばかりに首を左右に振るマキナ。
「なんだお前。俺が追放された後もついてくる気か?」
「お忘れかもしれませんが、わたしはアル様に買い取られた、アル様の所有物ですからね。国外だろうと世界の果てだろうと、貴方が行く先についていきますよ」
「……王宮の時みたいな優雅な暮らしは期待できないぞ」
「あはっ。わたしにそれを言います? むしろアル様の方が心配ですよ。王宮暮らしのお坊ちゃんにはきついですよ〜?」
「ぬかせ」
……当然のようについてきてくれるのかよ。
まったく、本当にバカなメイドだ。賢い選択が出来るはずなのに、それを簡単に捨てちまいやがる。
「あっ! 今ちょっと嬉しくなったでしょ! 可愛くて健気で可愛いメイドの忠誠心にグッときたでしょ! アル様ったら素直じゃないですね〜」
「やかましい! つーか、自分で可愛いって二回も言うな!」
「だってわたし、可愛いですから。ぶいっ!」
なまじ否定できないだけにタチが悪い。
マキナの容姿は実際に目を惹くし、その美貌はどこかの貴族か一国の姫君かと言われても違和感がないほどだ。
つまるところ、この話を続けても俺の敗北は目に見えている。ここは話題を逸らして戦略的撤退といこう。
「と、ところで、シャルはどうした?」
「わー。露骨な話題逸らしだー」
勝ち誇ったような顔すんな。
「シャル様なら、エリーヌさんのところに顔を出してるみたいですよ。『影』の護衛をつけてますからご心配なく」
「またエリーヌのところか。飽きないな、あいつも」
「もしかして拗ねてらっしゃいます? エリーヌさんが来てから、前よりも自分のところに来てくれる頻度が減ったもんだから。アル様、かーわいー♪」
「そんなんじゃねぇ! ただちょっと気になっただけだ!」
「素直に寂しいと仰ればいいのに。シャル様と違って、相変わらず自分の心を素直に口に出すのが苦手な方ですねー。そんなんだからレオ様とこじれちゃうんですよ」
マキナの手厳しい指摘に、俺は思わず目を逸らした。
意識的にそうしたのではなく、ほぼ反射的に。無意識のうちに。
「…………俺にあんな芸当はできん」
あの時……エリーヌが自分の過去を語り、俺たちを拒絶した時。
俺は諦めていた。これはもう無理だと。だけどシャルは違った。たとえそれが脊髄反射の行動だったとしても、自分の心を素直にぶつけた。だからこそエリーヌの心を掴んだのだろう。
「できますよ」
だけどマキナは、そんな俺の諦めを切り捨てた。
「アル様にならできます。たとえ今は無理でも……いつか、きっと」
「…………根拠は」
「ありません。ただ、わたしとシャル様が信じてるだけです」
「…………卑怯な手口を覚えやがって」
お前らが信じてくれてる以上、頑張らないわけにはいかないだろうが。
「ふふん。頭脳派メイドとお呼びください」
「呼ばねーよ」
自分の心を素直に、か……。
今はこうして、レオ兄と戦うことになってしまったけれど。昔はそうじゃなかった。
いつからだろう。あまり言葉を交わさなくなったのは。
レオ兄の……家族の役に立つと決めてから、俺はずっと影から動くばかりで。
面と向かって、素直な気持ちをぶつけたことなんて、一度もなかったのかもしれない。
「さっそく、素直な気持ちを口にする訓練がてらシャル様の様子でも見に行きましょうか」
「訓練ってなんだ訓練って」
「こうでもしないと、自分からシャル様に会いに行かないでしょう? むしろアル様は自分から動かなさすぎです。婚約者という立場に甘えてたら、いつかシャル様に愛想つかされちゃいますよ?」
「ぐっ……」
……言われてみれば自分からシャルのもとを訪ねたことは少ないな。
いつもシャルの方から会いに行きてくれていたし。
「本当は毎日いつでも会いたいくせに」
「い、いつでもってわけじゃない!」
「毎日は本当なんだ」
……しまった。
「そういうの、本人に言ってあげなきゃダメですよ。婚約者としてするべき努力をしてくださいな」
今回ばかりはマキナの方が正しい。
婚約者という立場にかまけてするべき努力を放棄していたと指摘されても文句は言えない。
