第533話 ガラス温室の最後の仕上げ

 黄金週間突入を前日に控えた、4月28日の土曜日。

 この日はラグナロッツァの屋敷にて絶賛建設中だった、ラウルのガラス温室が完成して引き渡しされる日である。

 温室そのものはその前日に出来上がっており、最後の仕上げとして防御魔法を施して完成である。


 朝イチでラグナロッツァの屋敷に来たガーディナー組の職人達。彼らがこのレオニス邸に来るのも、今日が最後だ。

 今日が最後ということで、ラウルも朝から外に出て彼らを迎え入れる。


「ラウルさん、おはようございます」

「「「おはようございまーす!」」」

「皆おはよう。温室工事もいよいよ今日で終わりだな」

「はい。今日は四棟ガラスの防御魔法施工と、施主であるラウルさんとともに最終点検を行います。全てに問題がなければ、それ持ちましてラウルさんへのお引き渡しとなります」


 現場監督のイアンが代表し、一通りの挨拶と連絡事項をラウルに告げる。


「よろしく頼む。ところで皆、今日は何時頃までいるんだ?」

「ぁー……モノはもうほぼ完成しておりますし、本来なら午前中には終了するところなんですが……」

「ン? 何か問題でもあるのか?」


 ラウルの問いに、イアンがちょっとだけ気まずそうな顔で口篭る。

 午前中に終わるというのなら、もう複雑な工程などないのだろう。なのにモニョモニョと口篭るのは、一体どういうことであろう。

 まさかこの最終日に来て、何か重大な懸念でもあるのだろうか?


「実はですね……職人達が、その……」

「ン? 職人達がどうかしたのか?」

「実に図々しい話だとは思うのですが……最後にもう一度、ラウルさんの差し入れをいただきたい!と、職人全員が申しておりまして……」

「俺の差し入れ?……ああ、そういうことか」


 恥ずかしそうに話すイアンの後ろで、六人の職人達全員がニッコニコのキラキラ笑顔で立っている。

 イアンの話を聞いたラウルも、その理由をすぐに理解した。


「午前中で終了したら、ここで昼飯は食わずに皆さっさと帰るってことだもんな」

「はい。お恥ずかしい話ですが、そういうことでして……」


 ラウルが即座に察したことで、イアンはますます縮こまる。

 つまり職人達は『ラウルの差し入れを食べてから帰りたい!』と言っているのだ。

 レオニス邸でのガラス温室建設が開始されてから、約二週間弱。

 ライトのアドバイスで毎日出していたラウルの差し入れに、ガーディナー組の職人達全員はすっかり魅了されていた。


「俺としては、あんた達が時間的に問題ないってんなら一向に構わんが……」

「本当ですか!?」

「「「やったー!!」」」


 ラウルの答えを聞き、俯いていたイアンがパッ、と顔を上げた。そしてイアンだけでなく、後ろにいた職人達も一斉に喜びに湧く。

 そこまでラウルの差し入れが食べたかったのか?と思わなくもないが、職人達が大喜びする気持ちも分からなくもない。

 この工事が終われば、彼らはもうラウルの作る料理やスイーツを食べることはなくなるのだ。ならば最後の日にもう一度だけ、ラウルの出す極上の差し入れを食べたい!と彼らが願うのも当然のことだった。


「そしたらあんた達、今日は何時までここにいられるんだ?」

「黄金週間前ということもあり、本件は本来の工期よりも二日ほど短く組まれております。ですので、今日はこちらの工事も丸一日の時間は取ってあります」

「そうか。ならせっかくだから、午前中に工事が終わっても夕方までいてくれ」

「え、よろしいのですか?」


 せっかくだから丸一日いてくれ、というラウルの意外な言葉に、イアンが驚きの表情になる。

 半日もあれば仕上がる仕事を、ダラダラと引き伸ばして丸一日居座るなど本来ならあり得ないことだ。それはサボり以外の何物でもないのだから。

 だからこそイアンも、今日の日程など正直なところを話したのだ。


「だって、本当ならあと丸一日かかってもおかしくないくらいに工期が短いんだろ? それがもうほとんど仕事が終わってるってんなら、それは皆が頑張って早く仕事を進めてくれたってことじゃないか」

