第390話 秘密の水

 ライトがラグナロッツァの屋敷で晩御飯を済ませ、明日のプロステス行きのために早く就寝しようと寝る支度をしていた時。何やら玄関ホールから人の声がするのが聞こえてきた。

 一体何事?と思いつつ、ライトは玄関に様子を見に行った。


「……うひゃはははー、地面がくるくる回るぅぅぅぅ」

「はいはい、ご自宅に着きましたよ」


 陽気なレオニスの声とグライフの冷静沈着な声が、ラグナロッツァの屋敷の玄関ホールに響く。どうやらグライフがレオニスを屋敷まで送ってきてくれたようだ。

 階段途中から様子見していたライトは、レオニスとグライフの姿を認めて急いで二人のもとに駆け寄っていく。


「グライフ、こんばんは。えーと……レオ兄ちゃんをここまで送り届けてくれたんですか?」

「こんばんは、ライト。ええ、今日はかつての冒険者仲間達が私の冒険者復帰を祝ってくれまして。そこにレオニスもいたのですが、これこの通りの有り様で……」

「今日はグライフの復帰祝いするという話は、レオ兄ちゃんから聞いてましたが……もしかして、酔っ払うまで飲んじゃったんですか?」


 レオニスに肩を貸しながら、玄関に出てきたライトと挨拶を交わすグライフ。

 一方のレオニスはというと、ふにゃら~、と笑いながら目が半分閉じかけている。


「んあー、俺は酔っ払ってなんかいないろぉー……」

「レオ兄ちゃん、立派に酔っ払ってんじゃん……」

「いや、レオニスも酒は飲まないようにしていたんですが……どうも自分の水と誰かのウォッカを間違えて口にしてしまったようで……」


 グライフの話によると、レオニスは今日は一口も酒を飲んでいなかったのだが、自分の席の近くにあった透明なグラスを自分の水と勘違いして口に含んでしまったらしい。

 一口含んだ時点でブフーッ!と盛大に噴き出し、思いっきり噎せながら「何ッだこれ、酒か!?」と慌てて口に含んだ分を吐き出したが、時既にお寿司。

 普段酒を飲みつけないレオニス、あっという間に酔いが回ってしまったという。


「んもー、レオ兄ちゃんったらホントにドジなんだから……ラウル、ちょっと来てくれるー?」


 ライトが呆れながら、空に向かってラウルの名を呼ぶ。

 いつものようにふわりと宙に現れるのではなく、一階の玄関奥の廊下から歩いて出てきたラウル。他所様グライフがいる手前、宙からすぐ横に現れるのは控えたのだろう。


「どうした、ライト?」

「何かね、レオ兄ちゃんが間違えてお酒飲んじゃったみたいでさ。フラフラで意識もあまりなさそうだから、二階の寝室に連れていってあげてくれる?」

「了解」


 ライトの頼みを快諾し、ラウルはグライフからレオニスの身体を引き受ける。

 そのまま肩を貸しながら連れていくのかと思いきや、「よっ、と」という掛け声の後レオニスの身体をヒョイッと肩に担ぐラウル。まるで米俵を担いでいるかのようだ。

 だが、レオニスの体重は米俵一俵60kgよりもはるかに重いはずなのだが。事も無げにすいすいー、と軽やかに階段を上っていくラウルの背中の何と頼もしきことよ。


 レオニスを担いだラウルが二階に上がって姿が見えなくなったのを確認したライトは、改めてグライフの方に身体を向き直して頭を深く下げた。


「今日はグライフが主役の復帰祝いなのに、レオ兄ちゃんが迷惑をかけてしまってごめんなさい」

「いいえ、ライトが謝ることではありませんよ。それに、レオニスとて進んで酒を飲んだ訳ではありませんし」

「でも……復帰祝いを途中で抜け出してきたんでしょう? 祝いの主役がいなくなっちゃったら、解散じゃないですか」


 現在の時刻は夜九時少し前、酒場での宴会が解散するにはまだ時間が早い。ましてや参加者の大半が酒好きな冒険者の集まりともなれば、0時過ぎどころか閉店時間の午前三時まで粘ってから店側に追い払われてもおかしくはない。

 故にライトは、グライフがレオニスをこの屋敷に運ぶために宴会を途中で抜け出してきた、と判断したのだ。


「心配無用ですよ。私は今からまた直営食堂に戻りますし」

「冒険者の皆さん、まだ直営食堂にいてそのままグライフの帰りを待っているんですか?」

「ええ、あの連中がそんな簡単に宴会を解散する訳ないでしょう? 私がレオニスを連れて食堂を出る時だって『レオニスの旦那を送ったらすぐ戻ってこいよー』と皆に言われましたからね」

「そうなんですね……」


 フッ……と心なしか遠くを見つめる眼差しになるグライフ。

 酒で潰れてしまった人の送迎を祝いの主役にやらせるとか、それってどうなのよ? 主役を中座させるくらいなら、他の人がやってあげればいいのに……と思わなくもない。だが、グライフ曰く『私以外は誰一人として貴族街に近寄りたがらない』とのこと。

 確かに冒険者が貴族街を歩くこと自体滅多にない。特にこんな夜中に冒険者然とした格好の者が貴族街を彷徨いていたら、120%の確率で巡回中の騎士団員に職務質問されそうだ。