「……そうだな。今回ばかりはお前の言う通りだ。たまにはこっちから会いに行こう」
とはいえ婚約者に会いにいくというのに手ぶらというのはどうなんだろう。
「手土産とか持っていくか」
「あっ、いいですねー。ポイント高いですよそれ。何持っていくんです?」
「…………花束、とか」
「…………アル様ってたまに可愛いこと言いますよねぇ」
「どういう意味だよ!?」
「いやー、今の照れ顔、シャル様に見せてあげたかったです。次はご本人の前でやってあげてくださいね」
「やらん!!」
手土産を持っていくのは次の機会にして、ひとまずシャルに会いに行くべく俺たちはエリーヌの部屋へと向かった。
「シャルなら居ないよ」
「ありゃ。そうなんですか。どこに行ったかご存知です?」
「厨房」
「なんでそんなところに……」
「あんたの為に決まってるだろう。クソガキ王子」
「俺の?」
「御前試合が近いせいかね。あの子も色々と悩んでたのさ。あんたの世話になるばかりじゃなくて、少しは婚約者らしいことをしないと愛想を尽かされちまうってね。そんでたまたまそこにいたバカ弟子が『まずは胃袋を掴めばいい』とかテキトーなアドバイスをしたんだよ」
「ははあ。それで厨房に」
思わずマキナと顔を見合わせ、苦笑する。どうやら同じようなことを考えていたらしい。
「息がぴったりでよろしいことじゃないですか」
「うるせー。ただの偶然だろ」
「で、どうします? 会いに行きます?」
「…………行く。なんか今は、会いたい気分だ」
素直の気持ちを言葉にすると、自然と体が動いた。
足取りは軽く、厨房までの道のりもどこか胸が弾んで。
「……あ」
辿り着いた厨房で、その背中が見えた。
長い金色の髪を後ろで束ね、エプロンを身につけている。
そんな俺の視線に気づいたのだろう。シャルはこちらへと振り向いて。
「あ、アルくん?」
「……よ、よう」
「えっと……どうしてここに?」
「エリーヌに話を聞いてな」
「そ、そうですか……あはは。恥ずかしいです。変ですよね。公爵家の令嬢が、料理だなんて」
「まあ、一般的じゃないことは確かだが……でもルチ姉だって料理するし。それに……」
……素直に、言葉にする。
「……俺は嬉しいよ」
もうちょっと洒落た言い回しが出来ないものか。
「……シャルの作ってくれた料理も、食べてみたいって思ったし」
……ダメだ。今はこれが俺の限界。
「……本当ですか?」
「嘘ついたって仕方がないだろ」
「そ、そうですよねっ」
ああ、もうっ。何で俺はこんな言い方しか出来ないんだ。
……隣ではマキナが「やればできるじゃないですか」とか、「もうちょい優しく言ってあげなきゃダメですよ。減点です」とでも言いたげな顔をしているのが複雑だ。
「あの、じゃあ……ちょっと待っててもらってもいいですか? 何か、作りますから。あ、ここを使ってもいいという料理長の許可は降りてますので、ご心配なく」
「……分かった。待ってる」
「はい。待っててください」
そうして、シャルは包丁を手にしながら俺に背を向けて料理を始めた。
息を吐く。緊張感で体に力が入っていたらしい。だけど悪くない。どこか心地よさすらある。
「……アル様にしては上出来です」
「……そりゃどうも」
シャルの背中を見守りつつ、小声で言葉を交わす。
「……ありがとな。マキナ」
「ほぇ?」
「いや……お前にはよく助けられてるな、と改めて思ってな。だから、お礼ぐらい言っとこうかと」
これを言うのは恥ずかしい。でも、こればかりはきっと言わないと伝わらない。
「……お前がいてくれてよかったよ」
「――――っ……」
マキナは珍しく言葉を返してはくれなかったけど。
でもたぶん……微笑んでいた、と思う。
「えへへ……嬉しい、です」
「……そりゃよかった」
「その調子で、シャル様のことも褒めてあげてくださいね。アル様の素直な気持ちで……あ、そろそろ料理がはじまるみたいですよ」
照れ隠しであろうその言葉にあえて乗っかり、厨房に立つ婚約者の背中へと視線を向ける。シャルは手にした包丁を掲げると――――
(――――掲げる……?)
