第381話 ライトの敬称問題

 ラグナロッツァの屋敷から、そのまま魔術師ギルドに向かうライトとレオニス。

 屋敷を出る前に、ラウルに頼んでアップルパイを一箱譲ってもらってある。アップルパイを譲る際のラウルの表情は、また何とも微妙そうな感じだった。


「手土産にアップルパイが欲しい?そりゃ別に構わんが、どこに持っていくんだ?」

「今から魔術師ギルド総本部マスターのピースさんに会いに行くんだー」

「……生誕祭の時に出店にいた、フェネセンの一番弟子って言ってたヤツか?」

「そうそう、その人。今月中に遊びに来てって言われたからねー、今からレオ兄ちゃんといっしょに魔術師ギルド行ってお話してこようと思ってさ」

「…………まさかそいつもフェネセンと同じく大食いで、俺の料理を付け狙うようになったりするんじゃなかろうな?」


 半目になりながら、スーン、とした表情で呟くラウル。

 ラウルはかつて天敵として毛嫌いしていたフェネセンとは、ライトを介して何とか和解した。だが、大食らいの食い尽くし系に対する警戒は未だに強いようだ。


「レオ兄ちゃん、そこら辺はどう?」

「ピースは魔術師だが、そこまで大食いじゃないぞ?フェネセンの一番弟子だから、警戒するのも分かるっちゃ分かるが。食事の量に関しては、一応常識的な範囲だったと思う」

「……そうか、大食いじゃなければいい」


 レオニスの言葉に、ほっとするラウル。

 ピースは『稀代の天才大魔導師の一番弟子』なので、もしかしたら大食い要素まで師匠譲りかも?と疑うラウルの気持ちも分からんでもない。

 そう、フェネセンとの死闘を繰り広げた伝説のフードバトル。あれからまだ四ヶ月しか経過していないのだ。

 あの全身全霊全力投球の死闘により、ラウルの空間魔法陣の食品貯蔵量は完全にスッカラカンとなり果てた。そしてそれらのダメージは未だに残っており、物心ともに全回復には至っていないのである。


「じゃ、いってきまーす!」

「おう、気をつけてなー」


 ラウルから手土産のアップルパイを受け取ったライトは、ラウルにお見送りされながら元気な返事とともにレオニスと出かけていった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「レオちん!待ってたよーーーぅ!」

「嗚呼ッ、レオちん達から眩い光が輝いて見えるッ!」

「神様仏様レオちん様ぁぁぁぁ、ささ、どうぞこちらへ!」


 魔術師ギルドのマスター専用執務室に通されたライトとレオニス。

 執務室の中では、数多の山積み書類の壁に埋もれたピースが机に頭を乗せてヘロヘロになっていた。

 そこに現れたライトとレオニスは、ピースにとって書類仕事から解放してくれる救世主に見えるであろう。ピースが発した第一声、レオニス達の歓迎の後に続いた眩い光云々という言葉からもそれが伺える。


 嬉々として迎え入れたピースの案内に従い、応接セットのふかふかソファに座るライトとレオニス。

 一方ピースはライト達の向かいの席に座り、空間魔法陣を開いてお茶やらお菓子やらをヒョイヒョイと取り出してはテーブルの上に並べていく。


「ぃゃもうね、小生ホントに君達が来てくれるのをずーーーっと待ってたのよ? つーか、レオちん達来てくれなかったら小生書類に埋もれたままマジぬところよ」

「先週はちと先約があって来れなくてな。待たせてすまんかった」

「いやいやいやいや、生誕祭の時にお願いした『今月中に来てね!』ってのを守ってくれただけで十分御の字よ!ホントにありがとうね!」


 ものすごくにこやかな笑顔のピース。その花咲くような満面笑顔は、書類仕事から解放された喜びだけでなくライト達が自分に会いに来てくれたことに対する喜びも大いに含まれていた。


「それにしても、お前も忙しそうだな」

「ホントよ全くもう。小生には書類仕事なんて向いてないのにさ!」

「そりゃギルドマスターともなればなぁ、決済書類とか承認の判子とかピースじゃなきゃこなせない仕事も多いだろ」

「てゆか、何で小生ギルドマスターなんてしてんだろ?小生は魔導具開発とか魔法実験とかのが向いてるのに!キーーーッ」


 頭を掻き毟りながら、天を仰ぎキーキーと嘆くピース。

 確かにギルドマスターともなれば、仕事量のみならずその責務の重さも半端ではないだろう。

 そしてピース自身は魔導具の開発や魔法の実験の方が好きなようだ。戦闘要素があまり感じられないあたりもまた、事務仕事に向いていると周囲に思われているのかもしれない。

 いずれにしても、魔術師ギルドマスターという重責を担うピースの苦労が忍ばれるというものである。


「そりゃまぁ……フェネセンを除けばピース、お前が魔術師ギルドの中で最も実力があるからだろう?」

「そう!そこなのよ!小生より師匠のが実力ははるかに上なんだよ!?だったら師匠がギルドマスターになるべきだと思わないかい!?」


 レオニスの指摘に、ピースが我が意を得たり!とばかりにズビシッ!とレオニスに指差しながら半絶叫になる。

 だが、そんなピースの半絶叫にレオニスは動じることなく、ふぅ、と小さなため息をついてから徐に答えを返す。


「…………お前、フェネセンが建物の中でおとなしく事務仕事できると思うのか?」

「……………………㍉」

「だろう?椅子に座って一時間どころか十分も持たんだろ。……ぃゃ、五分持つかどうかすら怪しいな。つーか、そんなのフェネセンの一番弟子であるお前が一番良く分かってんだろ?」

