第496話 禁じられた呪符

 ライトが家でのんびりと休養しつつ、天空島考察でしかめっ面をしながらうんうんと唸り海続けていた頃。

 レオニスは魔術師ギルド総本部に向かっていた。


 魔術師ギルドの馴染みの受付嬢に声をかけ、その後すぐにギルドマスター執務室に向かうレオニス。

 ピースのやつ、今日もまた書類の山に囲まれてんのかな……とレオニスは思いつつ、執務室の扉をノックしてから中に入る。

 するとそこには何と―――書類が一枚も乗せられていない、実にこざっぱりとした執務机があった。


「これは一体……何事が起きたんだ?」

「ンーーー…………あッ、レオちん!ちょうどいい時に来てくれたね!愛してるッ!」

「ぃゃ、そこで俺が愛される理由がさっぱり分からんのだが」


 執務机の椅子に座り、思いっきり背伸びをしていたピース。

 レオニスが部屋に入ってきたのを見て、ピースがいつも以上に大歓迎の意を表しながらレオニスを迎え入れる。


「見て見て、この書類一つない非ッ常ーーーにスッキリとした机!」

「おう、こないだもすんげー書類の山に囲まれてたってのに……一体どうしたんだ?」

「小生ね、あれからすんげーバリバリに仕事頑張って書類を片付けまくったのよ。全ては!有給休暇を!この手に!もぎ取るためにねッ!」


 聞けば先日レオニスと交わした約束『炎の女王に会いに行くために有給休暇を取る』を実現すべく、それはもう猛烈に仕事をこなしていったらしい。

 後に入口のいつもの受付嬢が『マスターピースが執務室であんなに精力的にお仕事をこなされたのは、正真正銘今回が初めてのことです。ョョョ』と涙ながらに語ったとか何とか。

 まさに『為せば成る 為さねば成らぬ 何事も』である。


「そりゃすげーなぁ。ピースも頑張ったんだな」

「レオちん、もっと小生を褒めてッ!」

「おう、今回はいくらでも褒め称えるぞ。頑張って結果を出したら、報われるのは当然のことだからな」

「ヤッター♪ じゃあ小生とお茶しながらお話しよ!小生もちょうど休憩するところだし!」


 いくらでも褒め称えると言ったレオニスに、両手を上げて万歳しながら嬉しそうに飛び跳ねるピース。

 その言動はまさに彼の師匠フェネセンを思わせる。

 褒められて大喜びするところとかもっと褒めて!とねだる辺り、本当に師弟揃ってそっくりだ。

 そんな大喜びするピースの姿に、レオニスの目にはフェネセンが重なって映る。


 全くピースのやつめ、こんなに可愛い弟子や仲間の俺達を放っぽって一体どこをほっつき歩いてやがんだ。

 今度会ったらただじゃおかん、やつのほっぺたを限界まで伸ばしてやる!

 ……ン? そういやつい最近も、ほっぺたを限界まで伸ばしてくれるわ!とか思ったような気がするが……はて、何だったっけ?


 内心でここまで考えて、レオニスははたと止まる。

 しばし考え込んでようやく思い出したレオニスは、小躍りしながら応接ソファに向かおうとするピースの頭を真上からガシッ!と片手で鷲掴みにする。


「そういやピースよ。先日は浄化魔法の呪符三十枚に、ステキなオマケをつけてくれてありがとうな?」

「おにょ? 小生の心遣い、気に入ってくれた? 嬉しいな!是非とも将来役立ててね!……ッて、痛いイタイ、レオちんイタイよッ?」

「お前ッ!あれらを役立てるより前に、俺にもっと必要なもんがあんだろうがッ」

「イタタタタッ」


 ピースの頭を鷲掴みしていたレオニスの手はピースのほっぺたに移動し、むにむにむにょーん、と餅のように引き伸ばしていく。

 そう、エリトナ山に行く前に朝イチでこの魔術師ギルド総本部にて受け取った呪符、そのオマケについてきた『夫婦円満』『子宝成就』『安産祈願』のことをレオニスは思い出したのだ。