その違和感を抱いた直後。
「えいっ!」
――――ドゴッ!! ヒュンッ!! ザクッ!!
……頬のすぐ横を、折れた包丁の刃が駆け抜け、壁に突き刺さった。
「………………」
「ご、ごめんなさいアルくん! 包丁の刃が折れてしまったみたいです!」
「あ……いや。大丈夫。そっか。包丁が折れたのか。なら……仕方がないよな。ははは」
「すみません……」
「き、気にしないでくれ。誰にだってミスはあるし、料理をしてれば包丁が折れることぐらいあるって」
「は、はいっ。がんばりますねっ!」
ぐっ、と拳に力を入れて、シャルは新しい包丁を探し始める。
「……料理をしてれば包丁が折れて、その刃が壁に突き刺さることがあるんですか?」
「……あったんだから仕方がないだろ」
「……あったんで仕方がないですね」
ひとまず、俺たちは引き続きシャルの料理を見守ることに。
「たぁっ!」
――――ザンッ!! ブワッ!! カカカッ!!
「シャル様が包丁で放った斬撃の余波で、近くに置かれていたアイスピックが吹き飛んで壁に突き刺さりましたねぇ……」
「シャルが包丁で放った斬撃の余波で、近くに置かれていたアイスピックが吹き飛んで壁に突き刺さったなぁ……」
しかもまた俺の頬を掠めたんだが。
「あのー……シャル様。何を作ってらっしゃるんですか?」
「え? 見ての通り、サンドイッチですけど」
「「見ての通りサンドイッチ!?」」
「本当はもっとちゃんとした料理が作れればよかったんですけど……私はあまり器用ではなくて。すみません」
「……シャル。ちなみに、今まで料理をしたことは?」
「前に一度だけありますよ。でもそれっきり、屋敷の料理長が私を厨房には入れてくれなくなってしまって……公爵令嬢が料理をするなどとんでもないと」
(……アル様。もしかしてシャル様は……ものすごく、不器用なのでは?)
(不器用っていう次元かこれ!? シャルが行動を起こすたびに
(因果にすら干渉する超次元的な不器用、ということなんでしょうね……ところでアル様。わたし、ちょっと急用を思い出しました)
(おい待て逃げるな! 頼むから俺を一人にしないでくれ!)
(アル様。わたしだって命は惜しいんです)
(俺だって惜しいわ!!)
そうこうしている間にもシャルの料理は進み、同時に厨房内に死の嵐が吹き荒れる。だがどういうわけか奇跡的に俺とマキナには当たらない。むしろ下手に動けば命がないぐらいだ。
(この
(同感だ)
(とゆーわけでアル様、お願いします)
(俺かよ!?)
(元はといえばアル様のことを想って料理してるんですから)
(くっ……! 正論を……!)
(ささ、これも訓練だと思って。素直な気持ちを言葉に出しましょう)
仕方がない。マキナの言うことは正しい。俺が責任をもって鎮めねばなるまい。
「私、以前から料理には興味があったんです。だから……ふふっ。ここでこうして、厨房に立って料理できることが嬉しくて」
「「……………………」」
天使のような笑みっていうのは、今のシャルのことを言うんだろうなぁ……。
(ダメだ……俺には……できない……!)
(できますよ。アル様にならできます。たとえ今は無理でも……いつか、きっと)
(やかましいわ!!!)
嬉しそうに料理をするシャルに水を刺してやることは出来ず、結局俺たちは
「できましたっ!」
ニコニコとした笑顔を浮かべながらシャルは完成したサンドイッチを俺たちに振舞ってくれた。あれほどまでに激しい(オブラートに包んだ表現)料理だったというのに、皿の上に盛り付けられたサンドイッチは綺麗に整えられている。なにこれ。魔法?