「ぐぬぬぬぬ……」


 レオニスに真っ向から論破され、返す言葉もないピースは無残にも撃沈する。

 そう、全てはレオニスの言う通りで、あのフェネセンがおとなしく事務仕事に就ける訳がないのだ。

 だがしかし、人間には『頭では理解していても言わずにはいられない』という場面が多々ある。ピースにとっては、今がまさにその時だったのだろう。


「ま、人間誰しも得手不得手ってもんがあるからな。稀代の天才大魔導師フェネセンだって、決して全知全能万能じゃない。師匠にできないことは、弟子であるお前が補佐してやればいいさ」

「……うん。だから小生も頑張ってんだけどね? あー、いつか師匠といっしょにのんびりとした旅をしたいなぁー」

「……フェネセンが帰ってきたら、また相談すればいいさ」

「ん、そうだね……うん、そうする!次にフェネセン師匠が帰ってきたら、真っ先に相談する!」


 レオニスのさり気ない励ましに、ピースもだんだんと元気を取り戻していく。

 そんなピースとは裏原に、ライトとレオニスの心は沈む。フェネセンが帰ってきたら相談する―――その願いは、果たしていつ叶うのだろうか。

 だが、この沈む気持ちをピースに悟らせる訳にはいかない。

 表向きはにこやかかつ静かに微笑む二人だった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ところでさぁ。小生、悩んでることがひとつあんのよ」

「悩み?ピースが悩むとは珍しいな、何をそんなに悩んでるんだ?」

「レオちん相変わらず失敬だよね。小生にだってね、悩みごとの一つや一つあんだからね?」


 何気に失敬なレオニスに、ピースがプンスコとむくれる。

 しかし、悩みごとの一つから二つに増えないあたり、ピースの悩みごとは本当に少ないらしい。


「今小生が絶賛お悩み中のこと。それはね……『ライト君の敬称問題』なのよ」

「……ン?ぼくの敬称、ですか?」

「そう!ライト君が遊びに来てくれたら何て呼ぼうか、ずーーーっと悩んでたんだよねぇ」

「えーと……そこはピースさんの師匠、フェネぴょんと同じく『ライトきゅん』でもいいのでは……?」

「ピィちゃん」

「あッ、ハイ、ピィちゃん」


 ピースがライトの顔前3cmまで迫り、口を尖らせつつ己の呼び方を訂正する。

 そういえば生誕祭の出店で初めて会った時に、ピースは自分のことをピィちゃんと呼んでね!と言っていたことを思い出すライト。あれから十日経過していたので、すっかり忘れてしまっていた。


 ここはピースの要望を素直に呑んで頷くライト。


 フェネセンとは『フェネぴょん』『ライトきゅん』と呼び合う仲となった今では、もはや『ライトきゅん』と呼ばれることに何の抵抗も感じなくなっていた。

 加えてライトはこれまでに、神樹族の友からも散々ダメ出しを食らっている。故に呼称に関しては、本人の望む呼び方を即時採用して受け入れることが最も正しいのだ、ということを身を以て理解していた。


「小生がライト君の敬称を何と呼べばいいのか悩むのには、きちんと理由があってね」

「え、そうなんですか……?」

「うん。ライト君のことを『ライトきゅん』と呼んでいいのは、我が師フェネセンだけなのだよ」

「……あれってそんなに大層なことだったんですか?」

「そりゃそうさ!我が師が心から親愛を込めて呼ぶ敬称なんだよ?それを弟子である小生が、師の許可なく勝手に倣っていい訳がない」


 ライトだけでなく、レオニスまでもが心底驚きの表情に染まる。

 フェネセンが勝手に呼び始めた『ライトきゅん』という敬称が、そこまで大仰なことだとは夢にも思わなんだからだ。

 だがしかし、言われてみればそれはフェネセンならではの、いわゆるオンリーワンな呼び方であることは確かだ。

 ということは、フェネセンが呼ぶ他の友への敬称『レオぽん』『クレアどん』『ぐりゃいふ』も同様に特別なオンリーワンということになるのだろう。

 果たしてフェネセン自身がそこまで深く考えていたかどうかは定かではないが。


 だが、ライトとしてはピースの気持ちがありがたかった。

 まだ出会ったばかりだというのに、そこまで自分のことを思い考えてくれているということが嬉しかったのだ。

 そう、次の言葉を聞くまでは―――


「でね?小生としては『ライトにゅん』と『ライっち』で悩んでるんだよねー」

「「…………」」

「ライト君はどっちがいい?レオぽん、他にもなんか良い案ある?」

「…………えーと。『ライっち』の方でお願いします……」

「分かった、ライっちね!これからも師匠ともどもよろしくね!」


 ピースが嬉しそうにライトの手を両手で握りながら、激しく上下にブンブンと振り続ける。

 一方のライトは、半ば燃え尽きたように半分白くなり魂も抜けかけている。

 そんな抜け殻と化したライトを、レオニスはポン、と肩にそっと手を置き無言で慰めていた。





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 作中にて、ピースがレオニスにズビシッ!と人差し指で指差すシーン。

 人に向けて指を差すってのは、マナー違反とか行儀が悪いとかタブーとされていますよね。

 そこら辺どうなのか一応気になって検索してみたんですが。やはり日本だけでなく他国でもよろしくないこととする風潮は多いようですね。何故そうしてはいけないのか、理由や由来は諸説あるようですが。

 まぁ実生活で人に向けてビシッ!と指を差すことは作者も控えてはいます。というか、そもそもそんな場面も滅多にありませんが。

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