 こめかみに青筋を立て、ギリギリと歯軋りしながらほっぺたをムニるレオニスに、ピースが慌てて言い募る。


あっへ待ってあっへ待ってエオレオひんあっへ待ってぇー、おえいあこれにはふはあえあワケがあうんあおあるんだよぅー」

「……ン? 深いワケ?」


 レオニスの手が止まり、ピースのほっぺたから離れる。

 赤くなった頬を両手で擦りながら、涙目のピースが語る。


「実は小生、『恋愛成就』の呪符だけは唯一描くことを禁止されてるんだよぅ」

「何でだ?」

「小生が全身全霊全力を込めて本気で恋愛成就の呪符を描くとね、効き目があり過ぎて絶対にトラブルのもとにしかならんのよ」


 ピースの話によると、ピースが『恋愛成就』の呪符を描くと男女問わずモテ期なんてもんじゃない事態になるらしい。

 複数の異性、しかも二人や三人どころではなく十人百人レベルで同時に交際を申し込まれ、いくら断ってもしつこく言い寄られるという。

 挙句五股十股などという爛れた関係になったり、果ては異性どころか同性にまで夜這いをかけられたりと、それはもう壮絶な修羅場にしかならないんだとか。


「小生が描いた『恋愛成就』の呪符を持つと、こんなんばっか起きるのよ。だから小生は、恋愛関係の呪符を三枚描いて売った時点でそれ以降描くの禁止されちゃったんだよね」

「とんでもねー話だな……つか、何もそこまで全身全霊全力を込めて描かんでもいいだろうに。もうちょい軽く描けんのか?」

「レオちん、無茶言わないでよ。小生はね、どんな呪符でも一枚一枚丁寧に描く主義なの。軽く描くとか絶対に無理ッ」

「ぉぅ、そうか……」


 ピースが恋愛関係の呪符作成そのものを全面禁止されていたとは、驚きの事実だ。

 だが言われてみれば確かに、恋愛関係においてあまりにも強過ぎる効き目はもはや毒にしかならないだろう。そこまでになると、もはやそれは呪符ではなく禁呪の類いである。

 五股十股にストーカーホイホイ量産となれば、ピースが恋愛関係の呪符を封印されるのも当然のことだ。

 効き目が強いというのも良し悪しで、その方向性によっては害悪に変わるという好例である。


「そういう訳で。恋愛成就の呪符が必要なら、ギルド内の売店で買ってね!それなら効き目も軽めだから」

「……ぃゃ、わざわざ買うほどのもんでもないからいい……」

「そなの? 遠慮しなくてもいいのよ? つーか、レオちんなら呪符なんぞなくても普通にモテるっしょ?」

「そうなってたら誰も苦労してねぇっての……」


 自分が描けない代わりに、売店で販売している効き目マイルドな恋愛成就の呪符をピースに勧められたレオニス。途端にしおしおと萎れる。

 いい年をした大の男が、恋愛成就の呪符を求めてわざわざ売店で買うなど、レオニスにしてみたら想像しただけで寒い。

 それに、レオニスとて今すぐ結婚したい訳でもない。いずれは運命の人と巡り逢い、結ばれることができればいいな、とはレオニス自身も漠然と考えてはいるが。