(…………問題はここからですよアル様)
(…………ああ。俺たちの本当の戦いはこれからだ)
お出しされたサンドイッチ。見た目は綺麗だが、問題は中身。つまりは味だ。
(あの
(生き抜くのに必死で具体的にどう料理したまでかは見れなかったからな……最悪、ルチ姉パターンということも……)
第一王女であるルチ姉は困ったことに料理が趣味だったりする。しかし、その手によって生み出されるのはドラゴンですら二秒で息の根が止まる殺人料理だ。
とはいえ、シャルがせっかく作ってくれた料理を食べないわけにもいかない。
(……アル様。貴方との日々は、わたしにとって宝物でした)
(過去形にすんな!!)
しかもそれどう考えても看取る時のセリフじゃねーか!
「アルくん……?」
い、いかん! そろそろ食べず眺めているには不自然になってきた……!
やるしか……ないっ……!
「あ……ありがと、なっ……!」
手を伸ばす。死が間近なものとなって迫り、必然的に体が恐怖に震えはじめた。だが俺は、背後から迫り来る死を振り切って、サンドイッチを口に運ぶ。
(うぉおおおおおおおおおお――――!!!)
………………………………っ……!
「あれ!? 美味いっ!!」
サンドイッチというシンプルな料理であるはずなのに、これは……美味いぞ!?
パンに塗られているバターと、ジューシーな肉の旨味が絶妙に溶け合い、レタスやトマトがそれを引き立てている。こんなにも美味いサンドイッチ、食べたことがない……!
「あっ、本当だ。おいしい……」
マキナも実際に口に運んでみたらしく、驚きのあまり目を見開いている。
夢中になって食べるあまり、あっという間に皿の上から料理は消え去ってしまった。
「美味かった……」
「よかったです。アルくんに喜んでもらえて」
「いやー、本当にすごいですよ。シャル様、本当に料理はこれで二回目なんですか?」
「はい。実はたくさん勉強して屋敷の料理長と一緒に新しいメニューを開発したり、考案してたんですよ。実作業の方は触らせてもらえなかったんですけど、おかげで知識だけは自信があります」
(なるほど。確かに実作業さえさせなければ完璧だ)
(お屋敷の料理長も苦労したんでしょうねぇ……)
(一歩間違えれば被害甚大の
さて。問題は今後どうするかだが……。
「あのっ、アルくん。これからも、たまにでいいので……料理を作らせてもらえませんか?」
(…………どうするんです?)
(どうするもこうするも…………素直に言うしか、ないだろ……)
流石にこれを繰り返していては命がいくつあっても足りない。
今日はたまたま死神の鎌をかわせたというだけで、今後も同じようにできるという保証はないのだから。
「料理を作って、大切な人たちに喜んでもらうことがこんなにも嬉しいんですね……不思議と身体中が温かくなって、ドキドキが止まりません」
そりゃあんなにも激しく動けば身体も温まるし、ドキドキも止まらないだろう。
……それにしても、めちゃくちゃ良い笑顔だなぁ。
(……よし)
素直な気持ちを、言葉にして伝えるんだ!
「そ、そうかー。いいんじゃないか? 別にこれから料理をしても。あ、でも厨房を使う時は今回みたいにちゃんと許可をとってくれな」
「はいっ! ありがとうございます! もっともっと練習して料理のレパートリーを増やして、いつかアルくんとマキナさんに、腕によりをかけてご馳走を用意しますから!」
「お、おぉ……期待してるよ」
「ふふっ。期待に応えられるようにがんばりますね!」
そう言うと、シャルは鼻歌を歌いながら後片付けを始めた。
「…………………………………………………………………………」
…………隣にいるマキナからの視線が痛い。
「…………なぁ、マキナ」
「…………なんですか」
「…………素直な気持ちを言葉にするのって、難しいなぁ……」
「…………そうですねぇ……」
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