第293話 迂遠な物言い

 ―――この俺に口止めを強要できるほどの者が、果たしてどれだけいる?―――


 凄まじい圧と射抜くような強烈な視線とともに、腹の底から響くような低い声で問いかけるレオニス。

 その冷徹な響きと鋭い眼光は、アレクシスの背中にこれでもか、というくらいにぞわりとした寒気を走らせる。


「貴族様お得意の迂遠な物言い、とやらを真似てみたが。これで通じるか?」

「……ああ、十二分に理解した」


 レオニスが皮肉っぽく問うと、アレクシスは冷や汗を垂らしながら即座に理解したと答える。

 そう、レオニスの言っていることは迂遠というほどの遠回しなものでもない。ちょっと考えればすぐに分かることだ。


 そもそも冒険者という者達は、権力に屈しないことを信条とする者も多い。その使われ方が真っ当なものならば従いはしても、権力を笠に着た理不尽な要求は突っ撥ねることも多々ある。

 ましてやここにいるのは金剛級冒険者レオニス、ちょっとやそっとの権力では動かしようもない。過去にレオニスを召し抱えようとした貴族もそれこそ掃いて捨てるほど数多いたが、その全てを尽く撥ね退けて今に至る。

 それはこのプロステスに住むアレクシスですら知っている、国内外問わず広く知られた逸話だ。


 故に、たとえ相手が国王や帝王レベルの者だろうと、己が納得しない限りはその命令に従わないであろうことはアレクシスにも容易に想像がついた。

 そんなレオニスがその要求を納得して付き従い、絶対に人に明かせぬような秘密の仕事を請け負うとなれば―――それは国の最上層部、もっと言えばラグナ大公直々の密命を帯びた大事件を抱えている、としか考えられなかった。


 それを察したであろうアレクシスの様子に、これ以上はもう踏み込んでくるまいと考えたレオニスは表情を少し和らげる。

 そして、改めて真剣な顔つきでアレクシスに語りかける。


「これは脅しでも何でもない、あんたの身のためを思って言っていることだ」

「……ご忠告、痛み入る。この話はここで終わりにしよう。私としては先程君の口から語られた言葉、今のところ目に見える脅威はこのプロステスの近くにはいない、という回答を得られただけで十分満足だ」

「ああ、それで満足してもらえたなら俺としても助かる」


 先程まで張り詰めていた緊張が和らいだその時、扉がノックされた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「入りたまえ」


 領主の許可の声の後、執事がワゴンに乗せられたお茶とともに執務室に入室する。


「お茶をお持ちいたしました」

「お、ちょうどいいタイミングだな。すまんがこのアップルパイを厨房に運んでいってもらえるか?」

「ああ、このままこの部屋に置いといても致し方ないな。スヴェン、この木箱入りのアップルパイを厨房に持っていってくれ。今宵の晩餐のデザートにはこれを出すよう、料理長に伝えなさい」

「畏まりました、旦那様」


 スヴェンと呼ばれた歳若い執事が、お茶をテーブルに置いた後にワゴンにアップルパイ10箱を乗せていく。

 ワゴンとともに執事が退出した後、アレクシスはため息混じりの大きな吐息を吐きながらソファの背にドカッと凭れかかる。


「はぁぁぁぁ……しっかし今のは肝が冷えたぞ……こんなのは何年ぶりか、というくらいに寿命が縮んだ気がする」

「私も仕事柄、これまで様々な冒険者を見てきたが……伝説の金剛級ともなると、やはり格が違うのだな」

「実物を目の当たりにすると、それがよく分かったよ。これは警備兵が君の姿を目撃して浮かれる気持ちも分かるというものだ」


 執事から出された茶をちょうど啜り始めたレオニス、アレクシスの言葉に「ブフッ!」と茶を噴きかけた。

 警備兵が目撃して浮かれる云々、ズバリそれはレオニスの失態エピソードそのものだからである。


『トレードマークの深紅のロングジャケットは、ディーノ村とラグナロッツァ以外ではとんでもなく目立つ』

 レオニス自身全く気づいていなかったこの盲点を教示してくれたことは、実にありがたいことだ。だが、それでもやはり失態を蒸し返されたようでレオニスにしてみれば何とも腹立たしい。

 いや、アレクシスのその言葉は、表向きはレオニスの強さ、偉大さを褒め称える体ではあるのだが。


「……安心してくれ。次にプロステスを訪ねる時には、普段着で来ることにする。……ぃゃ、何なら二度とこの地に来なくてもいいがな」

「いやいや待ってくれ、それは困る!もし万が一この地で大災害が起きたら、冒険者ギルドの手を借りねばならん!その時に冒険者ギルド最大戦力の君に派遣拒否されたら、我が街は一巻の終わりだ!」


