第103話 隷属解放の乱事件 導入 その1

 大阪府の大阪平野は元は海だった。古代を専門とする学者曰く、河内湾だそうだ。


 この河内湾、東は生駒山地の麓まで、北は千里丘陵と牧方丘陵、二個の丘陵の合間に淀川が流れ、南は八尾南まで、西は当然ながら海が続く。

 湾とはそもそも陸地に入り込んだ海と言うだけあって、上野台地が細長く北に延びて港湾の出入口のようになっていた。

 

 余談になるが、かの豊臣氏隆盛の大阪城は上野台地の北の端に建てられていた。さすがは土木を得意とする太閤殿下。どこに城を据えるかよくお調べになっている。


 さて、ときは平成の元号もあと数年で改元される、師走の上旬のこと。


 二学期末試験を終えてヤレヤレと脱力しているわたしに、とある連絡が入った。


『ティンダロスの寵姫となりし女性にょしょう、古代期よりの事例を数点、新たに発見す。ついては、血の親和性の稀有なる相性を有する時雨環殿には当文書を閲覧すべく候』


 注意。この一文は意訳した上でそれっぽく書き直している。十中八九、誤った文の綴り方をしているのは承知のことで、内容と雰囲気だけ感じて頂きたい。

 

 そしてこれが何かというと――。

 宗家に近しい四家の内の、榛名家からの手紙なのだった。


 先述のように、今し方の内容はわたしが意訳したものである。

 本来の文は普段の生活ではまずお目にかかれない、練達の筆さばきが織りなすミミズの運動会難文での草書体であった。これを読み取るにあたり、一文を解読するだけで結構な労力を費やしたとだけボヤキを入れておきたい。


 幸いにして難読難解な手紙を寄越したにしては、読ませてやるから群馬県の榛名家まで来いとは言わず、大阪は梅田にある某有名高級ホテルの一室を用意してそこで読ませてくれる段取りをつけてくれたのだった。


 面倒に思えるかもしれないが、わが家にまで文書を持って来ないのは、当然、イヌガミ筋の一族としての家と家との相関関係にある。


 わが時雨家は分家筋。対する榛名家は宗家主筋の系譜。そういうことである。


 しかしそれはどうでもいい話、榛名家の奢りでせっかく高級ホテルの一室を用意してくれた状況を楽しみに、その上で当文書とやらを拝読させていただこうと考えるのだった。一族は何より大事であっても、楽しめる部分は大いに楽しむべきだろう。


 ときに、世間サマでは、クリスマスなるイベントが約半月後に迫っていた。


 生まれてこのかた十六年間、一部の同性には強烈にモテるものの。

 やんぬるかな、異性とつき合った経験は皆無だった。

 これは中高と女子学校に通う弊害だと考えたい。


 世のカップルの男女など、夜景の綺麗なホテルでしっぽりと爆発すべきであろう。


 はあ。ため息が漏れる。


 わたしの心は木枯らしのようだ。温かいダウンジャケットでも着こむとしよう。


 榛名の当主に会うからと、気を利かせた父が用意してくれた土産物の紙袋を片手にわたしは出かける。


 近鉄南大阪線、二上神社口駅より阿部野橋駅まで電車で移動。

 東の改札口を抜けて徒歩で数分ばかり、大阪市営地下鉄の御堂筋線へ向かう。

 天王寺駅から梅田駅までの切符を買おうと財布を出したところで、ぽんぽんと親し気に肩を叩かれたのだった。


 今回、榛名家に呼ばれたのは、わたしだけだった。単独行動である。


 なので甘えん坊な美琴がやっぱりついてきたのかと思ったのだった。いずれ宗家の養子に入り当主となる身であれば、榛名も苦笑いで彼女の我が儘を黙認するだろう。


 ところが振り返れば――、

 ニヤニヤと道化の笑みを浮かべる変人美少年が立っているのだった。


「ああ、わざわざ迎えをね。ご苦労さま。アンタ、榛名家に養子行きを決めたの?」

「ご挨拶やなー。榛名と霧島、まだどっちも決めてへんで」


 南條公平なんじょうきみひら、宗家直系の母を持ち、しかしその母親はわれらが一族が求める才を一切持たず、それがゆえに宗家長女でありながらも縁を隔絶された家へと移された、曰くつきの親を持つ少年――道化な性格の美少年。


「俺がお前さんの愛するミコトっちでなくて本当にすまんなぁ」

「マジそれ。振り返れば道化とかヤバすぎ」

「むっふっふっふ」


 彼は美琴が性的にわたしを愛していることを知っている。わたしとしても、いつか愛情のもつれから肉体的に成り染めるだろうと容易く予測している。


 そんな分かり合う二人は、共にイヌガミの一族であった。





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