「ま、そんな訳ですので。私は今からまた直営食堂に戻ります」

「レオ兄ちゃんを送り届けてくれてありがとうございます」

「どういたしまして。ライトもあまりレオニスを叱らないであげてくださいね。彼もちょっと間違えてしまっただけで、好き好んで酔っ払ったのではありませんし」

「はい。冒険者の皆さんにはくれぐれもよろしく言ってください。そしてグライフもまた皆さんと楽しんできてくださいね」

「ええ。ではまたそのうちお会いしましょう」


 レオニスを家に送り届けるという役目を果たしたグライフは、ライトに見送られながら再び直営食堂に戻っていった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「んあー…………ここはどこだぁ…………」


 翌日の朝、レオニスは痛む頭を抱えながら起きた。

 昨日はグライフの冒険者復帰祝いに行っていたはずなのだが、レオニス本人には家に帰ってきた記憶がない。


「ぅぁー……頭痛ぇ……」

「ご主人様よ、起きたか?」

「あー、ラウルか……おはようさん……」

「ライトが待ってるぜ?」

「ん?ライトが、か……?」


 レオニスが起きたのを見計らってか、ラウルがレオニスの寝ていたベッドの横に現れて声をかける。

 ラウルの声にレオニスが重たい身体を起こし、のそのそと起き上がってベッドの縁に座る。


「今日はライトとどっかに出かけるんだろう? 支度して待ってんぞ?」

「…………あーッ!プロステス!……ぐおおおお、いッてぇぇぇぇ……」


 ラウルの言葉にレオニスはようやく今日はプロステスの炎の洞窟調査に行くことを思い出したらしい。

 その場でハッ!としつつ思わず叫ぶも、己の声が頭に響いて頭を抱えて悶絶するレオニス。

 そこにライトが部屋に入ってきた。


「レオ兄ちゃん、起きたー?」

「お、おう、おはよう、ライト……」

「昨日ここまで送ってきてくれたグライフから聞いたよー。お水とお酒を間違えて飲んじゃったんだってね?」

「……んあー、そうだったっけか……記憶が飛んで何も覚えてねぇ……」

「はい、とりあえずお水飲みなよ」

「ああ、ありがとう……」


 ライトがその手に持ってきたコップをレオニスに渡す。その中身は無色透明の水のようだ。

 ライトからもらった水をコクコクと飲むレオニス。数口飲んだところで、レオニスが不思議そうな顔をしてライトに尋ねた。


「これ、水か? 何かちょっと苦味というか、若干渋味があるように感じるんだが……」

「僕特製の酔い覚ましの水だよ。二日酔いにも効くはずだから、全部飲んでみて」

「ん、分かった……」


 ライトの勧める通りに、コップの水らしきものをゆっくりと飲んでいくレオニス。

 全部飲み干す頃には、レオニスの顔が驚愕に染まっている。


「ん……何だこれ、頭の痛いのや怠さが消えていくぞ……」

「そっか、効いたなら良かった」

「ライト、これ一体なんの水だ? 回復剤でも入ってんのか? それにしちゃハイポやエクスポとはだいぶ味が違うが……」

「そこら辺はねぇ、ナ・イ・ショ。企業秘密ってやつだね!」

「企業秘密? 何ぞそれ?」


 レオニスの二日酔いに効果があったことを知ると、ライトはニッコニコの笑顔になるもその秘訣は秘密として語らない。

 実はこの水、アンチドートキャンディを水に溶かしてあるのだ。

 アンチドートキャンディは、いわゆる解毒剤である。そして二日酔いとは、肝臓がアルコールの毒性成分アセトアルデヒドを分解しきれないことで起こる体調の不具合だ。

 アセトアルデヒドは人体にとっては毒なので、アンチドートキャンディなどの解毒剤が効く、という訳だ。


 ただし、ライトが持つアンチドートキャンディはゲームシステムのレシピ作成で得たものなので、その出処を明かすことができない。そもそも子供であるライトが、解毒剤なんてものを所持していることをレオニスに納得させるような適切な説明が思いつかない、ということもある。

 故にライトは企業秘密ということで誤魔化したのだ。


「レオ兄ちゃん、具合はどう? プロステスへは行けそう?」

「ああ、これならハイポの数本も追加で飲めば十分だ」

「良かった! じゃあ朝御飯食べてから行こうか」

「おう、そうするか」


 何とか体調回復したレオニスは、ライトとともに部屋を出て階下に下りていった。





====================


――酔い潰れてしまったレオニスを、誰が送るかの相談会話――


「おいおい、レオニスの旦那、間違えてウォッカ飲んで潰れちまったぞー」

「しゃあねぇなぁ、誰か家に送ってってやれよ」

「えー? レオニスんちって、貴族街にある屋敷かディーノの魔の森ん中だろ?」

「今から魔の森入れとか?無理無理無理無理ぃ」

「んじゃ、貴族街の屋敷に送るしかないが……頼んだぞ、グライフ」

「え? 私が送るんですか?」

「だってなぁ、俺らが貴族街彷徨いてみ? 治安警備隊にとっ捕まちまう」

「そうそう、それにそもそも俺ら貴族街なんて入ったことねぇし」

「道も全然分からんから迷子になっちまうもんなー」

「「「なー!」」」

「仕方ないですねぇ……貴方達、よくもまぁ宴会の主役をこき使ってくれますね」

「大丈夫大丈夫!グライフ帰ってくるまで俺達飲みながら待ってるから!」

「「「いってらっしゃーい!」」」

「…………」


 名も無き冒険者仲間達は、相変わらず陽気です。

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