「そ、それはそうなのですが……」

「それに、手抜きしてたから早くに仕上がったとか、そういうことじゃないんだろ?」

「もちろんです!ガーディナー組の名にかけて、そのような不誠実なことは決していたしません!」


『手抜き工事じゃないよな?』という、ものすごく失敬なラウルの言葉に、イアンが血相を変えんばかりに強く否定する。

 こういうことをシレッと悪気なく聞いてしまうところが、実にラウルらしい。


「だったら予定通り、皆で一日ここで過ごしたっていいじゃないか。俺も温室の今後の扱い方とか手入れの仕方とか、作り手のあんた達からよく聞いておきたいし」

「もちろんそこら辺の説明も、ちゃんとさせていただきます」

「ああ、そうだ、どうせなら昼食までと言わずに三時のおやつも皆で食っていけよ。工事も今日で終わりだ、最後のおやつをご馳走代わりに振る舞わせてくれ」


 ラウルの粋な提案に、イアンだけでなく職人達全員が目を見開いている。

 彼らの望みは昼食後の差し入れまでだったのだが、ラウルはそれに留まらず三時のおやつまで出してくれると言うではないか。

 ラウルからの望外の言葉に、彼らの顔はさらに明るく輝いていく。


「ラウルさん、おやつまでご馳走になっていいのか!?」

「もちろんだ。何なら今日の昼飯も皆の分出すぞ」

「昼飯まで!? 俺、今日の弁当はそのまま家に持ち帰るわ!」

「その代わりと言っては何だが、煉瓦の話とかいろいろ聞かせてくれよ?」

「もちろんだ!何ならこのお屋敷の建物や外壁とか、外から見える部分で傷んでいるところがないか、皆で見て回ってもいいぜ!なぁ、イアンさん!」

「ええ。これだけ立派なお屋敷ですし、ぱっと見た感じでは問題なさそうですが、ラウルさんからのご厚意へのお礼も兼ねて無料点検させていただきましょうか」


 おやつだけでなく昼食まで振る舞うというラウルの言葉に、職人達のボルテージは最高潮に達する勢いだ。

 その勢いで、何とレオニス邸の外壁の無料点検をする!という話に発展してしまった。

 思わぬ方向に発展してしまったことに、ラウルが慌ててイアンに問うた。


「ぉぃぉぃ、無料点検なんてしてもらっていいのか? 普通に頼めばそれなりに料金がかかる仕事だろうに」

「大丈夫ですよ。午後の時間も余っていますし、その間の仕事としては最適です。また、もし何らかの補修が必要な箇所が見つかれば、そちらもガーディナー組に依頼していただければなお良し!というものです」

「ははは、そりゃいいな!この屋敷だけでなくあんた達の得にもなるとはな、恐れ入ったぜ!」


 非常に理路整然としたイアンからの返しに、ラウルが思わず大笑いしながらイアンの辣腕を称賛する。

 ラウルが大笑いするというのは、なかなかに珍しいことだ。だが、イアンのその妙案にはそれだけの価値があるという証でもある。


 貴族街にある大きな屋敷ともなると、その点検も無料という訳にはいかない。例えその点検結果で『問題なし』と判断されても、点検作業そのものに幾ばくかの料金がかかる。

 ラウル側のレオニス邸はそれを無料で受けられて、イアン達職人は午後の仕事の名目になる。そして万が一補修が必要な箇所があれば、ガーディナー組が次の仕事として補修依頼を受ける。

 まさに一石三鳥の全者Win-Winのイアンの案に、ラウルが心底感心するのも当然だった。


「さ、じゃあそしたら皆も今日一日頑張ってくれ」

「承知いたしました。さぁ皆さん、このお屋敷での最後の働きです。最後まで気を抜かずに頑張りましょう!」

「「「おーーーッ!」」」


 ラウルとイアンの掛け声に、職人達の気合いの入った返事が雄叫びの如く響き渡る。

 こうしてラウルの温室建設の仕上げが始まった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 出来上がったガラス温室の最後の仕上げ、防御魔法をかけるイアン。現場監督を担うイアンが防御魔法担当も兼任するようだ。

 イアンはガラス温室の屋根の上あたりに両手を高く掲げ、何やら小声で呪文を唱える。

 するとガラス温室全体がキラキラとした光に包まれ、光の粒子がガラス温室に付着し染み込むように吸収されていく。

 キラキラとした光が全て消え、通常の空間に戻れば防御魔法の付与は完了だ。


「ほう、見事なもんだな」

「お褒めいただき光栄です」


 その少し後ろで見学していたラウルが、イアンの防御魔法を感嘆の面持ちで称賛する。

 イアンが防御魔法をかけ終えた温室の壁のガラスを、コン、コン、と拳で軽く叩くラウル。

 さすがに今のラウルの力で全力で叩く訳にはいかない。そんなことをしたら、出来上がったばかりの新品のガラス温室が粉々に砕け散ってしまう。


 遠慮がちにガラスの強度を確かめるラウルに、イアンが徐にポケットから小石を取り出した。

 小石と言っても、実際にはラウルの手のひらほどもありそうなサイズである。


「ラウルさん、よく見ててくださいね」

「え?」


 そう言うや否や、思いっきり振りかぶって小石をガラス温室に向けて投げつけたではないか!