 これ以上この話を続けていくと、レオニスのMP精神がどんどん抉られていきそうなので、別の話題を振ることにしたレオニス。


「そういやあの浄化魔法の呪符三十枚な。今回もものすごく役立ったよ。ありがとうな」

「おお、それは良かった!……って、何、あれが役立ったってことは? もしかしてエリトナ山にいる火の女王も、四帝の穢れに侵されていたの?」

「いや、それはなかった。だが……」


 ピースの問いかけに、レオニスはエリトナ山での出来事を話して聞かせた。

 火の女王自身は毒牙にかけられていなかったこと、それでもずっと前から四帝の手先に何度も狙われ続けていること。

 幾度となく死霊兵団に襲われてはその都度撃退していること、その死霊兵団の残骸が山と積み重なり無数の屍がエリトナ山の麓に野晒しのままであること。

 ピースからもらった三十枚の浄化の呪符は、無数の屍を四帝の呪縛から解き放ち天に還すために使われたことなどなど。


 レオニスが語るそれらの話を、ピースは静かに聞いていた。


「死霊兵団の残骸か……確かに火の女王の放つ業火にも、強力な浄化作用はあるだろうけど。怨念や無念さを利用して作られた傀儡には効き目は薄いだろうね」

「ああ、いくら火の女王の業火で焼き尽くそうとしても一向に灰になることはなかったらしい」

「確かに小生の呪符ならば、それらを祓い天に還すのも可能だねぃ。でもさぁ……浄化魔法の呪符『究極』三十枚でも全然足りないって、どんだけの量の屍が積み重ねられてんのよ……それだけ繰り返し襲われ続けてきてるって話だよねぇ」


 小さなため息をつきながら頭を振るピース。

 最上級の浄化魔法呪符が三十枚もあって、なお祓いきれないほどの屍。それが如何に異常な事態であるか、呪符の作成者であるピースも十分理解していた。


「そんな訳で、今日は浄化魔法の呪符『究極』を百枚注文しに来た。それくらいあれば、エリトナ山に晒され続けてきた死霊兵団の屍を全部祓えるはずだ」

「『究極』を百枚ね、了解。いつ頃までに作ればいい?」

「次にエリトナ山に行く時期は全く未定だから、そこまで急ぎじゃない。一ヶ月か二ヶ月くらいかかっても構わん」

「ほーい。んじゃ一ヶ月以内には百枚作っておくねー」


 レオニスの無茶振りとも思える浄化魔法呪符『究極』の百枚発注に、ピースが快く引き受ける。

 最上級呪符を百枚発注など、尋常な量ではない。

 だが、魔術師ギルドマスターであるピースならば、常人には到底不可能なことでもやり遂げることができるのだ。


「あ、お代は引き続き色付き宝石の魔石譲渡でOKよ」

「すまんな、宝石の魔石化は先週取り組み始めたばかりだから、魔力充填にもう少し時間がかかる。出来上がったらすぐにお前に渡すから、もうちょい待っててくれ」

「もちろんいいよー。つーか、今充填してるのを一ヶ月間にして、他にも従来通り二週間充填したものを用意してくれる? 魔力充填の期間の違いで、色や魔力充填量に差が出るかどうかも比較してみたいんだ」