 レオニスのちょっとした嫌味に対し、ソファから立ち上がり全力で抗議するアレクシス。

 その慌てようは貴族的な遠回しは一切なく、本当に焦っているようだ。


「そう思うなら、俺に対して今後腹を探るような真似はしないことだ。俺は本ッ当ーーーにお貴族様の会話ってやつが苦手で大嫌いなんだ」

「……だったら君、何故ここに来たんだ?ここ、普ッ通ーーーにプロステス領主の屋敷だし、ウォーベック家なんて由緒正しいガッチガチの高位貴族だぞ?」


 思わずレオニスが吐き出した苦言に、アレクシスが実に胡乱げな視線で問い返す。

 確かにアレクシスの『そんなに貴族嫌いなら、何で仕事でもないのにわざわざうちに来たの?』という素朴な疑問は、実に至極真っ当である。

 そんなごもっともな反撃に、レオニスは一瞬言葉に詰まりかけながらも何やらゴニョゴニョと言い訳を始める。


「うぐッ……そ、それは、その……ウォーベック伯はうちのご近所さんだし……そこの娘さんとうちのライトは、ラグーン学園で仲の良い同級生だっていう話だから、届け物ついでにプロステス観光もしたいってねだられてだな……」

「ご近所さん……仲良し同級生……観光おねだり……」


 先程までの凄まじい威圧はどこへやら。挙動不審な言い訳を並べ立てはじめるレオニス。

 そしてご近所さんだの同級生だの、突如繰り出された数々の平凡極まりない日常的キーワードに困惑するアレクシス。


 そう、レオニスとしては『ラグナ教悪魔関連調査の一環で、領主も悪魔と関係しているかどうか内密で調べに来ましたー!』などとは口が裂けても言えない。

 先程アレクシスに向かって『他意はない』と言ったレオニスだったが、ありゃ嘘だ!と大声で糾弾されても致し方ないくらいに実は他意ありまくりなのである。

 そこへきて、ただでさえ察しの良いアレクシスが相手だ、下手なことを言ってまた尻尾を掴まれてはたまったものではない。探られたら痛い腹しかないレオニス、これ以上ボロを出して失態を重ねる訳にはいかないのだ。


「……そう、何と言ってもうちのラウルの作るアップルパイはな、そりゃもう絶品なんだ!ラグナロッツァいち美味いアップルパイと言っても過言じゃない!」

「そのアップルパイを親戚の手土産にしたいという娘さんと、同級生のお願いを叶えるためにプロステスに行きたい!というライトの願いを聞き届けてやりたかったんだ!」

「子供の願いを叶えてやるのは、大人の務めだろう!?」


 ボロを出さないためには、もともとここに来る口実となったアップルパイやライトを前面に押し出すしかない!と考えたレオニス。ライトやハリエットのことを強調しつつ、必死にああだこうだと言い募る。

 その若干気の抜けるような慌てぶりが、アレクシスには『照れ隠ししながらも弟を溺愛する兄バカ』にしか見えない。

 逆にそれが功を奏したのか、呆気にとられながらレオニスの言い訳を聞いていたアレクシスが急にくつくつと笑い出した。


「……ククッ、そうだな。大人は子供の健やかな成長のためにも、夢や希望は叶えてやるものだな」

「それに、クラウス達もそれなりに舌は肥えている。弟一家が皆絶賛し、私への手土産にしたいとまで思わせるアップルパイならばさぞかし絶品なのだろう」

「それほどの逸品、私としても楽しみだ。今夜の晩餐で君達とともにいただけると思うと、待ち遠しくて仕方がない」


 こみ上げる笑いを堪えながら、実に楽しそうに話すアレクシス。どうやらレオニスの訪問理由に対する必死の誤魔化しが何とか通じたようだ。

 そのことにレオニスも内心ホッとしつつ、領主自身も悪魔が化けていたものではなくて本当に良かった、と心から安堵した。


「いや、弟を思う君の愛情や熱意はよく分かった。いろいろと不躾なことを問い、不愉快にさせてしまい申し訳なかった」

「……領主という立場を考えれば、あれこれ気を回すのも分からんでもないさ。というか、あんたがとても立派な領主だってことがよく分かる。こんな素晴らしい領主が治めるならプロステスの将来は安泰だし、何よりここに暮らす民は幸せだな」

「大陸一の英雄にそう言ってもらえるとは、恥ずかしくも嬉しいよ」


 アレクシスがそれまでの言動を詫びると、レオニスもアレクシスの立場や勇気ある問いかけを高く評価し褒め称える。

 人払いされた執務室の中で、腹の探り合いから始まった二人の会話。緊迫感に包まれた空気もようやく落ち着き、打ち解けてきた瞬間だった。





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「これは脅しでも何でもない、あんたの身のためを思って言っていることだ」


↑レオニスがアレクシスに向かってこんなことを言っていますが、実はアレクシスの身のためよりも自分の身のための方の割合が大きかったりします。

 ラグナ教悪魔潜入事件について厳重な箝口令が敷かれていますし、ラグナ教にちょっとでも叛意を疑われたら連座で関係者全員まとめて国家反逆罪ですからね!


 凄まじい圧をかけられたアレクシスはとんだ災難ですが、レオニスとしても本当にもうこれ以上余計な詮索や追及を受ける訳にはいかなかったのです。

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