 あまりの突然のことに、ラウルもまた思いっきり焦りながらガラス温室に駆け寄った。


「ちょ、イアン!いきなり何してんだ!」

「ご心配なく。今の一撃でもびくともしないことを証明するためのものです」

「びくともしない証明ってお前、いくら何でも今のは…………って、ホントだ、傷一つついてねぇわ」


 焦って駆け寄ったラウル、今イアンが石を投げつけて当たったであろう箇所とその周辺を散々見て検めたが、イアンの言う通りどこにも傷はついていない。

 拳大ほどの石を全力で投げつけたであろうに、ガラスが割れないどころか罅の一つも入らないというのは驚きだ。


「イアン、あまりびっくりさせんでくれ……あー、心臓に悪い」

「驚かせてしまって申し訳ありません。ですがこれも仕事のうちでして。防御魔法のランクにもよりますが、強度試験は絶対に欠かせない工程の一つなのです」


 ガラスに傷がついていないことにほっと安心しながらも、イアンに文句を言うラウル。

 それに対し、これは強度試験で必要な工程なのだと解説するイアン。

 確かにガラスの強度試験は必要だろう。それが『石を投げつけて強度を図る』という、かなり原始的な方法なのは何とも言えないところだが。


 しかし、ラウルには一つ疑問があった。


「というか、ガーディナー組がガラス温室にかける防御魔法ってのは、もとから相当に頑強なものなのか? 俺が注文したのは最低ランクの、一番安い防御魔法だったはずだが」

「ええ、それにつきましては少々お話がございます」


 ランクの疑問に答えるべく、イアンがちょいちょい、とラウルに向けて手招きをする。

 手招きに応じてホイホイと近寄ってきたラウルに、イアンがそっと耳打ちをする。



(実はですね。ここだけの話、今こちらの温室にかけた防御魔法は上級魔法です)

(ン?)

(カタログのランクで言えば特級の次、四段階の上から二番目の防御魔法ですね)

(ンン??)

(これは私からのサービス、ほんの気持ちです。よろしければお受け取りください)

(ンンン!?!?)



 イアンの囁きに、ラウルの表情がどんどん驚きに満ちていく。

 耳打ちが終わり、ラウルから離れたイアンにラウルがびっくりしながら問い質す。


「気持ちはありがたいが、そんなことしていいのか?」

「これは、今日までたくさんの差し入れその他でお気遣いいただいたラウルさんへの、ほんのささやかな気持ちです」

「だが……」

「私共には、これくらいしかお返しできるものがございません。それに、本部の方にバレる心配などもございません。そうですよね、皆さん?」

「「「はいッ!」」」


 なおも心配するラウルに、イアンが極上の笑顔で職人達のいる方向に向き直る。

 イアンの極上の笑顔を受けた職人達も、全員溢れるような笑顔で上下左右あらぬ方向に視線を泳がせながら返事をする。


「俺達ゃ何も見てません!」

「今日もイアン監督の仕事は完璧です!」

「あー、今日も天気が良くて最高の仕事日和だなぁ!」


 全員直立不動のピシッ!とした姿勢で立ちながら、四方八方に視線を逸らし口々に言い訳を吐く職人達。その姿は実に、実に胡散臭さMAXである。

 だがそれは、イアンを含めてガーディナー組全員が『ラウルにお礼がしたい』という気持ちのもと、見事に一丸となっていることを表している。

 実際この現場の最高責任者は、現場監督を務めるイアンだ。

 そのイアンが良しとし、なおかつ現場にいる職人達の全員もそれを是とし積極的に容認している。

 となれば、今回のナイショの出来事は晴れて闇に葬られることが確定していた。


「ま、今回のこれはちょっとしたサービスです。これも現場監督である私の裁量の範疇ですので、ご心配には及びません」

「……そうか、なら俺も皆の厚意を無碍にする訳にはいかんな。ありがたく受け取ることにする」

「そう言っていただけると、私共も最後まで気持ち良く仕事ができるというものです」


 ラウルの感謝の言葉に、イアンが恭しく礼をする。

 そして頭を上げたイアンが続けて口を開いた。


「さぁ、では残りの三棟にも防御魔法をかけるとしましょう。その全部にまた投石実験をしますので、今度はラウルさんも驚かないでくださいね?」

「おう、理由が分かっていれば大丈夫だ。それが終わったら、皆でのんびりお茶でもしてから早めの昼飯にするか」

「やったー!」

「イアン監督が防御魔法付与作業してる間、俺達はまず先にお屋敷の外壁点検でもしてますねー!」


 イアンの投石実験予告に、今度はラウルも納得しつつ受け入れる。

 そしてラウルの発した言葉『皆でのんびりお茶』と『早めの昼飯』、それを聞いた職人達が再び歓声を上げる。


 ここ最近、ずっと温室建設工事で賑やかだったレオニス邸。その賑やかな日々も、今日で終わる。

 明るく気さくな職人達と過ごす最後の時間を、ラウルもまた楽しんでいた。





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 ラウルの家庭菜園のためのガラス温室、とうとうその完成の日です。

 建設はこの日の前の週の月曜日から始まっており、本来なら四棟で二週間の工期になるところなのですが。黄金週間に突入すると祝日の連続で引き渡しがかなり先になってしまうので、工期を詰めて黄金週間入りする前に完成させた、という経緯があります。


 でもって、後半のイアンの防御魔法ランクアップサービスについての補足。

 もし万が一上にバレたり何か言われたとしても、ラウルが『うちのご主人様に上位の防御魔法を上書きしてもらった』と言えば問題ナッシング。

 実際ラウルもそのつもりで一番安いランクにしたので、レオニスが防御魔法を上書きする手間が省けたとも言えます。

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