「了解」


 呪符の代金については、引き続き魔石譲渡という物々交換で交渉がまとまる。

 ピースの魔石に対する要望や注文を、レオニスも快く受け入れる。

 魔石の充填期間については、素材が水晶でカタポレンの森の中で充填を行う場合は二週間で十分、ということは知られている。

 だが色付きの宝石に関しては、最近発案されたばかりの新規事業だ。

 魔力充填は何日かけるのがベストなのか、色はどのように変化するのか、完全に手探り状態で見極めていかねばならない。

 そうしたデータを得ていくために、レオニスも協力できることは何でもするつもりである。


 応接ソファに座り、お茶を啜りながらそうした交渉事を和やかに詰めていたレオニスとピース。

 するとそこに、執務室の扉がノックされてギルド職員と思われる女性がワゴンとともに入室してきた。


「お話中のところを失礼いたします。マスターピース、よろしいでしょうか」

「あ、別に気にしないでいいよー。どしたの、何かあったん?」

「こちら、本日の分の書類の追加分が届きました。マスターピースの決済が必要なものばかりですので、よろしくお願いいたします」

「「………………」」


 恭しく頭を下げる女性職員と、彼女が持ってきたワゴン。

 そのワゴンの上には、どっさりとうずたかく積まれた書類の山が鎮座ましましていた。

 その山を見て、絶句するピースとレオニス。


「あー、えーとねぇ……小生、今レオちんから頼まれた仕事があるから!依頼の呪符を描きに行ってくるねッ」


 そそくさと立ち上がり、そろーり、そろり……とした足取りで執務室を出ていこうとするピース。

 女性職員の横を、何事もなく通り過ぎようとするピース。そのローブの後襟を、女性職員が容赦なくむんず!と掴み引き止める。

 慣性の法則により首がキュッ☆と締まったピース、グエッ★と小さく呻く。女性職員はそんなピースを気にかける様子もなく、レオニスに向かって問いかけた。


「レオニスさん、ご注文の呪符の納期はいつでしょう? 今日明日にも用意せねばならない喫緊のものでしょうか?」

「ぃ、ぃゃ、納期は特に決まってないが、一ヶ月以内にもらえたら嬉しいなぁー、と……」

「そうですか。ならばこちらの書類を先に処理していただく方が先ですね」

「え、ちょ、待、レオちん!そんなバカ正直にホントのこと吐いちゃダメぇぇぇぇ!」


 ピースが悲鳴にも近い絶叫を上げる。

 何気にピースにバカ正直とディスられるも、レオニスにはどうしようもない状況である。


 親猫にうなじを咥えられてぶら下がる子猫と化したピース。

 女性職員は爪ピースの脇に手を差し込み彼の身体をヒョイ、と持ち上げて、そのまま椅子までピースを運び、爪先で執務机の椅子をクルッ!と回し、椅子の上にぽすん、とピースを置いて座らせる。

 女性職員のあまりにも流麗かつ滑らかな所作に、レオニスはただただ見入るばかりだ。


「さ、マスターピース。本日のお仕事、よろしくお願いいたします」

「ぅぅぅ……せっかくあの山がようやく消えたところだったのにぃぃぃぃ」

「本日のおやつは【Love the Palen】のスペシャルプロテインクッキーをご用意してございます」

「!!!!!小生、今日の仕事頑張る!」


 束の間の平穏が終わりを告げ、執務机に向かわされたピース。

 悲嘆に暮れたピースが涙目で呟くも、女性職員は微動だにせぬまま本日のおやつのラインナップをピースの耳元で囁く。

 おやつという目に見えるご褒美を囁かれた途端、半分死にかけだったピースの目が瞬時に輝きを取り戻す。

 この女性職員、ピースの扱い方を底の底まで熟知している超やり手職員のようだ。


「じゃあ俺もそろそろ失礼するわ。ピースも仕事頑張れよ」

「うん!これもちゃちゃっと片付けておやつ食べて、書類仕事なんてやっつけるー!レオちんも小生が有給休暇取れるまで待っててね!」

「おう、気長に待ってるぜ」


 俄然やる気に満ちたピースに、レオニスも微笑みるながらエールを送る。

 執務机から元気に手を振るピースにその背を見送られながら、レオニスはギルドマスター執務室から退室していった。





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 魔術師ギルドマスターピースへの浄化魔法呪符発注のついでに、オマケ呪符のお礼のほっぺたムニムニの刑です。

 前回レオニスがもらったオマケの呪符のラインナップが非常に微妙だったのも、実はちゃんとした理由があったんですね。

 人間関係、特に恋愛関係が拗れると本当に洒落になりませんからねぇ。簡単に刃傷沙汰にまで発展してしまうし、取り返しのつかない事態になることも往々にしてありますし。

 そこまでの事態を起こすような、厄災レベルの呪符はさすがに魔術師ギルドとしても看過できず。ピースには副ギルドマスター他全職員から全会一致で、恋愛関係の呪符作成禁止令を言い渡された次第です。

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